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追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第一章

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第26話 王種①

 ◆


 朝から陽射しが容赦なかった。この日シャールが受けた依頼はもう何度かやっているガッツの鍜治場の水汲みだ。一人ではなく、リッキーらも一緒であった。


 ガッツの鍛冶場は街の東区画にあり、その裏手にある井戸から水槽まではおよそ三十歩ほどの距離がある。たかが三十歩とはいえ、水を満たした桶を抱えての往復はそれなりの重労働であった。鉄を打つ炉の熱気が工房全体を蒸し風呂のように変えており、額から滴り落ちる汗は拭っても拭っても尽きることがない。


 シャールは黙々と桶を運んでいた。井戸の釣瓶を降ろし、水を汲み上げ、両手で抱えて水槽まで歩く。その動作を淀みなく繰り返している。桶は大人が両腕で抱えてようやく持てるほどの大きさで、水を満たせば相当な重量になるはずだったが彼の足取りに乱れはなかった。


 一方、同じ依頼を受けたリッキーたちは別のやり方を採っていた。四人で二つの桶を運ぶのである。桶の両端に通した棒を二人がかりで担ぎ、もう二人が交代要員として後ろに控える。効率としてはシャールの半分以下だったが彼らにはそれが精一杯であった。


「あっつ……死ぬ……」


 リッキーが桶を水槽に空けながら呻いた。痩せぎすの身体は既に汗でぐっしょりと濡れ、革鎧の下の肌着が肌に張り付いているのが見て取れる。


「まだ半分も終わってねえぞ」


 ヴァンスが肩で息をしながら言った。赤毛が汗で額に貼り付き、日焼けした顔は茹で蛸のように紅潮している。あの森での一件以来、彼の態度からは以前のような功名心が薄れ、代わりに地に足のついた堅実さのようなものが芽生えつつあった。


「休憩にしようぜ。このままじゃ倒れる」


 トトが木陰を指差した。工房の裏手には古い樫の木が一本生えており、その下だけはいくらか涼しい空気が漂っている。


「兄貴も休まねえすか」


 リッキーがシャールに声をかけた。シャールは丁度桶を水槽に空けたところで、額の汗を拭いながら振り返る。


「そうだな。少し休もう」


 五人は樫の木の下に腰を下ろした。ミランが持参していた水袋が回され、それぞれが喉を潤す。井戸水の冷たさが乾いた喉に染み渡り、リッキーは思わず長い息を吐いた。


「それにしても兄貴、マジで化け物っすね」


「何がだ」


「だってあの桶、一人で何往復もしてるじゃないすか。俺ら四人がかりでヒイヒイ言ってんのに」


 シャールは肩をすくめた。


「慣れの問題だろう。それに君たちは連携が取れているじゃないか。一人でやるより安全だ」


「安全って言うか、一人じゃ無理なだけっすよ」


 リッキーは苦笑した。


 木陰に吹き込む風が心地よかった。工房からは鉄を打つ音が規則正しく響いてくる。ガッツの弟子たちが仕事を続けているのだろう。その音を聞きながら、五人はしばし身体を休めていた。


「なあ兄貴」


 リッキーがふと思い出したように口を開いた。


「前から気になってたんすけど、兄貴ってどこの出身なんすか」


 シャールの目が僅かに細くなった。だがその変化は一瞬のことで、すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。


