1話 過失
名門校にも、必ずと言っていいほど、静かな場所はあるものだ。
そして、その多くは「使われなくなった場所」だ。
《アウラリア魔導貴族学院》旧校舎。
現在はほとんどの生徒が立ち入らない、半ば忘れ去られた建物。
アルトリアは、その廊下を一人で歩いていた。
人気のない廊下の突き当たりにある、物置部屋。
(確か、この辺にーー)
行事用の備品。
誰かに頼めば済む用事を、彼女は一人で引き受けていた。
薄暗い室内。
棚は天井近くまで積み上げられている。
(脚立が、ない)
アルトリアは一瞬だけ迷い、
それから、つま先立ちで手を伸ばした。
「ーー危ないよ」
背後から声がした。
振り向くより早く、
扉が開き、青年が中へ入ってくる。
「高い所の物なら、手伝う」
「結構です」
即答だった。
「一人でできます」
その声音に、相手は一瞬だけ目を見開いたようだった。
だが、すぐに表情を戻す。
「でもーー」
「大丈夫です」
そう言って、再び手を伸ばした、その瞬間。
ぐらり、と。
視界の端で、棚が傾く。
「ーーっ!」
反射的に、身体が引き寄せられた。
次の瞬間。
ドン、という鈍い音と、
ガラガラと崩れ落ちる備品類。
衝撃。
手首に走る鋭い痛み。
「ーーっ」
棚は完全には倒れず、
彼の腕と肩に重さがかかって止まった。
「ーー大丈夫かい?」
すぐ傍で、彼が息を詰めている。
「私はーーはい」
そう答えた直後、
彼の視線が、こちらではなく別の場所に向いた。
「手ーー」
アルトリアの視線も、自然とそこへ向かう。
右手首。
力が入っていないのが、見て取れた。
「ーーちょっと捻っただけだよ」
軽い口調だった。
だが、無理をしているのは明らかだった。
「医務室へ行きましょう」
「いや、これくらいーー」
「いいかどうかは、私が決めます」
はっきりと言った。
彼は、一瞬言葉を失ったように見えた。
それから、観念したように頷く。
応急処置の最中。
アルトリアは、淡々と作業を続けていた。
「ごめんなさい。私が無理をしました。注意が足りていませんでした」
言い訳はしない。
事実だけを述べる。
「そこまでーー」
彼が何か言いかけて、言葉を止めた。
「強いな」
そう言われて、
アルトリアは一瞬だけ目を瞬かせた。
「当然の行いです」
当然、と口にした自分の声は、落ち着いていた。
彼は、苦笑したようだった。
それから数日。
レオンハルトは、
右手首を固定したまま生活することになった。
放課後、旧校舎。
アルトリアは、必ずそこにいた。
重い物は持たせない。
片手では不便な作業は、すべて引き受ける。
「ーーここまでしなくていい」
何度目かの言葉。
「必要なことです」
即答だった。
彼は、それ以上何も言わなかった。
(必要、ですから)
原因は自分にある。
それなら、責任を取るのは当然だ。
「責任、か」
彼がぽつりと言う。
「はい」
それだけで十分だった。
過剰な感謝も、
恩を着せる態度もない。
ただ、治るまで、隣にいる。
「庇っていただかなければ、
怪我をしていたのは私かもしれません」
静かに告げる。
「なので、治るまで」
「あなたの不便を、減らします」
その言葉に、
彼は少しだけ視線を伏せた。
数日後。
「アルトーー放課後、時間あるか」
作業の手を止めずに、彼が言った。
「社交部の部屋に来てほしい」
「ーー社交部?」
アルトーーそう呼んでもらったほうが男子っぽさが出る。
そう思い名乗ったものの、慣れない呼ばれ方に戸惑ってしまう。
ただ、社交部という更に聞きなれないもののおかげで、何に動揺したかはある程度ごまかせただろう。
「人の話を聞く部だ」
簡潔な説明だった。
「困りごととか、愚痴とか。
そういうのを聞いて、場を整える」
アルトリアは、すぐには答えなかった。
「ーー私は、向いていないと思います」
「向いてるよ」
即答だった。
理由を考える前に、そう言ったように見えた。
「余計なことを言わない。相手を急かさない。逃げない。
ここ数日、キミの言動を見させてもらったが素質は十分だ」
彼は、こちらを見ていた。
「それにーー」
右手首の固定具に、視線を落とす。
「俺は、しばらく表に立ちにくい」
意味は、十分に伝わった。
アルトリアは、少しだけ考える。
怪我をさせた。
庇わせた。
その結果、生じた不便。
「人の相談に乗るほど、器用ではありません。
適切な言葉を選べる自信もない」
条件を付けるように、言う。
「雑用でいいなら。
それなら、お手伝いします」
一拍置いて。
彼は、ゆっくり息を吐いた。
「じゃあ、決まりだ。これからよろしく」
アルトリアは、小さく頷いた。




