表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

25/41

(第25話)婚礼号・第1稿/笑い鈴の稽古

 朝の黒板は、薄く磨かれた石のように静かだった。端に太字〈未定〉がひとかけ、昨日と同じ濃さで座っている。未定が落ち着いていると、街は落ち着く。

 私は左上に新しい欄を立てた。


 〈婚礼号・第1稿(案)〉

 ――導線図(灰):入口→椅子→退出。

 ――白の静かな水(白):位置・合図。

 ――笑い鈴(青):規格・権限・一打の長さ。

 ――旗と告示(金):図保存・太字の未定。

 ――“恥の運用(婚礼版)”:嘲り短く・図で訂正。


 ――踊る前に道を引け

 ――笑う前に鈴を決めよ


 王都新聞“杖欄”の見出しは今日も歩く。

 〈9月某日 王都広場 婚礼号・第1稿 式=未定(太字)〉

 植字工の古株は“未定”を撫でてから、活字箱の端を軽く叩いた。「未定は叩くと鳴る。太字は鈴の友だ」


 セドリックは広場の外縁を扇形に一巡し、盾で朝の光を一寸だけ跳ね返す。跳ね返した光は、黒板の白線に薄い金を混ぜる。

 ローレンスは扇を腰で眠らせ、代わりに細い棒と紙を持ってきた。「“笑い鈴の譜面”を作る。舞台では笑いは音楽だ。街でも譜にしてしまおう」


 ◇


 午前は“笑い鈴の稽古”。台の上に三つの鈴――大・中・小――と、新たに小さな“笑い鈴”。鈴は多いほど危ないが、権限が狭ければ安全だ。

 私は青の欄に“笑い鈴・譜面案”を貼る。


 〈笑い鈴・譜面案〉

 ――一打=「合意の笑い」。長さは息一つ。

 ――二打=「訂正の笑い」。自嘲・他嘲不可。

 ――三打は存在しない(停止は大鈴)。

 ――鳴らせるのは青の章(波)。

 ――個人名の上には鳴らさない(図で遮蔽)。

 ――“改め歌”を必ず添える。


 ――笑いは灯 油は短く

 ――長くすれば煤になる


 「実演を」

 迅速会の代表が肩をすくめ、波章を胸に立つ。ローレンスが棒で譜を指し、私は小鈴の横で息を整える。

 代表が笑い鈴を一打――短く高い音が、紙の上をすべり、黒板の角で止まる。

 ローレンスがすかさず詩を一行。

 ――椅子は重ねて軽くなる

 ――重ね忘れたら笑い一

 広場に柔らかい笑いが走り、すぐに落ち着く。落ち着く笑いは、よい。


 次に“訂正の笑い”。私は中鈴を一打で“誤り”を立て、代表が笑い鈴を二打、ローレンスが詩。


 ――見出し太字が踊りすぎ

 ――訂正太字で足を揃えよ


 笑いは短く、数字は残る。数字が残れば、恥は短い。


 そこへ、黒帽――ルカが人の背からするりと現れた。襟の乾きは相変わらず完璧だ。

 「“笑いの譜面”か。市場にも配ってくれ。……“自嘲禁止”は良い。自嘲は安い宣伝になるからな」


 「宣伝は青。“笑い”は青の中でも厳しいです」

 私は譜面の端に小さく追記した。〈商い笑いは“価格”と“数”の図を添える〉。

 ルカは肩をすくめ、「退屈は本当にコスト高だ」と言い、しかし目は楽しそうだった。退屈を好む投資家は、長生きする。


 ◇


 “声欄”には、朝から“やさしい刃”が何枚か投函されていた。

 ――“笑い鈴、子も触れますか”(南区・子)

 ――【改め】「触れる。ただし波章の手の上で。図:手の上の鈴」

 ――“白線の上に花を置いてよい?”(工匠街・女)

 ――【改め】「花は青の枠へ。白線は歩くために」

 ――“婚礼が苦手です”(西門・老人)

 ――【改め歌】

 ――苦手な祭は影で待て

 ――影が冷たき時もある

 ――冷たき影を白で温め

 ――灰の椅子で短く座れ


 若い記者は採録を“歩かせ”、古株は誤植を先回りして拾う。「“冷たき”の“た”がよく倒れる」と彼は言った。私は“た”を太字にして笑った。文字の体幹を鍛えるのも、退屈の仕事だ。


 ◇


 昼前、聖女リリアが修道服の裾を持ち上げ気味に駆けてきた。頬は少し赤い。

 「“白の水”、婚礼の日は『手桶二・樽一』で十分ですが、歌をもう一段“低く”に。老人の耳に優しく」


 「白の音紋、半音下げ。……そして“白の待ち椅子”を増やします」

 私は白の欄に“待ち椅子×2”を追記。

 リリアは頷き、少しだけ息を整えて言う。「“式は未定”のままが、街を落ち着かせています。……きっと“未定”にも祈りがある」


 「未定は、約束の余白です」


 ◇


 昼の鐘。一度。私は“婚礼号・第1稿”の版下へ“譜面”を差し込む。笑い鈴の記号は丸に小さな波印、訂正の笑いは二つ並び。

 〈9月某日 王都広場 婚礼号・第1稿 式=未定(太字)〉

 ――導線図(灰)/白の水(白)/笑い鈴の譜面(青)/旗の保存(金)

 ――“恥の運用(婚礼版)”

 ――【言葉】“未定とは、待つ準備ができている状態”


