閑話 部長 設立
その相談は、些細な雑談程度のものであった。
「ーー殿下。
私は、あの方の婚約者に釣り合っていないのではないかと」
向かいに座る令嬢は、
指先を重ね、視線を伏せていた。
セリウスーー
レオンハルトが信頼している、
真面目で有能な男の婚約者だった。
成績優秀。
家柄も申し分ない。
礼儀作法に瑕疵はない。
「釣り合わない、とは?」
レオンハルトは、
公式の相談員として問い返した。
「彼は、とても立派でーー
皆から信頼されていてーー」
声が、少し揺れた。
「私が隣にいることで、
足を引っ張るのではないかと」
それは、恋愛でも、破談でもない。
ただの不安。
ただの弱音。
だが、場所が悪い。
ここはーー
公式な相談室だった。
レオンハルトは、正しい対応をした。
「あなたの不安は理解できます」
「婚約とは、覚悟と責任を伴うもの」
「今の段階で迷いがあるのなら、
一度、婚約者やご家族とも話し合うべきでしょう」
言葉は、一つも間違ってはいなかった。
記録官は頷き、書類に羽根ペンを走らせる。
ーー相談内容の記録。
そんなもの必要ないほどありふれたよくある悩みではあるものの、
この場所においてそれは、必要な手順だった。
数日後。
セリウスが、珍しく感情を露わにして現れた。
それは知らない仲であれば気づかない程度のものではあったが。
「ーー殿下」
顔色が悪い。
「婚約者が、家に呼び戻されました」
レオンハルトは、嫌な予感がした。
「相談室の記録が、家に渡ったそうです」
「“覚悟が足りない” “他者に弱みを見せるなど何事だ” などと親類に詰められーー」
声が、かすれる。
「今は、
部屋から出てこないと」
言葉が、出なかった。
「ーー殿下」
セリウスは、微笑みながら、
「あなたの対応は、
何も間違っていません」
「相談室として、正しい対応でした」
「だからーー
どうか、気にしないでください」
その言葉が、気遣いが、一番重かった。
それから。
セリウスの婚約者は、
学園に戻らなかった。
セリウスも、
彼女の家に近づけない。
婚約は、
宙に浮いたまま。
表向きには誰も責任を問われていない。
誰も間違っていない。
ーーそれなのに。
レオンハルトは、
眠れなくなった。
(彼女は、
解決策を求めていたわけじゃない)
(ただ、
胸の内を誰かに聞いてほしかっただけだ)
(なのに)
(“正しい場”に来たせいで、
不安は“問題”にされ、
外に出された)
「ーーもう、嫌だ」
夜の旧校舎で、
レオンハルトは呟いた。
「このやり方では、人は守れないのか」
(違う)
(事故になる前に、
止められたはずだ)
(書類にしなければ)
(こんな制度なければ)
(誰も、壊れなかった)
翌日。
レオンハルトは、
セリウスに言った。
「部を作る」
「ーー部?」
「相談室じゃない」
「記録しない」
「評価しない」
「正解を出さない」
「ただ、
話すだけの場所だ」
セリウスは、
一瞬だけ目を見開きーー
すぐに、苦笑した。
「殿下はーー相変わらずですね。
そんな曖昧な場所、許されますか」
「許されなくてもいい」
即答だった。
「正式じゃないから、
守れるものがある」
そうして生まれたのが、
表向きは
貴族子弟の社交と遊びの場。
その実、貴族社会の“事故”を未然に潰す緩衝地帯。
社交部である。




