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追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第一章

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第23話 幽霊屋敷③

 ◆


 二人は資料庫を出て、受付へと──向かわなかった。


「え!?」とセフィラが驚いたようにシャールを見る。


「どうなさったのですか。依頼を受けに行くのではないのですか」


「いや、その前にもう少し調べておきたいことがある」


 シャールは足を止め、広間の喧騒を見渡しながら言った。


「さっきの記録には違和感があった」


「違和感、ですか」


「ああ。アウストラ家の屋敷は債権者によって差し押さえられたと書いてあった。だが、その後の所有者については何も記されていなかった」


 セフィラの瞳がわずかに鋭さを帯びる。彼女もまた、その点に気づいていたのだろう。


「確かに……入居した者が次々と不幸に見舞われたという記述はございましたが、現在の所有者が誰なのかは書かれておりませんでしたわね」


「百年も前の話だ。債権者たちはとうに死んでいるはずだし、相続が繰り返されていれば所有権の所在も複雑になっているだろう。だが」


 シャールは顎に手を当てた。


「誰かがあの依頼を出している以上、所有者は存在するはずだ。それが誰なのかを突き止めなければ、この依頼の本質は見えてこない」


「どこで調べますか」


「まずは登記所だな。この街の不動産に関する記録はすべてそこに保管されているはずだ」


 ◆


 ラスフェルの登記所は街の中央広場に面した石造りの建物であった。


 ギルドほどの規模はないが堅牢な造りをしており、重要な公文書を保管するにふさわしい威厳を備えている。正面の扉を押し開けると、インクと古紙の匂いが鼻を突いた。


 窓口には中年の男が座っていた。眼鏡をかけ、禿げ上がった頭頂部を手で撫でながら、何やら書類を睨んでいる。


「すまないが、不動産の所有権について調べたいのだが」


 シャールが声をかけると、男は顔を上げてこちらを値踏みするように見た。


「冒険者か。何の用だ」


「旧アウストラ商会の屋敷について知りたい。現在の所有者は誰だ」


 その名を聞いた瞬間、男の表情がわずかに強張った。


「アウストラ……あの幽霊屋敷か」


「そうだ」


「何故そんなものを調べる。あの屋敷に手を出すつもりか」


「清掃の依頼が出ていたのでな。受ける前に調べておきたかった」


 男はしばらくシャールの顔を見つめていたが、やがて小さく溜息をついた。


「……まあいい。調べてやる。少し待て」


 男は椅子から立ち上がり、奥の書庫へと消えていった。


 待つこと数分。男は埃を被った革装丁の帳簿を抱えて戻ってきた。


「これだ。旧アウストラ商会所有不動産に関する記録」


 帳簿を開き、ページをめくっていく。黄ばんだ紙面には細かな文字がびっしりと並んでいた。


「ここだな」


 男の指が一点で止まった。


「王国暦四百二十五年、アウストラ家当主アルベルトの死去に伴い、屋敷の所有権は債権者である商人ヘルマン・ガイストに移転。同年、ガイストの死去に伴い競売にかけられるも買い手がつかず。翌四百二十六年、再度競売。落札者なし。四百二十七年、三度目の競売にて……」


