第8話 負けヒロインの運の尽き
なによ、あんな子供みたいなキレ方。
アイツは何に怒っていたのだろうか。
乙都が桜路と泡歌のことを”愛し合ってる男女”と表現してから、明らかに機嫌が悪くなったように見える。
まだ二人が駆け落ちをしたことを認められていなくて、自分を傷つける言葉を言ったことにキレていた?
いや、いくらなんでもそこまで現実を見れていないわけではなかった。アイツがあからさまに怒りはじめたのは、私が強がりを言ってから。私が桜路を好きなことを認めないことに怒っているように見えた。
私があんな情けない男に恋しているわけないじゃない。残念ながら、私は、ただただ腹が立っているだけなのよ。
恩知らずにも桜路がこの私を置いていったことに、私から青春を奪ったことに、何も説明をしてくれないことに、蚊帳の外であることに、全てに苛立ちを覚えている。私がいないと何もできないくせに。
あんな男のどこに、惚れてんのよ林檎は。
私は乱暴に扉を閉めて部室を出る。それから、鍵を閉め忘れていたことを思い出して、行き所のないイライラを足音に変えて引き返した。
いつも、部室は泡歌が戸締りをしてくれていた。一度、探偵部に恨みを持つ生徒に鍵を奪われて部室を荒らされて以来、あのあわてんぼうでドジな泡歌は毎回戸締りを気にしていたから。あの部室荒らしも、桜路の地道な生徒への聞きこみによって解決したんだっけ。私は美しすぎて近寄りがたいし、林檎は単純に性格が悪いから聞き込みは泡歌と桜路担当だった。だから、今こんなに閉じこもって、残された証拠から二人の駆け落ちの理由を考えるぐらいしかできることはないのだ。忌まわしい。
嫌な思い出を思い返しながら、階段を下りていく。
この下駄箱の横の植え込みで、いなくなった猫を探した。人の良い桜路が日が落ちても探すもんだから、見てられなくて付き合ってあげた。
別の場所で猫が家庭を作ったなんてよくあるオチだったけど、二人で一つの目標に向かうのが気持ちよかった。「ネムはかっこいいなぁ」なんてキラキラした目で見つめてくれた。
この学校には、桜路の残り香がそこかしこに漂っている。固く閉じていた記憶の扉をゆるゆるにして溶かしてしまう。
早く出よう、こんな場所は。
私は早歩きで学校を出る。そんな帰り道。
学校から数分離れた公園、いつも登校する時に待ち合わせで使っていた公園。そこから、今一番聞きたくない声がした。
本当に嫌になる。そこいたのは、やはり今一番見たくないツラ。
「別に助けなくていい。自分で立てるんだけど」
さっき別れたばかりの林檎だ。
家の方向が実は一緒なので当然といえば当然なのだが、もっと嫌なのはそう。
「調行さん、一人?」
男に声をかけられている場面だったのだ。
人見知りの林檎がそこらへんの男を引っ掛けているとは思えないので、男の方から絡んでいるのだろう。なんとなく気まずくて私は木の後ろに隠れた。
「大丈夫?ちょっとここで休みなよ。水、買ってこようか?」
男が一生懸命話しかけているが、林檎は一切口を開かない。ちょっと引くレベルで。
「あの、調行さんだよね?俺、同じクラスの山口」
しかもクラスメイトかよ。さすがに何か言いいないよ。
熱中症にでもなったのだろうか。恐らく、ちょっとふらついたところをあの男に助けてもらったのだろう。体が弱いからね、アイツ。
悪い男ではなさそうだし、放っておいて帰ろう。
そう思って私が背を向けたタイミングで、ようやく林檎が口を開いた。
「……あんたさ〜、アンタ私のこと好きなの?」
どんな第一声だよ。
思わず立ち止まってしまった。
山口と呼ばれた林檎のクラスメイトはあからさまに焦った後にゆっくり頷いた。
どうやら林檎の思い上がりではなかったらしい。そんなコミュニケーションが成立するのね。
「調行さんが桜路のこと好きなことは知ってる。まだ吹っ切れてないのも……」
「……悪いけど、アンタの気持ちには応えられない」
「あ、あの俺じゃダメかな?!桜路のこと忘れさせるから」
林檎が先回りして振ったというのに、山口は諦めない。すがりつくように、林檎に迫っていた。
あの女が、こんな男に感情を動かすことはなさそうだ。虫がまとわりついたような顔をしていた林檎に、山口は衝撃的な言葉を浴びせた。
「だって、調行さん、桜路に振られてたよね?俺見たんだよ。もう諦めて次に行った方が良いって…!」
は?今なんて言った?
その、前提を覆す事実に、うるさいぐらい心臓が鳴り始める。
──林檎、アンタ、桜路に告白していたの?
「……知ってんだ」
林檎は怒りを孕んだような、それでいて自嘲するように答える。
その反応は、山口の告げた言葉が事実であると肯定しているのと同義だった。
「俺、あの時からずっと調行が気になってて」
「傷心の女なら口説けると思ったの?」
ひねくれた返しで山口を困らせ続ける林檎。そのまっくろな瞳が、一瞬だけ私の方を向いた。この女、私の存在に気づいている。
「なんで、私がフラれたか知ってる?」
だからこそ、この言葉が、目の前にいる山口ではなく、影に隠れている私に向けたものだと、そんな確信があった。
「そ、そこまでは……」
「そんなに知りたいなら教えてあげる」
胸の奥で、ひとつ、大きな音が弾けた。
この心臓の音を契機に、顔が熱くなるほど血液が脳に集中する。
林檎の言葉の続きを聞いてはいけない、と体中が言っている気がした。心音が警笛の音に鳴り響く。なぜだか呼吸がどんどん荒くなる。
林檎が桜路にフラれていた事実を知ったことで、全ての合点がいってしまっていたのだ。そこから導き出される事実に気づかないように私は膝をつねる。
後から思えば、この時、走ってでも逃げるべきだった。
こんなこと聞くべきでも知るべきでもなかった。
こんなところで聞きたくなかった。気づくな、気づくな、気づくな。
なぜ、林檎が「二人は愛し合って駆け落ちしたのだ」なんて簡単な答えが出る問題に違う解を探し続けていたのか。
なぜ、桜路が私を探偵部にいれたのか。
なぜ、林檎が素直に桜路を好きと言えない私にあんなに怒っていたのか。
なぜ、林檎が出会った時から桜路のことが好きだなんて一言も言っていない私を、ライバル扱いするのか
──なんで、私が桜路に惚れたのか
「おーくんは、ネムりんのことが好きだったからだよ」
その全ては、この一言で説明がつくのだった。




