第6話 負けヒロインは傷つき続ける
「くそっ、本当に腹立つ!大自然の癖して何様よ!この私を辱めるなんて…っ」
端的に状況を説明すると、夏の合宿の楽しい海水浴中、水着をさらわれた。少し背伸びして選んだ、大きめのサイズが仇となったのだ。私のスレンダーな体には追い付けなかったとも言える。
私は慌てて、近くの小さな洞穴のような場所に入る。ここから助けを呼ぼうにも、こんなあられもない姿見られるわけにはいかない。八方ふさがりだ。
途方に暮れていたところを、最低最悪なことに桜路が見つけてくれた。
「と、とりあえず、タオル!!!!」
慌てて、すぐ近くにあったタオルを泳いで持ってきてくれた
「泡歌に連絡してネムの上着持ってきてもらってるから!ちょっと待っててくれよ!」
ムカつくほどに紳士的な桜路は、この私の裸体が曝されているというのに一切こちらを見ず、真っ赤な背中を見せたまま泳ぎ去ろうとしていった。
「待ちなさいよバカ」
その言葉は、ごく自然に口から出ていた。
「アンタのことなんてなんとも思ってないんだから。別に見られてもなんともないわよ。泡歌来るまで暇だし、ここにいたら?」
バスタオルを得て防御力があがった反動か、特殊な精神状態による作用か、いつもは喉をつっかかって出てこない、言葉が、少しだけ素直に出力された。
桜路は目をまんまるにしてから、ははは、と間抜けな笑顔を浮かべて、私の隣に座った。一人でこの洞窟にいた時の不安感は近くに添えられた体温によって霧散する。
あんなにぽんこつだったのに。随分大きな背中になったな。なんて、
「アンタ、昔から泳ぐのはうまかったわよね。林檎なんか、アンタに泳ぎ教わったって言ってた」
「あぁ、実はな!いつかその技術が、林檎の身を守ってくれたら嬉しい!」
「その癖にアイツ、一切泳ぐ気なかったわね。パラソルの下でぐうたらしてたわ」
「林檎らしいがな」
はははという豪快な笑い声とふふという控えめな私の笑い声が交差する。声変わりしての太くなった声と、少しだけ大人びた私の声が重なると、昔よく聞いていた笑い声の連鎖よりも大人になったんだなと感じる。
遠くの方で鐘の音がなる。12時を知らせる鐘らしい。それと同時に、手紙が一つ流れついてきた。拾い上げてみると、湿ってふやけているが、ちぎれたりはしていない。開けば中身もまだ見れてしまいそうだ。水を吸っているせいかずっしりと重い。『先生へ』と書いてある手紙だった。生徒から教師に向けた手紙だろうか。
「丘の上の神社に大きな木があっただろ?あの木に実らなかった恋文を吊るすと、失恋をきっぱり終えて次の恋に進めるという伝説があるんだ」
桜路はそう語った。自分には縁のない話だと受け止め、そんな手段が必要な人を少し哀れに思った。失恋なんてしたことがないし、むしろ、私から相手を振って失恋させることの方が多かったから。
「じゃあ、この木に吊るされてた手紙は重すぎて海に落っこちたのね。生徒と教師の禁断の恋ってとこかしら」
「海流的に、この洞窟に流れつくんだろうな。貸してくれ」
桜路は私から、少しでも強く触れればボロボロと崩壊してしまいそうな湿った手紙を受け取った。桜路はじっとその手紙を見つめる。
「分厚いわよね。枝の方が重さに耐えられなくて折れたのかしら。熟れた木の実みたい」
「そうだな。きっとまだ、この恋文を書いた女の子はこの恋に囚われて、恋心が熟していっているんだろうな」
桜路は流れ着いた手紙をそっと撫でた。ポジティブで、見たこともない人間の恋に思いを馳せるようなお人よしなのだ。
「失恋を忘れたいから木にぶら下げたんでしょ?諦めが悪いわね」
「そう言ってやるな。誰だって好きな人間に感情を受け入れて貰えなければ悲しいだろう。だから、ネム、男を振る時はもうちょっと優しく振ってあげてくれよ」
桜路は太い眉をハの字にして笑う。未来の知らない男にまで優しいのはなんなのよ。私はそんなバカな男を前にして、力が抜ける。
「あぁいうのは徹底的に端的に「アンタなんか好きじゃない」って振ってあげないと諦めてくれないのよ。脈があるって勘違いするから」
「……そうだよな。はは」
◆◆◆
「…………」
嫌な夢を見た。過去の夢だ。
その日一日、不機嫌なのが顔に出ていたのだと思う。
授業中、明らかに私を当てようとしていた教師が思わず隣の生徒に照準を変える程度に。
「いやーわかるよわかる」
全てを先回りして勝手にわかった気になっている女、林檎がアルバムをめくりながら同調してきた。今日はまだ一言も言葉を交わしていないというのに「わかるわかる」から会話を始める神経のやつに私の感情がわかってたまるか。
「戻らない過去って、夢になって襲ってくるんだよね」
わかるんかい。
私は「当たりよ」と答える代わりにため息をついた。
「すご、本当に当たったんだ。進路希望占い師にしようかな」
「進路希望調査、そういえばそろそろ締切ね」
高校三年生の初夏。良い大学を目指す人はとっくに佳境に入っており、部活動は最後の大会に向けて動き出す時期。いなくなった幼馴染なんかにかまけている暇はない。
「おーくんとあーちゃんはそういう意味では進路が駆け落ちだったのかな」
「そんなものを進路先として認めていいわけないでしょ。駆け落ちなんてむしろ過程じゃない」
「そうなんだよ。駆け落ちって過程なんだよね」
なんと、本題だったらしい。どんな会話の回し方だ。
「……駆け落ちってことは何かから逃げたかったのかしら」
「定番は親に反対された、とかだよね」
「少なくとも桜路の両親は良い人だけど」
「何それ、幼馴染アピール?私も知ってるけどー」
いちいちつっかかってくるなこの女。家族。桜路には当然家族がいる。両親は海外出張で家を留守にしていることは多いが定期的にテレビ電話などで連絡を取り、子供が風邪をひいた時はわざわざ海外から帰ってくる、愛情はある家庭であった。桜路側の家族が原因の駆け落ちには見えなかった。
「まぁ、だから、理由があるとしたらあーちゃんの方なのかなって」
あーちゃんとは泡歌のことだ。紛らわしい呼び方するんじゃないわよ
「アイツがどんな家庭環境してるかしんないけど、毎日弁当作ってもらってたじゃない」
「あー、やたら綺麗な卵焼きのやつね」
「だから愛されてはいたんじゃない。知らないけど」
第一、愛されて育ってなければ、あんなに無知で無邪気でいられないだろう。
それなのに、アルバムの弾けんばかりの眩しい笑顔が今では全てお面に見えてくる。
「……燃やそうかしらこのアルバム全部」
「ちょっと、何言ってんの」
こんなもの最早思い出などではなく特級呪物である。お焚き上げしてさっさと次に進んだ方が良いに決まっている。このまま燃やすか、アルバムごとあの神社の木に吊るしてしまえば林檎だって諦められるわよ




