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(第27話)婚礼号・校了/静かな祝辞

 朝の黒板は、夜露を飲んでからだの温度を少しだけ落とし、活字を迎えにふさわしい平熱に戻っていた。左上の太字〈未定〉は薄くも濃くもならず、昨日と同じ態度で座っている。未定が慌てない朝は、だいたい良い日だ。


 私は黒板の中央に四角を描き、その上へゆっくりと筆で二字を書いた。〈校了〉。紙の上の“戦闘停止”に近い言葉だ。戦いは昨日までに済ませておく。今日は整える。


 〈婚礼号・校了(本紙/裏面連動)〉

 ――導線図(灰)……最終版。待ち椅子×4/“手置き台”×3/町結びの矢印。

 ――白の静かな水(白)……音紋“コト”二連(低)。白線の避譲図。

 ――笑い鈴(青)……譜面・権限・余白係/“子は手の上の鈴”。

 ――旗と告示(金)……高天域/空の比1:3以内/影の帯早見。

――“扇の高さ”……胸下/紐支給/手置き台で一拍。

 ――“恥の運用(婚礼版)”……嘲り短く・場所限定・図で訂正。

 ――【未定】式の形・日取り(太字のまま)。

 ――【言葉】“未定=待つ準備。焦りは三角を呼ぶ”。


 ――掲げる前に高さを決めよ

 ――踊る前に道を引け

 ――笑う前に鈴を決めよ

 ――告げる前に紙を冷やせ


 王都新聞“杖欄”の見出しはあいかわらず歩く。

 〈9月某日 王都広場 婚礼号・校了 式=未定(太字)〉

 植字工の古株が“校了”の活字を摘まみ、指腹でそっと磨く。「この二字は、舞台なら“袖で深呼吸”の合図だ」と呟く。舞台は呼吸で動き、街は図で動く。今日は両方いる。


 セドリックは外縁を扇形に一巡し、石二つの“旗の膝”を確認してから戻ってきた。「護衛対象。影の帯、午後に一度だけ列へ触れる。……笑い鈴で‘間’を一拍入れれば回避できる」


 「余白係に伝えます」

 ローレンスは扇を腰で眠らせ、長い棒尺を肩に乗せた。「校了の日に“高く上がる癖”が出る。棒で測って、低く褒める」


 ◇


 午前の最初は“導線最終合わせ”。灰の矢印の“間”を半歩広げ、待ち椅子の向きの角度を五度だけ直す。五度は地味だが、転びを減らす。

 工匠の娘が“紐治具”で張りを均し、塔番の少女が“濡れ鈴”の袋を布で二重に。

 ――紐は張っても人は張るな

 ――人は緩めて列を保て


 “声欄”の朝一番は短い二枚。

 ――“扇紐の結び、左利き用も欲しい”(工匠街・男)

 【改め】〈左結び図を追補〉

 ――“待ち椅子の布が冷たい”(北区・老人)