 男の声が途切れた。


「なんだ」


 シャールが促す。


「……冒険者ギルドが落札している」


 セフィラが息を呑む気配がした。


「ギルドが?」


「ああ。王国暦四百二十七年、冒険者ギルドが銀貨百枚で落札。以降、所有権の移転は一切行われていない」


 シャールとセフィラは顔を見合わせた。


「待ってくれ。競売で、と言ったな」


「そうだ」


「それは本当か。直接取引ではなく?」


 男は帳簿を見直し、眉をひそめた。


「いや……待て。ここに注釈がある」


 ページの隅に小さな文字で何かが書き込まれている。


「『本件は競売の形式を取るも、実質的には当時のギルド長とアウストラ家当主アルベルトとの間で事前に締結された売買契約に基づく』とある」


「事前に締結された契約?」


「どういうことだ。アルベルトは借金苦で自ら命を絶ったのではなかったのか」


 男は首を横に振った。


「俺に聞かれても分からん。ここに書いてあることを読み上げているだけだ」


 シャールは黙って考え込んだ。


 事前に契約が結ばれていた。それはつまり、アウストラ家の当主は死ぬ前に屋敷をギルドに売り渡す約束をしていたということだ。


 なぜだ。言うまでもない、借金の返済のためだろう。だが。


「もう一つ聞きたい。アウストラ家を騙した商人たちについて、何か記録はあるか」


「商人?」


「ああ。アウストラ家の資産を食い物にした連中だ」


 男は再び帳簿をめくり始めた。


「……ここに名前が出ている。ヘルマン・ガイスト、フリードリヒ・シュタイン、カール・ブラウン。いずれも当時の有力商人だったようだな」


「彼らはどうなった」


「待て、調べる」


 男は別の帳簿を引っ張り出してきた。商人名簿と書かれた表紙が見える。


「ヘルマン・ガイスト。王国暦四百二十五年、アウストラ家の屋敷を差し押さえた翌日に変死。原因不明」


 シャールの眉が動いた。


「フリードリヒ・シュタイン。同年、自宅の階段から転落して死亡。事故死として処理」


「カール・ブラウン。同年、深夜に路地裏で遺体が発見される。強盗に襲われたものと推定されるも、犯人は不明のまま」


 男は帳簿を閉じた。


「三人とも同じ年に死んでいる。アウストラ家の一族が首を括った直後にな」


 なるほど、だがそれならば金はどこへ行ったのか。三人に渡ったのか、それとも。


 沈黙が落ちた。


 セフィラが小声で呟く。


「復讐……でしょうか」


「分からん」


 男は首を振った。


「だが噂はあった。アウストラ家の亡霊が仇を討ったのだとな。それ以来、あの屋敷に近づく者は誰もいなくなった」


 シャールは礼を述べて登記所を出た。


 外に出ると、陽光が眩しかった。だが二人の心には晴れない靄が立ち込めている。


「シャール」


 セフィラが口を開いた。


「この依頼、やはり普通ではありませんわね」


「ああ」


「依頼主が不明なのではなく、依頼主は冒険者ギルドそのものなのかもしれません。あの屋敷を所有しているのはギルドなのですから」


 シャールは頷いた。


「だとすれば、これは……」


「試し、でしょうか」


 セフィラの言葉にシャールは同意するように目を細めた。


「ギルドが新人冒険者の資質を見極めるために仕掛けた試験。そう考えれば辻褄が合う。報酬が異常に高いのも、依頼主が不明なのも、すべては意図的なものだ」


「ですがそれだけでは説明がつきません」


 セフィラの声が低くなる。


「アウストラ家を騙した商人たちが次々と不審死を遂げている。これはギルドの試験とは関係がない。もっと別の、もっと暗い何かが絡んでいるように思えてなりませんわ」


 シャールは黙って空を見上げた。


 雲が太陽を遮り、街に影が落ちる。


「屋敷の見取り図が手に入らないだろうか」


 不意にシャールが呟いた。


「見取り図、ですか」


「ああ。建物の構造を事前に把握しておきたい。中に入ってから右往左往するのは危険だ」


「ですがそのような古い屋敷の図面など、残っているものでしょうか」


 シャールも同意見だった。百年も前の個人邸宅の設計図など、とうに散逸しているはずである。


 だが念のため確認してみる価値はある。


「建築事務所を当たってみよう。この街で古くから営業しているところがあれば、何か記録が残っているかもしれない」


 ◆


 結果として、見取り図は驚くほど簡単に手に入った。


 街の東区画に店を構える老舗の建築事務所「ヴェーバー設計院」。そこの主人は白髪の老人で、シャールが訪ねた用件を告げると、意外にもすんなりと応じてくれたのである。


「アウストラ家の屋敷か。懐かしい名前だな」


 老人は事務所の奥から古びた筒を持ってきた。中には丸められた羊皮紙が入っている。


「これはうちの曾祖父が手掛けた仕事の記録だ。アウストラ家がこの街に来た時、屋敷の改修を依頼されてな。その時に作成した図面がこれだ」


「貸していただけるのか」


「構わんよ。どうせ誰も見向きもしない古い紙切れだ。返してくれればそれでいい」


 シャールは礼を述べ、図面を受け取った。


 宿に戻り、二人は机の上に図面を広げた。


 黄ばんだ羊皮紙に描かれた線画。屋敷の全体像が俯瞰的に示されている。一階、二階、そして──


「地下がありますわね」


 セフィラが指で示した。


 図面の隅に、地下階の存在が記されている。階段の位置、通路の配置、そしていくつかの部屋。


「一階は応接間、食堂、厨房、使用人の居室。二階は寝室と書斎。典型的な貴族の邸宅の構造だな」


 シャールが図面を読み解いていく。貴族として育った彼にとって、この程度の間取りを理解するのは造作もないことだった。


「セフィラ、この部屋の配置を見てどう思う」


「そうですわね……」


 セフィラも図面に目を凝らす。


「応接間が玄関の正面にあり、来客をまず通す設計になっています。食堂は奥まった場所に配置され、家族の私的な空間として機能していたのでしょう。書斎が二階の角部屋にあるのは、静かな環境で仕事に集中するためですわね」


