9話 守護と拒絶
その日は、特別な出来事があったわけではなかった。
社交部の活動が終わり、令嬢たちが帰ったあとの静かな部屋。
窓から差し込む夕方の光が、テーブルの端を淡く染めている。
アルトリアは書類をまとめ、立ち上がろうとしていた。
「ーー少し、話がある」
レオンハルトの声に、足を止める。
「はい」
扉が閉じられ、室内には二人きりになる。
「最近、指名が増えてきているだろう」
「把握しています」
言葉を選ぶように、間を置いてから続ける。
「君には、負担になっているのではないだろうか」
アルトリアは、表情を変えなかった。
「問題のない範囲です」
「だがーー」
レオンハルトは一歩近づく。
「君は、自分を削りすぎるきらいがある」
その言葉に、アルトリアの指がわずかに止まった。
「ーーそれは」
「そのスタンスは危うい」
レオンハルトの声には、迷いがなかった。
「君は、守られるべきだ」
空気が、ぴたりと止まる。
アルトリアは、ゆっくりと彼を見る。
「理由を、伺っても?」
「君には、それだけの価値がある」
「失われていい存在じゃない」
善意だった。
疑いようもないほど、真っ直ぐな。
だからこそ。
「私には」
アルトリアは、静かに言う。
「そこまでの価値はありません」
「アルトリア」
「守る、という言葉は」
一拍置く。
「“選ぶ側”の言葉です」
レオンハルトは、息を詰めた。
「私は、選ばれたいとは思っていません」
淡々とした声。
だが、拒絶ははっきりしていた。
「期待されない立場は、楽です」
「守られなくてもいい。何事もなければ、それで十分」
「君が壊れたらーー」
「壊れません」
即答。
それが、どれほど危ういのかを、彼女自身が分かっていないことが、何よりも恐ろしかった。
「ーーそれでも」
レオンハルトは、引かなかった。
「私は、君を守る」
その瞬間、アルトリアの表情が、初めて硬くなった。
「それは」
声が、少しだけ低くなる。
「善意ですか。それともーー立場がそうさせるのですか」
答えられなかった。
沈黙が落ちる。
アルトリアは一歩下がり、深く一礼した。
「お気遣い、感謝します」
「ですが、今後その言葉は不要です」
それは拒絶だった。
丁寧で、逃げ場のない。
扉が閉じる。
残されたレオンハルトは、その場に立ち尽くした。
(ーー何故だ)
守りたかっただけだ。
傷つけるつもりなど、ない。
けれど。
(彼女は、“守られる側”に立つことを選んでいない)
その事実だけが、重く残った。




