表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/41

(第22話)やり直しの席(後)

 朝の黒板には、昨夜のうちに貼った“第2稿”の薄紙が、露でわずかに波打っていた。波は悪くない。紙が息をしている証拠だ。見出しは鈍く歩く。

 〈本則・第2稿(案)〉

 ――“必要に応じて”:三件限定/72時間/個人印+監査連署/日次公開。

 ――“灰前倒し枠”:総額の一割。

 ――“金箱”:旗。中身は図(白・灰・青のみ)。

 ――“声欄”:日付・地域・図/匿名可/“悪口だけ”不可/訂正は太字。

 ――“章”:色・触り印・音紋/公章と私章の分離。

 ――“席”:椅子18/箱順/一人一節/結論は“椅子の移動”。


 余白は二つ。〈雨〉と〈三角〉――昨日の“未定”。空は灰色、風は紙の端をめくる程度の弱さ。めくれる程度が、いちばん油断を生む。


 「午後、“席(後))”。――午前は“雨の試験”を入れます」

 私は黒板の隅に〈雨中手順〉を立てた。

 ――章:反射糸・触り印の確認。

 ――鈴:鈴帯の防水。投函箱の“雨蓋”。

 ――図:墨→炭筆。板は油拭き。

 ――席:椅子脚に布、白線は炭。

 ――“杖欄”:雨号(図多め)。


 セドリックが頷き、盾の縁で石面の“濡れ方”を量る。濡れ方に偏りが出ると、転ぶ。転びを先に見つけるのが護衛の学問だ。

 ローレンスは椅子の脚に布を巻き、ついでに自分の扇にも布を巻いた。「舞台の雨は作り物だが、街の雨は本物だ」


 王太子は柱の下で短く言う。「“三角”は、昨夜も箱に触れた。――鈴帯は二重に」


 「鈴は重くして、音は軽く」


 ◇


 午前の巡回は、空の色と相談しながら“雨の試験”。洗濯場では白章の修道女が“夜仕様・半音下げ”の音紋を確かめ、鍛冶場では手袋章の凹凸が濡れ手で読めるかを試す。子どもが“雨蓋”の開け閉めを練習し、投函箱の中に鈴粉を小さくまぶす。