 【改め歌】

 ――椅子は座って温める

 ――温まったら渡しなさい

 ――渡した椅子は誰かの背

 ――背が楽になれば明日が進む


 古株は“左結び”の版木を彫るとき、舌の先をほんの少し出した。難しい彫りは子どもに似る。素直にむずかると、仕上がりがやさしい。


 ◇


 白の欄――聖女リリアが“静かな水”の導線に、青から回ってきた“花の枠”を重ねないよう微調整している。

 「花は青へ。白の水は、影の中を通ります」

 私は“影の帯早見”の隅に、小さな点線を添えた。白の列は影の芯を踏む。影は陽の代わりに静けさを貸す。


 そこへ、杖欄の若い記者が小走りで来て、半分笑いながら半分困っている顔を見せた。

 「“婚礼号”の【言葉】に“『未定=待つ準備』の由来を入れて欲しい”と声が多くて。……短く、重く、やさしく」

 「三行で」

 私は黒板に書いた。

 ――未定は“空白”ではない

 ――未定は“余白”である

 ――余白は“合意の椅子”を置くための地面だ


 記者は胸の前で紙を抱きしめる癖を出して、「これなら歩く」とうなずいた。歩かない見出しは、見出しではない。


 ◇


 校了の前に、最後の“軽い不穏”。広場の角で、藍布に金縁の旗が一本、規程外の高さに上がる――昨日の“踊る足”の一派の残り火だ。

 私は大鈴に触れかけて、やめる。

 ――影で示す。

 小鈴、二打。

 「旗の影、列にかかっています。一拍、下げて“石二つ”まで」

 灰の係が“手置き台”を滑り込ませ、持ち手がそこで深呼吸――旗は、自分でわずかに低くなる。

 ローレンスが棒尺で“胸の線”を空気にトレースし、余白係が笑い鈴を“合意の一打”。

 ――高い主張より低い深呼吸

 ――深呼吸の後は列が進む


 セドリックが横で囁く。「護衛対象。停止は不要。……今日は“図が剣”だ」


 ◇


 昼の鐘。一度。私は“婚礼号・校了”の版下を持ち、植字工の古株と若い記者の前で、順番に“歩かせる”。図→数→言葉→太字の〈未定〉。

 古株が“訂正”の活字を磨きながら言う。「“校了”の紙ほど“訂正”がよく売れる。……だから“訂正”は最初から美しく」

 若い記者が頷き、「【訂正欄】は常設。婚礼でも常設」と書き添える。

 私は小さく笑って、裏の余白に一行。

 ――恥は短いほど読まれる


 その時、遠見塔が山向きに旗。〈銀84→85。坑口“笑い鈴”一打で“列崩れ”回避、報告三件。〉

 ローレンスが扇を撫で、「譜面の勝利」と呟いた。笑いを“戻す”技術は、街でも山でも同じ動作をする。


 ◇


 配布前の“最終点検”。金の欄では“旗と告示”の保存図を二部作り、王門と広場に貼る順序を確認する。

 「王門には“未定”を太字で」

 出納官が紙束を抱え、法規課の若造が“やさしい条文”の紙を胸に挟む。

 ――“未定と焦りの距離を規定する”

 若造の条文は、口にすると少し可笑しいが、紙に置くと骨になる。紙はたまに人間を立派にする。


 青の欄では“余白係”の配列を一歩ずつ調整。笑い鈴の前に手を上げて“間”を示す役は、舞台出身者と街の案内の混成。

 「間は、厚さで見せる」

 ローレンスが言う。“間”は時間ではなく、厚みだ。厚みのある“間”は、人の衝動を吸う。


 ◇


 午後、校了刷が広場に戻ってきた。紙は湯気を捨て、匂いだけ少し残す。

 〈9月某日 王都広場 婚礼号・校了 式=未定(太字)〉

 ――導線最終/白の水(低二連)/笑い鈴譜面(子は手の上)

 ――旗規格(高天域・空比)/扇規程(胸下)

 ――恥の運用(婚礼版)/余白係・手置き台

 ――【言葉】“未定=余白。合意の椅子の地面”

 ――【訂正欄(常設)】――空(今日のところは)


 裏面は“高さ早見図”と“影の帯”。矢印が多く、数字は少ない。矢印は踊らない。踊らない図は、祭の日に強い。


 配布を始める前に、私は柱の下に小さな木台を出した。そこへ短い紙片――“祝辞”――を置く場所を作る。

 〈祝辞の扱い(婚礼前)〉

 ――短く(息一つ)。

 ――数字または図を一個、添える。

 ――個人攻撃は不可。“自分語り”は青の枠へ。

 ――“笑い鈴”と同時に鳴らさない。

 ――読み上げは“声欄”編集が代行。


 ――祝辞は短いほど長持ちする

 ――長い祝辞は足を疲れさせる


 迅速会の代表が紙片を一枚置く。〈“列のパン、出します(青)”。個数:二百。分配は灰〉。数字の祝辞は、よく働く。

 修道女の会計係は〈“白の水、担ぎ手募集中”。必要数:八〉と書き、山から来た子は〈“歌、三行だけ”。――“間”と一緒に〉と短く。

 ルカは、珍しく真面目に一行。〈“高い主張は軽い。低い図は重い”。――旗一、掲出費は金〉。彼の祝辞は、猫の尻尾ほどの長さで、街の重心の方へ落ちた。


 ◇


 配布が始まる。紙は歩く。走らない。走らない紙が、今日はいちばん早い。

 配布の列の端で、セドリックが静かに告げる。「護衛対象。“薄い危険”――なし。旗は規程、扇は胸、三角は欄外」

 「欄外は監査へ。……欄内は声へ」


 “声欄”には、もう“祝辞の返歌”がいくつも投函されていた。

 ――“椅子の布、座ったら温かい”(北区・老人)

 ――【採録】〈“座って温める”の図〉

 ――“笑い鈴、一打で十分でした”(南区・女)

 ――【採録】〈譜面の横に丸印〉

 ――“扇紐、左結びできた!”(工匠街・男)

