8話 剣の手入れ
放課後の剣術場は、音が少なかった。
床に残る足跡も、壁際に立てかけられた訓練剣も、すでに今日の役目を終えている。
アルトリアは壁に背を預け、膝の上に剣を置いていた。
布を滑らせるたび、刃がかすかに引っかかる。
大きな刃こぼれはない。だが、細かな傷は確実に増えていた。
(ーー踏み込みが、深くなっている)
自覚はあるが、 無理をしているつもりはない。
ただ、前に出ない選択肢はなかった。
期待されていない立場。
守られる役ではない。
剣術くらい、人並みにできなければ居場所がない。
――それに。
(女だから)
力で多少なりとも劣る分、前に出るしかない。
無理を通す覚悟がなければ、最初から負けているようなものだ。
「ーーやっぱり、ここにいると思った」
背後から聞こえた声に、布を止める。
振り返らなくても、誰だか分かる。
「今日は早いですね」
「サボり。つまんなくて逃げてきちゃった」
フィオレは隣に腰を下ろし、自分の剣を取り出した。
無駄のない動きで、柄を確かめ、刃に布を当てる。
二人の動作は、よく似ている。
言葉は要らない。剣を扱う者同士の沈黙は、むしろ落ち着く。
しばらくして、フィオレがぽつりと口を開いた。
「ーー剣、傷んでる」
「踏み込みを変えましたから」
説明はそれだけで十分だった。
剣が、使い方を雄弁に語っている。
「前より、攻めてる」
「必要だったので」
即答だった。
フィオレは一度だけ、アルトリアの手元を見る。
責める視線ではない。ただ、確かめるように。
「無理はしてない?」
「していません」
嘘ではなかった。
少なくとも、アルトリアの基準では。
沈黙が落ちる。
金属音が、ゆっくりと空間を満たす。
「ーー自分の体なんてどうでもいい、って顔してる」
不意に、フィオレが言った。
アルトリアは手を止める。
「期待されてないから?」
「ーーそういうわけでは」
言いかけて、言葉を切る。
どう言えばいいのか、自分でも分からなかった。
「壊れてもいいって思ってるでしょ」
フィオレは、淡々と続ける。
「でもさ」
一拍置いて。
「壊れたら、戻らないよ」
諭す声ではない。
忠告の色もない。
ただの事実だといわんばかりに淡々と述べる。
アルトリアは、何も言えなかった。
しばらくして、剣を鞘に収める。
「ーー気をつけます」
「うん」
フィオレはそれ以上、踏み込まない。
立ち上がる前に、ぽつりと付け足す。
「無理しないでね」
少し間を置いて、
「ーーまあ、しないか」
それは命令でも、心配の押し付けでもない。
信頼と、受け止めた上での言葉だった。
アルトリアは、ほんのわずかに口元を緩める。
守られる必要はない。
期待だってされていない。
けれど――。
(壊れていいわけでも、ないのか)
少しだけ、いつもの剣が軽く感じた。