 ――濡れた紙には太字が効く

 ――濡れた道には鈴が効く


 「柄の楕円、濡れでも滑らない」井戸守がうなずく。「ねじは二本で足りる」

 「足りる、を紙にする」私は“杖欄・雨号”の余白に添える。足りるを紙に載せるのは、豪華ではないが強い。


 ◇


 昼前、空の灰が暗くなり、最初の滴が椅子の背に小さな黒点を開けた。黒点は、儀式の開始の印だ。

 〈雨中手順・実施〉の板を出すと、広場の音が一段下がる。雨は噂よりも良い司会者だ。

 投函箱に“雨蓋”。鈴帯の留め具を指で押す。鈴は鳴らないが、鳴らせば必ず鳴る。これが大切だ。


 そこへ、黒帽――ルカが傘も差さずに現れた。襟元だけ完璧に乾いている。猫は濡れ方にまで投資する。

 「“雨の市場”は、見出しがよく売れる。……が、今日は売れにくい。君が先に数を並べたからだ」


 「数は濡れても読めます。――炭筆ですから」


 彼は笑い、肩をすくめた。「敗けの学びは多い。午後、“席(後))。見届けよう」


 ◇


 昼の鐘。一度。雨は細く、長い。私は椅子脚の布をもう一巻き足して、白線を炭で引き直す。

 「――“やり直しの席(後)”。未定の二つ、“雨”と“三角”を片付けます。箱順で」


 “白”。修道女の会計係が“雨の救急動線”の図を掲げる。

 「白章は音紋“コト”に“濡れ鈴”を追加。雨中は二連音。――搬送は“灰の矢印”を踏む」

 私は図に○印を足す。“踏む”は雨で消えにくい。


 薬屋の女主は簡潔。「炭筆の“符丁”を統一。短い黒点=一刻。二点=二刻。……雨は紙を食う」


 “灰”。工匠代表は椅子の布巻きを実演し、「足幅を一定にする“紐治具”を、灰から配る」と言う。井戸守は“雨蓋”の改良図――“溝に水が逃げる角度”。

 「紐治具、十束」私は声を立てて数え、杖欄の雨号に入れる。数は傘だ。


 “青”。迅速会の代表は「雨の日の“祭延期基準”を青で出す」と手短に。

 “紙を守る会(元)”の古株は、新聞の雨号を叩く。「紙は濡れる。だから“声欄”は裏へ。……見出しは小さく、図は大きく」


 “金”。法規課の若造は、“本則・第2稿”に“雨中手順”を織り込む条を読み上げる。「――『雨天時、公開手順は炭筆図に代替可』」

 出納官は“前倒し枠”の“雨割”――“見回り灯の油”と“紐治具”の緊急支出の線を引く。


 “声”。若い記者は手短に。「“雨号”固定化。『水・人勘定』の欄は図優先」

 山の子は、呼吸を一つ整えて――

 ――濡れた道でも足は揃う

 ――揃えた足で椅子が立つ

 ――立った椅子で約束座る


 雨が一瞬だけ強くなり、広場が黙る。黙る沈黙に、約束が座る音がした。


 ◇


 第二題。“三角”――薄い悪戯の矢印。私は板の上に“符牒と欄の区別”の図を置く。

 〈符牒=合図/欄外。監査へ〉

 〈声=改善/欄内。声欄へ〉

 「“三角”は“声”ではありません。――“合図”。箱に貼れば没収、科料は軽、学習振替。……ただ、今日は面と向かって来た“声”を一つ、席に載せます」


 人垣がざわめく中、黒外套の若い植字工――“紙を守る会”の残火が、雨の筋を真っ直ぐ切って前へ出た。細い三角の小札を、わざと高く掲げる。

 「“三角”は“早い紙”の符。……だが、俺は“遅い紙”の弟子になる。――席で、やり直したい」

 彼は小札を灰の審理官へ渡し、空の両手を見せてから、青の椅子の背に触れず、灰の白線の内側に立った。立つのも合意だ。


 私は短くうなずき、歌を一行足した。

 ――合図は欄外 声は欄内

 ――欄の中でやり直せ


 “紙を守る会(元)”の古株が立ち、「誤植拾いに弟子を」と言い、若造は深く頭を下げた。恥は短く、残すのは図――運用どおりだ。


 ◇


 ここで、雨が“試験”から“本番”に変わった。風が一段上がり、紙の端が一斉に踊りかける。踊りは舞台へ。広場は歩く。

 投函箱の“雨蓋”が一つ、風で煽られ、鈴帯に擦れた。鈴が一回、湿った音で鳴る。

 「――“雨蓋の紐”、逆撚りで固定!」

 ローレンスの声が舞台の袖から客席へ降りる早さで走り、工匠の娘が“町結び”で留め直す。濡れた紐は嘘の滑りを嫌う。


 「席、続けます」私は中鈴を一度鳴らし直した。音は細いが、線になる。


 第三巡。“結論は椅子の移動”。

 「――“本則・第2稿”。“雨中手順”“符牒の欄外化”を加え、仮ではなく“採択”へ。――線の左、半歩」


 白。二脚とも左へ。

 灰。二脚、迷いなく左。

 青。迅速会と古株、左へ。

 金。若造は左へ、出納官は線上で一拍置き――そして左。

 “声”。記者は左。山の子は、足をそろえたまま、身体だけ半歩、前へ。子の前へは、未来の承諾だ。


 雨脚が板を斑に濡らし、炭の線が少し太る。太った線は、強い。


 私は小鈴を二度。二打は訂正。今日は“仮”の訂正から“採択”への訂正だ。

 「――“本則”、採択。『未定』は“私のやり直し”のみ。……入札の季節の、最後の札が入った翌日――ここで、椅子は二脚、鈴は三本」


 王太子が短くうなずき、雨の中でほとんど聞こえない声量で、「約束する」と言った。耳の高さは雨でも揺れない。揺れない声は、剣より重い。


 ◇


 席のお開きは、雨仕様で短く。椅子の札を外し、紙は裏面に貼り直し、“杖欄・雨号(臨時)”に〈本則・採択〉を太字で打つ。

 〈9月某日 王都広場 雨中“やり直しの席(後)” 本則採択〉

 ――雨中手順:炭図・雨蓋・鈴帯二重

 ――三角:欄外へ(監査)/声は欄内へ(声欄)

――結論:椅子移動で採択


 周囲がほどけ始めたとき、遠見塔から旗――〈山:銀76→78。桶屋組“手袋章”完了/“私章転用”の行列、青〉。

 黒板の“山欄”に太字で写す。太字は雨でも読める。読める太字は、長持ちする。


 ルカが傘の代わりに笑いを頭上に差し、「市場も、雨の日は歩く」と呟いて去る。金の舌は濡れると音が丸い。丸い音は、今日は合意に似る。


 ◇


 夕刻。雨が上がる。濡れた石が鈍い鏡になり、椅子の脚跡が点線で映る。点線は歩幅の記録だ。

 “杖欄・雨号(臨時)”が刷り上がり、植字工の古株が濡れた指で活字を磨く。磨かれた“訂正”の活字は、今日も美しい。

 〈補記〉

 ――“雨蓋の紐”:逆撚り指定。

 ――“炭図の符丁”:黒点=刻、斜線=停止、波線=迂回。

 ――“章の音紋”:白=コト・二連(雨)/灰=チリ・低(雨)/青=シャン・間引き。

 ――“恥の運用”:雨天は掲示柱の庇下のみ。


 私は黒板の隅に、短い四行を置いた。

 ――退屈は、雨に強い

 ――退屈は、線を太らせる

 ――退屈は、合図を欄外に置く

 ――退屈は、やり直しを席に残す


 王太子が読み、軽く会釈し、去る前にほんの少しだけ私に寄った。距離は小さい。小さいが、紙より重い。

 「――明日から、入札の最後の札を数える。……君の椅子を、二脚、残しておく」


 「鈴は三本、布は乾かしておきます」


 セドリックが背で雨の匂いを押し出し、盾の縁で夕陽をひとかけ拾った。「護衛対象。本則が骨になった。剣は、骨のそばで眠る」


「鈍器は、棚に戻す」



 私は算盤を布で包み、棒の鈴をひとつ鳴らした。音は乾き、短い。短い音は、長い約束の合図だ。


 ざまぁは、誰かの負け顔をコレクションすることではない。雨の中で席を開き、未定を二つ潰し、線を太らせ、鈴で箱を守ることだ。守れた箱は、明日の“私のやり直し”の席を照らす。照らしすぎない光で。


 遠見塔の小鈴が夜に一度、乾いて、低く。

 ――第23話「最後の札/二脚の椅子」へ続く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