第21話 幽霊屋敷①
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朝の光が窓から差し込んでいた。
シャールは瞼を開けたが体がすぐには動かなかった。筋肉の奥深くにまで染み込んだ疲労が重くのしかかっている。セフィラの肌の温もり、乱れた呼吸、互いの名を呼び合った声──昨夜の記憶が断片的に蘇る。
隣を見れば、亜麻色の髪が枕の上に広がっていた。
セフィラもまた目を覚ましていたが起き上がる気配はない。うっすらと開いた翠色の瞳がこちらを見つめ、かすかに口元を綻ばせる。
「……おはようございます」
「ああ、おはよう」
二人の声はどちらも掠れていた。
しばらくそのまま互いを見つめ合っていたが時計塔の鐘が遠くで鳴り響くのを聞いてシャールは観念したように身を起こす。体のあちこちが軋んだ。心地よい疲労ではあるが今日も依頼をこなさねばならないという現実が意識を覚醒させていく。
セフィラも寝台から降りたが足取りがどこか危うい。壁に手をついて体勢を整えている姿を見てシャールは少しだけ罪悪感に似たものを覚えた。
「大丈夫か」
「ええ……少しだけ」
言葉を濁すセフィラの頬がわずかに染まる。
身支度を整えるのにいつもより時間がかかった。二人とも動作が緩慢で、まるで水中を泳いでいるかのようだった。宿の一階で朝食を済ませ、外へ出る頃にはすでに街は活気づいていた。
◆
けだるい体を引きずるようにして、二人はギルドへと向かった。
朝の大通りは行き交う人々で混雑している。荷車を引く商人、駆け足で何処かへ向かう使い走りの少年、井戸端で話し込む主婦たち。いつも通りのラスフェルの朝だ。
ギルドの建物が見えてきた。
「今日も討伐依頼をお受けになりますか」
セフィラが尋ねる。
シャールは首を横に振った。
「いや、今日は別のものを受けてみたい」
これは互いに別々の依頼を、という意味だ。二人は常に行動を共にしているわけではなかった。依頼によっては別々に受けることも少なくない。それぞれの適性というものがある。そうした差異を活かして効率よく稼ぐというのは冒険者として当然の判断であった。
それに二人は確かに愛し合ってはいるが、互いにべったりしていなければ生きていけないという類の関係ではない。適度な距離感というものがある。一人の時間を持つことで、再び顔を合わせた時の喜びが増す。そういう成熟した間柄を二人は自然と築いていた。
「別のもの?」
「なるべく色々な依頼を経験しておきたいと思ってな。いつまでも同じことばかりしていては視野が狭くなる」
「それもそうですわね」
セフィラも賛同するように頷く。
二人はギルドの正面玄関をくぐり、吹き抜けの大広間へと足を踏み入れた。朝とはいえ既に多くの冒険者たちが依頼を求めて集まっている。壁際の掲示板には大小様々な木札が所狭しと並んでいた。
二人は並んでその掲示板を眺める。
「本当に色々ありますわね」
セフィラが感心したように呟いた。
荷運び、採取、護衛、調査、討伐。依頼の種類は多岐にわたる。報酬も銅貨数枚から銀貨数十枚まで幅広い。中には依頼内容がよく分からないものや、妙に報酬が高すぎるものもあった。
シャールは視線を巡らせながら一枚の木札に目を留める。
何気なく手に取り、記された内容を読む。
「……これを受けてみようかな」
「どのような依頼ですか」
セフィラが覗き込む。木札には簡潔な文字が並んでいた。
『旧アウストラ商会旧宅の清掃依頼。報酬銀貨二十枚』
「お掃除、ですか?」
セフィラの声にはいくらかの意外さが滲んでいた。
「ああ。アウストラという商家が使っていた屋敷の清掃らしい」
シャールは木札を手のひらの上で転がしながら続ける。
「私の力に向いているかもしれない」
彼の念動力は細かな操作に長けている。塵や埃を集めて除去する程度であれば、箒や雑巾を使うよりも遥かに効率的だろう。
だがとシャールは首を傾げた。
「やけに報酬が高額だな」
セフィラも木札を見つめ直す。
「確かに……先日の小鬼討伐よりずっと高いですわね」
清掃という単純な作業に対して、この報酬は明らかに不釣り合いであった。通常の屋敷清掃であれば銅貨数十枚が相場だろう。それが銀貨二十枚。何か理由があるに違いない。なによりも、こんな好条件なのに誰も手に取ろうとはしないのだ。
「よう、シャルにセフィじゃねえか」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り返ると、タマさんことギンタマが片手を上げてこちらへ歩いてくるところだった。くすんだ茶色の革鎧に使い込まれた剣。人懐っこい笑みを浮かべながら二人の傍に来ると、シャールの手にある木札を覗き込む。
「あぁ~、それか」
ギンタマの声色が微妙に変わった。
「よりによってそんなモンを選ぶとはな。シャル、あんたは持ってるかもしれねえなあ」
「持っている? どういう意味だ」
シャールが問い返すがギンタマは答えない。ただ意味ありげな視線を横目に送るだけである。その態度には明らかに何かを知っている気配があった。
シャールは小さく溜息をつく。
懐から銭袋を取り出し、銀貨を一枚掌に載せてギンタマに差し出した。依頼についての情報にしてはいささか高いが、依頼の報酬額を考えればこのくらいは、ということだ。
「これでいいか」
「毎度あり」
ギンタマは満足そうに銀貨を受け取ると、にやりと笑みを深くした。その笑みには商売人特有の抜け目なさと、それとは別の何か──ある種の悪戯心のようなものが混じっている。
「その依頼の屋敷ってのはな、いわくつきなんだよ」
「いわくつき?」
セフィラが眉を寄せる。
「ああ」
ギンタマは声を潜め、周囲を窺うような素振りを見せた。それから二人の顔を順に見て、勿体ぶるように間を置く。
「その屋敷はな……」
言葉を切り、にやりと笑う。
「出るのさ」




