番外SS「青と猫の家計簿」
朝いちばん、広場の角で黒帽の猫――ルカが、青の帳場にひょいと飛び乗った。
「決算だよ、青。胃にやさしいほうのやつ」
青の絵巻工は筆先をふるわせ、猫の尻尾が作るメトロノームに歩幅を合わせた。帳面の見出しは短い。「薄片の行き先」。行、二つ。余白、多め。
「まずは“凡例シール”。薄金点の呼吸は安定、レア名乗りの胃酸は中和済み」
「うん、売上は踊らない。踊らない数字は猫にもやさしい」
ルカは前足で一を二に、二を三に、三をすぐ一に戻した。戻す速さが投資の癖だ。
「次。“切頂台紙”。尖りは今日も台になった?」
「台は足の裏で静かです」
「良い。足の裏が静かな街は、財布が眠る」
そこに白がやって来て、布の角をぎゅっとつまんだ。
「角は丸く。数字は小さく。――猫、あなたの家計簿は詩が多い」
「詩は胃薬。説明は消化不良の原因」
青が笑って一行だけ足した。“詩=説明の薄片”。猫は満足そうに喉を鳴らす。
欄外の投函口が、コト、と息を吐く。裏花の紙が一枚。
〈『薄い王冠』の模写を子の自由帳に載せたい。薄金点は描けない。どうすれば〉
青はすぐ返事をしたためた。
〈薄金点は描かない。余白に丸・棒・波を小さく。――光は説明せず、呼吸で示す〉
ルカが頷く。「高級は描写でなく、間で伝わる」
広場の端で小乱がひとつ。屋台が“水の丸”を二つ並べ、喉の渇き自慢を始めた。
青は帳面を閉じ、筆ではなく視線で動く。
――笑い一打。
――数字窓を一つへ。
――白の布で喉の端を拭く。
乱れは二息で収束。猫の尻尾が「二」を描いて止まる。
「さて、今日の配分だ」ルカが帳面に顔を寄せる。
「研究へ四、刷りへ三、導線へ二、布へ一。――年一見直しは忘れずに」
「変えないのが礼法。けれど、見直すのが礼儀」
「その言い回し、請求書に印刷したいね」
そこへ舞台のローレンスが来て、扇を胸下でひと振り。
「楽屋の子が家計簿を読みたいと言う。数字は眠く、詩は甘いから」
「では“当て絵・経理版”を」青が小さな台紙を二枚出す。
――問題:『売上が踊りそうだ。どう止める?』
答え:〈凡例を貼る/数字窓を一つに/笑い一打〉
――問題:『布が足りない。どこを薄く?』
答え:〈自慢の形容詞〉
ローレンスは扇の骨を一回だけ鳴らし、「すばらしい。削るべきは形容詞」と笑う。削られた形容詞は、胃の壁を撫でる。
セドリックが外縁から戻り、盾の縁で朝の光をひとかけ切った。
「護衛対象。“薄い危険”――無。……『帳簿は嘘がつけない』という小声あり」
「帳簿は嘘を嫌う。詩は嘘を薄める」ルカが言う。「合わせれば、だいたい正しい」
昼の鐘が一度。青は帳面に今日の四行を残す。
――売上は踊らないようにする
――配分は胃の機嫌を見る
――自慢は薄皮袋に移す
――余白で王冠を支える
「締めは?」とルカ。
青は小鈴を指で押さえた。「――一打」
響いた音は、短く低い。帳場が一瞬だけ広がり、すぐ、落ち着く。
猫は満足して帳面の端に丸くなり、尻尾で一行だけなぞった。
――“退屈は黒字”。
午後の風がページを一枚だけめくる。そこには空欄。空の値打ちは、次の配当で決まる。青は筆を洗い、白は布を干し、灰は砂灰を袋に戻し、金は薄金点のインクを蓋で守った。
遠見塔の小鈴が、きょうも一度だけ、乾いて低く。