 配布を始めると、遠見塔から山向きに旗。〈山:銀82→83。“笑い鈴”試作、坑道口で一打。『子どもが笑ってすぐ作業に戻る』〉

 ローレンスが扇の骨を撫で、「笑いが“戻す”働きをした」と目で言った。笑いが戻すなら、譜面は正しい。


 ◇


 午後は“導線”の稽古。椅子の列に“待ち椅子”を四脚足し、譲り歌を掲示する。

 ――椅子は座って温める

 ――温まったら渡しなさい

 ――渡した席が戻ってくる


 工匠の娘が“紐治具”で紐の張りを均し、塔番の少女が“濡れ鈴”の袋を点検する。

 セドリックが囁く。「護衛対象。角に“踊る足”ひとり。視線は“笑い鈴”。手は空」


 私は波章の係をその手前に立て、譜面板を少しだけ回して見せた。“笑い鈴は青の手の上”。

 角の影は近づいて、譜面を読んで、ため息をひとつ、踵を返した。譜面は剣より刺さるときがある。


 ◇


 “紙を守る会(元)”の古株が、活字箱を抱えて現れた。

「“婚礼号”は誤植が命取りだ。……特に“笑い鈴”の記号、二つを一つ落として『嘲り』にされると厄介」

 「記号の縁を太く。……“嘲り禁止”は太字で」

 古株はにやりと笑い、「太字の刀は重い」と言った。重い刀は抜きにくい。だからこそ抑止になる。


 ◇


 午後半ば、“声欄”に一通。薄い紙、整った字。差出人は“扇の柄”の誰か――名はないが、匂いでわかる。

 ――“舞台の者にも役割を。『余白係』として”

 私は即答で採録し、青の欄へ図を足す。〈余白係=拍を遅らせる役/笑い鈴の前で手を上に〉。

 ローレンスが深く頷く。「舞台の最良の技術は“間”。街でも通用する」


 ◇


 夕刻前、王宮から灰の封蝋。〈監査:三角印の版木押収に伴い、版元二名出頭。“踊る足”の指導を認める。『婚礼で“笑い鈴”を乱打予定』と供述〉

 私は黒板の隅に冷や水の歌を置く。

 ――鈴は水でも冷えるもの

 ――冷えた鈴には譜を載せろ

 ――譜が読めねば手を下ろせ

 ――読めるように歌を足せ


 セドリックが盾で視界を広げ、「護衛対象。乱打は鈴ではなく“手”の衝動だ。手は図で疲れさせる」

 「“手を置く台”を作ります」

 私は灰の欄へ〈手置き台=笑い鈴の隣/波章の係が“間”を指定〉と記し、木工に回した。


 ◇


 日が傾いたころ、“婚礼号・第1稿”が刷り上がって戻る。紙はまだ温かい。

 〈9月某日 王都広場 婚礼号・第1稿 式=未定(太字)〉

 ――導線図/白の水/笑い鈴の譜面/旗と告示/恥の運用(婚礼版)

 ――余白係の図/手置き台

 ――【言葉】“未定=待つ準備”


 裏面に小さな欄――〈小さなお願い〉。

 ――“花は白線に置かないで。青の枠へ”

――“笑い鈴は青の手の上で”

――“譲り歌、一度だけ大きな声で”

――“写真は……まだない。図で”

 古株が「“写真”の語、遠い国の言い回しだな」と首をかしげ、若い記者が「図で十分」と笑って収めた。遠い言葉は時々、噂を乾かす。


 ◇


 王太子が柱の下に来た。地面の高さ。

 「――“婚礼号”、良い。『未定=待つ準備』は、王宮でも貼りたい」


 「金の箱で貼ってください。旗は高くても、中身は図」

 「図で貼る。……笑い鈴の譜面、私も覚える」

 彼は笑いを喉で止め、短く言い足した。「“祝いの言葉”は短く。……退屈に」


 「退屈の祝辞は、長持ちします」


 彼が去ったあと、ルカが手袋を外し、指で空を示した。「“未定”を太字で抱えた婚礼。市場が値踏みしにくい。……だから安全だ」

 「値踏みしにくいものほど、噂は短くなります」


 ◇


 片付け前、子どもたちの“笑い鈴・小稽古”。波章の係が手を貸し、譜面を指でなぞり、子は息一つで一打。

 ――椅子に座って背すじ伸びた

 ――その背すじで明日も歩け

 柔らかい笑いが一枚だけ広がり、すぐに消える。消えた後に残るのは“歩幅”だけだ。


 セドリックが私の横に立ち、低く言う。「護衛対象。今日、“剣の居場所”を一度も思い出さなかった」

 「よい日です。……剣は白の後ろで眠っています」

 「盾は灰の距離。明日も変えない」


 ローレンスが扇の骨を一度だけ鳴らし、「余白係、いい役だ」と笑った。「舞台が街に謝意を返す番だ」


 私は黒板の隅に、四行を置いた。

 ――退屈は、笑いの譜面

――退屈は、未定の抱き枕

――退屈は、手を置く台

――退屈は、拍を合わせる


 “杖欄・夕刊(準備)”が配られ、声欄の底は浅い。浅い底は、街が満腹の印だ。

 私は算盤に布をかけ、棒の鈴をひとつ鳴らした。音は短く、乾いて、明日の紙の余白に吸い込まれる。


 ざまぁは、誰かの晴れ舞台で笑いを乱射することではない。笑いの譜面を配り、余白に手を置き、未定を太字で抱いたまま、椅子で約束を座らせることだ。譜面があれば、人は無闇に高く笑わない。高く笑わなければ、長く歩ける。


 遠見塔の小鈴が夜に一度だけ、ゆっくり。

 ――第26話「婚礼号・第2稿/旗と扇の高さ」へ続く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