 ――【採録】〈左結び図に小さな花〉


 古株が誤植を拾い、若い記者は“祝辞の短さ”に満足げな顔をした。短さは退屈の誇りだ。


 ◇


 その時――王宮から灰の封蝋。封を切る前に、すでに内容の匂いが“淡金”。

 〈王門:掲示完了。“未定”太字のまま。……“祝辞”の欄を王門にも〉

 王門に祝辞欄。旗は高いが、中身は低い。

 私は黒板の隅に一行を置いた。

――高い門ほど低い言葉を求む


 王太子が柱の下へ来た。外套は地面の高さ、視線はいつもより少しだけ下――紙の高さだ。

 「――“婚礼号”、校了。……『式は未定』を、今日もう一日残す。明日、天気と風と“声欄”の底を見て、やっと決めよう」


「決めるときも、鈴は三本。笑い鈴は青の許で一つだけ」



 彼は小さく頷き、短い祝辞を木台に置いた。

 〈“椅子二脚、鈴三本。――それで十分”。(王太子)〉

 祝辞は短いほど長持ちする。王族の短さは、国の背骨に効く。背骨は跳ねない。歩く。


 ◇


 午後の半ば、“静かな祝辞”の時間を試す。鐘を鳴らさず、笑い鈴も鳴らさず、ただ“声欄編集”が三枚だけを読む。

 ――“列のパン、二百。分配は灰”(青)

 ――“白の水、担ぎ手八。音は低く二連”(白)

 ――“高い主張は軽く、低い図は重い”(金)

 読み上げは耳の高さ、字面のまま。飾らない言葉は、音より重い。

 ローレンスが扇を開かずに胸で一度だけ振る。余白係の合図――拍を一つだけ遅らせて、場がふっと均される。

 ――祝辞は風 図は石

 ――石の上に座って風で乾かせ


 “静かな祝辞”は、すべてが小さかった。小さいが、残る。残るから、よかった。


 ◇


 夕刻前、“婚礼号・校了”の増刷が戻り、配布は二巡目へ。王門と広場で同じ紙が同じ歩幅で進み、遠見塔から山に旗。〈銀85→85――変わりなし。“安定”〉。

 セドリックが盾の縁で夕光を受け、私の方へ淡い金を返す。「護衛対象。今日は“剣”が眠気を覚えてあくびをした。……それでいい」


 「剣のあくびは、街の子守歌です」


 ルカが帽子を軽く叩き、猫のように背を伸ばした。「市場もあくびをしている。退屈は、利益の深呼吸だ」


 ◇


 片付けに入る前、私は黒板の隅に四行を置いた。

 ――退屈は、校了の音

 ――退屈は、祝辞の短さ

 ――退屈は、影で測る高さ

――退屈は、未定を抱いたまま歩く


 植字工の古株が“訂正”の活字を箱に戻し、最後に“未定”の活字を撫でた。「明日、“未定”を太字から外すかもしれない。……だから今夜は、未定を太字のまま眠らせよう」


 若い記者が頷き、“声欄”の底を指で確かめる。「底が浅い。……街は満腹だ」


 王太子が柱の下で立ち止まり、私にだけ聞こえる声量で言う。

 「――明日、天気を見て“式”の形を決める。大きくしない。……“二脚と三本”のままで」


 「二脚と三本。――青は笑い鈴一つ。金は旗を巻き気味に。白は水を低く。灰は椅子の脚に布」


 「全部、混ぜない」


 彼は短く笑い、去った。背の高さは地面の高さと変わらない。変わらない高さは、紙にとってやさしい。


 セドリックが私の椅子の脚から布を外し、丁寧にたたむ。「護衛対象。明日も‘背中と鐘の間’」

 「変えません。……それが退屈の礼法です」


 ローレンスが扇の骨を一度だけ鳴らし、「‘静かな祝辞’、舞台でもやる」と言った。「客席が落ち着く。――金の音は控えめに」


 私は棒の鈴をひとつ鳴らした。小鈴、二打。採択の音だが、今日は“おやすみ”の意味で鳴る。

 “婚礼号・校了”は棚で冷え、鈴は布で眠り、椅子は重ねられる。王門の“未定”は淡金の空の下で太字のまま、夜気を吸う。


 ざまぁは、誰かの派手な祝辞を切り刻む芸ではない。祝辞を短く整え、図を前に出し、旗の高さと扇の胸下を守り、未定を太字のまま眠らせる手配だ。手配が整えば、剣はあくびをし、盾は退屈の角度で立ち続けられる。


 遠見塔の小鈴が夜に一度だけ、乾いて低く鳴った。いい夜は、鈴の数が少ない。

 ――第28話「式の決定/未定から定へ」へ続く。

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