「使用人の動線も考慮されている。厨房から食堂へは裏階段を通じて直接行き来できる設計だ」


 二人は図面を読み解きながら、屋敷の構造を頭に叩き込んでいった。


 だが、一箇所だけ分からない場所があった。


「この地下室は何だろう」


 シャールが首を傾げた。


 地下階には三つの部屋が描かれている。一つは「食料庫」、もう一つは「酒蔵」と注記がある。だが三つ目の部屋には何の記載もなかった。


「用途不明の部屋……ですか」


「図面を描いた時点では使い道が決まっていなかったのかもしれない。あるいは」


 シャールの声が低くなる。


「意図的に記載しなかったか」


 セフィラの表情が曇った。


「嫌な予感がしますわね」


「ああ」


 シャールは図面から目を離し、窓の外を見つめた。


 西日が街を赤く染めている。影が長く伸び、夕闘の気配が漂い始めていた。


「セフィラ」


「はい」


「この依頼、やめにしないか」


 セフィラが驚いたように顔を上げた。


「やめに……ですか?」


「ああ。調べれば調べるほど、嫌な予感が強くなる」


 シャールは椅子に深く腰掛け、天井を見上げた。


「ギルドが所有者であること。アウストラ家と事前に契約を結んでいたこと。騙した商人たちが不審死を遂げていること。用途不明の地下室。どれも不気味だ」


「確かに……」


「何より、これはまるで誰かに誘導されているような気がしてならない」


 シャールの目が鋭くなる。


「百年前の話にしては情報が出すぎている。調べようと思えば調べられる。だがその情報はすべて、あの屋敷へと向かわせるためのものだ」


「崖に向かって整えられた道……のような」


 セフィラが呟いた。


「そうだ。歩きやすく、分かりやすく、だが行き着く先は断崖絶壁かもしれない」


 二人は顔を見合わせた。


「他の依頼を受けましょう」


 セフィラが静かに提案した。


「この依頼は見送って、もっと普通の仕事を。わたくしたちはまだ新人です。無理をする必要はございませんわ」


 シャールは暫く黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「……そうだな。君の言う通りだ」


 図面を丸め、筒に戻す。


「明日、建築事務所に返却しよう。依頼は受けないと受付に伝える」


「はい」


 セフィラの顔に安堵の色が浮かんだ。


 夕食を済ませ、二人は早めに床についた。


 だがシャールは容易には眠れなかった。天井を見つめながら、頭の中であの屋敷のことを考え続けている。


 なぜギルドはあの屋敷を買い取ったのか。


 アウストラ家との契約とは何だったのか。


 商人たちの死は本当に亡霊の仕業なのか。


 地下室には何があるのか。


 答えの出ない問いが渦を巻く。


 結局、その夜、シャールが眠りについたのは夜明け近くになってからだった。


 ◆


 翌日の昼過ぎ、二人はギルドの大広間で別の依頼を物色していた。


「荷運びの依頼があるな。報酬は銅貨三十枚。私はこれにしよう」


「ではわたくしはこの薬草の調薬の依頼を」


 それぞれ木札を手に取り、受付へ向かおうとした時だった。


「よう、シャル」


 聞き覚えのある声が背後から響いた。


 振り返ると、ギンタマが腕を組んで立っていた。その顔にはいつもの人懐っこい笑みが浮かんでいるが、目には鋭い光が宿っている。


「タマさん」


「昨日の依頼、結局どうしたんだ。受けたのか」


 シャールは首を横に振った。


「やめることにした」


「ほう」


 ギンタマの眉がわずかに上がった。


「理由を聞いてもいいか」


「調べれば調べるほど、嫌な予感がした。何かに誘導されているような気がしてならなかった」


「それで引いたと」


「ああ」


 ギンタマは暫く黙ってシャールの顔を見つめていた。


 やがて、その口元がにやりと歪んだ。


「死ななくて済んだな」


 それだけ言って、ギンタマは踵を返した。


「待ってくれ」


 シャールが呼び止める。


「どういう意味だ」


 だがギンタマは振り返らなかった。


 片手を軽く上げ、そのまま人混みの中へと消えていく。


 残されたシャールとセフィラは顔を見合わせた。


「死ななくて済んだ……」


 セフィラが小さく呟く。


「やはり、あの依頼は……」


「ああ」


 シャールは静かに頷いた。


「本当の爆弾依頼だったのかもしれないな」


 あるいは、それ以上の何かだったのかもしれない。


 だが今となっては確かめようがない。




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