「南の方だ」


「南っすか。南ってーと広いっすけど」


 ヴァンスが横から口を挟んだ。


「俺も気になってたんだよな。シャルの兄貴、どう見ても庶民の出じゃねえだろ」


「そうか?」


「そうっすよ。立ち方とか、喋り方とか、なんつーか……品があるっつーか」


 トトが頷いた。


「俺もそう思う。育ちがいいってのが滲み出てるよな」


 シャールは答えなかった。ただ遠くを見るような目で空を眺めている。その横顔には何か複雑なものが過っているようだったがしかし誰もそれを追及しようとはしなかった。


「まあ、聞かれたくねえなら無理に聞かねえっすけど」


 リッキーが気まずそうに頭を掻いた。


「いや、隠すほどのことでもない」


 シャールはゆっくりと口を開いた。


「ウェザリオの生まれだ」


「ウェザリオ?」


 リッキーの目が丸くなった。


「マジすか。あの大国の?」


「ああ」


「道理でこの暑さもへいちゃらなわけっすね」


 リッキーは膝を叩いた。その反応にシャールは怪訝な顔をする。


「どういう意味だ」


「いや、だってウェザリオって滅茶苦茶暑いんでしょ? 王様の魔力のせいで」


 ヴァンスが補足するように言った。


「聞いたことあるぜ。ウェザリオの王家は代々強力な火の魔力を持ってて、その影響で国全体が他の地域より気温が高いって。冬でも雪が降らないとか」


「ああ、そういうことか」


 シャールは納得したように頷いた。


「確かに、幼い頃から暑さには慣れている。この程度は何ということもない」


「この程度って……俺らは死にそうなんすけど」


 リッキーが恨めしそうに言った。


「南の方出身の奴は暑さに強いってのは本当だったんだな」


 トトが感心したように呟く。


「でもウェザリオから来たってことは結構遠くから来たんすね、兄貴」


「まあな」


 シャールの返事は短かった。それ以上のことを語る気はないらしい。リッキーたちもそれを察したのか、話題を変えるように視線を逸らした。


「ウェザリオかあ。俺、いつか行ってみてえな」


 ミランがぽつりと言った。普段は無口な大男がそんなことを言うのは珍しい。


「何かあるのか、ウェザリオに」


 ヴァンスが尋ねると、ミランは照れたように頭を掻いた。


「いや、でっけえ国だろ。見てみてえじゃん、色々と」


「単純だなお前は」


「うるせえ」


 そんなやり取りをしていると、工房の表側から人の声が聞こえてきた。何やら話し込んでいる様子である。ガッツの野太い声に混じって、聞き覚えのない声がいくつか。


「客か?」


 リッキーが首を伸ばして様子を窺おうとした。だが木陰からは工房の表側は見えない。


「冒険者みてえだな。装備の音がする」


 ヴァンスが耳を澄ませながら言った。確かに、金属がぶつかり合う音や革鎧の軋む音が微かに聞こえてくる。


 会話の断片が風に乗って届いてきた。


「……だからよ、親方。今使ってる剣じゃもう限界なんだ」


「限界っつっても、まだ使えるだろうが」


「使えるっちゃ使えるが刃こぼれがひでえんだよ。研ぎ直しても追っつかねえ」


「そんなに酷使してんのか。何と戦ってんだ」


「ケリガンの森だよ。最近やたら魔物が増えやがって」


 その言葉にシャールの耳が反応した。ケリガンの森。自分たちも何度か足を運んだことのある狩り場だ。


「魔物が増えてるって話、俺も聞いたぜ」


 トトが声を潜めて言った。


「ギルドで噂になってた。浅い所にまで小鬼が出るようになったって」


「マジかよ。俺らも気をつけねえとな」


 ヴァンスが眉をひそめる。


 工房の表側からの声は続いていた。


「増えてるってレベルじゃねえんだよ、親方。異常だ。ここ半月で遭遇する数が三倍以上になってる」


「三倍だと?」


「ああ。それも浅い所で、だ。本来なら中層より奥にしかいねえような連中が街道沿いまで出張ってきてやがる。灰狼まで見かけたぜ」


「灰狼を? そりゃあ穏やかじゃねえな」


 ガッツの声に緊張が混じった。灰狼は中層に棲息する魔物であり、浅層で見かけることは通常あり得ない。


「それだけじゃねえ。ギルドの調査隊が森に入ったらしいんだが」


「調査隊?」


「ああ、一週間前に四人で出発したってよ。だが戻ってこねえんだ」


 沈黙が落ちた。調査隊が戻ってこない。それが何を意味するか、この場にいる全員が理解している。


「……そいつは」


「まだ死んだと決まったわけじゃねえけどよ。少なくとも、あの森が今どうなってるか、誰にも分からねえってことだ」


「で、お前さんたちはどうするつもりだ」


「狩り場を変えるしかねえだろ。北の山脈地帯あたりに移ろうと思ってる」


「北か。遠いな」


「ああ、遠い。正直、面倒くせえ。ケリガンの森は街から近いし、素材の売り先も近くにあるしで、色々と便利だったんだがな。だがこのまま続けてたら命がいくつあっても足りねえ。仕方ねえよ」


 諦めたような声だった。


「分かった。新しい剣は三日で仕上げてやる。北の山は岩が多いから、刃持ちのいい鋼を使ってやろう」


「助かる、親方。それじゃあ三日後に」


 足音が遠ざかっていく。冒険者たちが去ったらしい。


 話を聞いていた五人は黙っていた。誰も口を開こうとしない。今聞いた話の意味を、それぞれが咀嚼しているのだ。


「……やべえな」


 ようやくリッキーが口を開いた。その声は掠れている。


「ケリガンの森、俺らも使おうと思ってたのに」


「もう無理だろ。調査隊が帰ってこねえって聞いて突っ込む馬鹿はいねえよ」


 ヴァンスが首を振った。


「北の山脈かあ。遠いっすよね」


「片道で丸一日はかかるな。日帰りは無理だ」


 トトが腕を組んで考え込む。


「野営の装備も要るし、食料も余分に持ってかなきゃなんねえ。金がかかる」


「でも背に腹は代えられねえだろ。森がやべえってんなら」


 ミランが低い声で言った。


 シャールは黙って話を聞いていた。


「兄貴はどう思うっすか」


 リッキーの声で我に返った。


「何を」


「森のこと。どうします? 俺らも狩り場変えた方がいいっすかね」


 シャールは少し考えてから答えた。


「当分は近づかない方がいいだろうな。原因が分かるまでは」


「原因って、何があるんすかね」


「分からない。だが魔物が異常に増えているなら、何かがそうさせているはずだ。自然に増えるにしても限度がある」


「何かって、例えば?」


「分からない」


 シャールは正直に答えた。


「だから調査隊が派遣されたんだろう。そして戻ってこなかった」


 その言葉に、四人の顔が強張った。


「……やっぱやべえな」


「ああ」


 休憩は終わりの時間を迎えていた。だが誰も立ち上がろうとしない。暑さのせいだけではなかった。今聞いた話が彼らの足を重くしていたのである。


「さて」


 シャールが立ち上がった。


「仕事を片付けよう。考えても仕方のないことは考えない方がいい」


「それもそうっすね」


 リッキーも立ち上がった。他の三人もそれに続く。



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