6話 副部長
今日も今日とて相談者が社交部を訪れる。
入ってまだ日が浅いアルトも、今日は対応に回るようだ。
それを少し離れたところから帳簿に目を通しながら観察する。
何を言い出すかわからない。見張っていなければと誰に言うでもなく言い訳をする。
ほかの社交部の面々はといえばーー
給仕をしながら、他の来客と談笑しながらも、アルトの会話に耳をそばだてているのがわかる。
まったく過保護な奴らだ。
悟られないように注意しつつもセリウスもまた、会話を盗み聞く。
婚約に関する相談のようだった。
またか、と。
そう思った瞬間、自嘲が遅れて胸に落ちてきた。
婚約に関する相談は、珍しくない。
むしろ、この部に持ち込まれる悩みの中では、最も多い部類だ。
名誉、家同士の結びつき、未来への保証。
それらを並べ立てられながら、最後に必ず添えられるーー
「でも、不安なのです」という言葉。
それを聞くたび、制度そのものに向けるべき憤りと、
何度同じ場面に立ち会っても、満足な答えを返せない自分への情けなさが、入り混じる。
否定すべきではない。
だが、肯定するだけでも足りない。
ーーでは、どうすればいい?
その問いに、これまで自分は、あまりに多くの「正しさ」を返してきた。
今日も、同じだと思っていた。
だが、アルトは違った。
令嬢の言葉を遮らず、慰めも励ましも急がず、
不安を「取り除くべきもの」として扱わなかった。
『不安を抱えたままでも、立っていられる場所を持つこと』
アルトの発したその一言が、胸の奥に、ひどく静かに刺さる。
(ーー他人事だと思えた時分なら)
そんな答えを、ただ優しい言葉だと受け取れただろう。
だがーー
婚約者がいた頃、同じ言葉を向けられていたら。
いや、向けることができていたなら。
不安を見せないことが、強さだと。
覚悟を示すことが、誠実さだと。
そう信じて疑わなかった自分は、彼女の沈黙を、立派なものとして受け取っていた。
それが、どれほど残酷な誤解だったか。
今となっては、誰もが知った顔で言う。
「もう、彼女の復帰はないだろう」
「実質的には、失われたも同然だ」
ーー失われた?
胸の内で、言葉が軋む。
彼女は、疲れてしまっただけだ。一時休んでいるだけ。
ただ、立ち続けることができなかっただけだ。
いや、支えてやることができなかった。
そう、それだけ。
それを、制度も、周囲も、許しはしなかった。
(救えなかった)
その事実は、今も変わらない。
だが、それを「終わった話」にされるたび、
胸の奥で、何かが削られていく。
アルトの声が、再び耳に届く。
『立派であることを求められすぎているーー』
その言葉は、まるで過去の自分への告発のようだった。
思わず、口を開く。
「ーー随分、残酷なほど優しい答えだ」
それ以上は言えなかった。
言えば、過去が、名を持ってしまう。
だが、心の中では、はっきりと理解している。
もし、あの時。
誰かが、彼女に、私に、そう言ってくれていたら。
いやーー
君が、そこにいてくれたなら。
私の隣は彼女にとって、不安を持ったままでも立っていられる場所になっていただろうかーー。
そう思いながら、シリウスは静かに視線を伏せた。




