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(第17話)倉二・本則/“杖欄”創刊

 朝の鐘は一度だけ高く、二度目は低く、三度目は鳴らなかった。鳴らない三度は、街が正しく退屈に入った合図だ。北門外“倉二”――石壁の新倉は、夜露で濡れた灰色がうっすらと金気を帯びて見えた。金は旗であり、物は灰である。今日、その原則を“本則”にする。


 黒板の左上に大きく書く。


 〈倉二・本則(公布)〉

 ――中身は“図”で常時公表(白・灰・青の記号+数)。

 ――位置は石壁・水路近接・町結び。

――鍵は“前歌/後歌”と小鈴二重(沈黙符対策済)。

 ――非常時の“必要に応じて”は72時間、個人印+監査連署。

 ――“金箱”は旗として署名、支出は白/灰/青にのみ流す(混色禁止)。

 ――“前倒し枠”は灰の一割(法廷決定)。


 私は「本則」の末尾に小さく余白を残して、そこへ朱で“歌”を落とす。


 ――金は旗でも中身は図

 ――図は退屈だが火に強い


 王太子が私の肩越しに読み、短く頷く。「本則、王印。――扇印は?」


 「扇は今日、舞台に置いてきた」ローレンスが手ぶらで笑う。「代わりに“町結び”の布を持ってきた」


 彼は実演した。輪を二重、結び目を外へ、押さえは濡らす。子どもが真似をし、大人が少し照れて笑う。照れ笑いは“本則”の最初の拍手だ。


 ◇


 広場の反対側では、王都新聞の若い記者と、昨日の植字工の少年が顔を寄せている。新設の“杖欄つえらん”を一面の隣に立てる準備だ。私は覗き込み、板の見出しに朱で花を添える。


 〈杖欄・創刊〉

 ――毎日、図と数。

 ――日付・主体・動作・数、“未定”は未定と書く。

 ――紙は杖と踊る、鈴と喧嘩しない。


 初回の中身は“水”。植字工の指先が活字箱の上で踊る。踊るが、踊りすぎない。記者が読み上げ、私は黒板で追唱する。


 〈水の数・日次(第1号)〉

 ――井戸稼働:42/停止:0/要整備:3

 ――配水中断:0(仮復旧2→本復旧1進行)

 ――夜間見回り:塔番6便/工匠4便(歌あり)

 ――“沈黙符”押収:2(版元A/個人罰→学習振替)


 ――速い紙には風が入る

 ――遅い紙には手が入る


 記者はにやりと笑って、見出しを板に打ち出した。

 〈9月某日 王都広場 杖欄創刊 井戸42・停止0〉

 日付、主体、動作、数――完璧。紙が杖になった瞬間、噂は杖に寄り掛かり、足を緩める。


 ◇


 午前の巡回は短縮版だ。倉二の“本則”を掲げ終えた足で、私は“杖欄”の刷りたてを五十枚抱え、北区の路地へ配る。洗濯場では布の上に四角い“井戸42”が並び、鍛冶場では金床の脇に“夜間6+4”が貼られる。数字は祭ではないが、祭の柱にはなる。柱が増えると、天井が落ちにくい。


 角を曲がると、迅速会の代表がいた。昨日の“差止”の彼である。襟は少し柔らかく、目の疲れはそのまま。

 「“杖欄”に銀貨を――“青”で」

 彼が小箱を差し出す。赤い箱、金の字〈寄〉。

 「週ごとに五。『見出しの杖』の賞金だ。――昨日、箱を間違えた。今日は合ってる」


 「踊っていい箱です」

 私は受け取り、公開の台で開封した。〈青〉の印を押し、背後の子どもに歌を促す。

 ――青は幕 踊ってよい

 ――白は掌 泣いてよい

 ――灰は足袋 歩いてよい

 ――金は旗 遠くで立て


 笑いが揺れ、噂が痩せる。噂が痩せると、陰謀は食べものを失う。


 ◇


 昼前、監査院の灰が二報。〈山:石票停止・二週目。“銀ひとかけ”実施率64%。“三つ目過ぎたら”の周知、歌で進む〉。〈王宮:準備会残の台帳押収。“見出し基金”構想の走り書き、没〉。

 黒板の隅に山歌をもう一度、少しだけ長く。


 ――石は道へ戻すもの

 ――道が残れば水が笑う

 ――笑いの音は鈍いが長い

 ――鈍いが長いは国の足


 セドリックが板の前で腕を組み、歩幅で数字の“強度”を測る癖を出した。

 「護衛対象。今日の脆い線はどこ」


 「三つ」私は指で空に線を引いた。「――“倉二の本則”の穴、“杖欄”の信用、“山”の移行。穴はまだ小さい、だから狙われる」


 「盾は――本則の鍵、杖欄の台、山は歌」


 「完璧です」


 ◇


 昼の鐘のあと、倉二の“本則”の読み上げが始まる。王太子は立ち位置を柱の影から半歩だけ前に出し、耳の高さで声を置く。

 「――“金箱”の中身は白・灰・青の図で常時公表。位置は石壁・水路近接・町結び。鍵は前歌・後歌。『必要に応じて』は三件に限定、期間は七十二時間、延長は再認証。前倒し枠は灰の一割」


 読み上げの最中、群衆の端に“静かな微妙なざわめき”。鈴は鳴らない。私は視線で探る。――黒帽。昨日の投資家、ルカ。相変わらず声は蜂蜜、足取りは猫。今日は猫の背に小さな埃、つまり焦りが乗っている。


 「祝辞を」

 彼は涼しい顔で言った。「倉二・本則、見事だ。……ただ、杖欄は危うい。数字は人を潰す。人は数字を潰す。紙は挟まれて千切れる」


「だから“図”にします」

私は杖欄の紙を一枚掲げる。「読み書きが苦手でも、光と矢印と数は読める。千切れやすい紙は、糊でなく“習慣”で継ぐ」



 「習慣は資本より遅い」

 「遅いものほど、国に残ります」

 彼は苦笑し、手を振って下がった。金の舌は今日、歯切れが鈍い。鈍ると、耳にやさしい。


 ◇


 午後、倉二の“初回棚卸し”――公開でやる。私は台に透明の箱を並べ、子どもに“白=掌”“灰=手袋”“青=幕”の札を配らせた。


 〈本日・倉二棚卸し(公開)〉

 白:毛布30/薬草20束/包帯100巻/清浄水樽10

 灰:板50/釘1000/手袋60/見回り灯12/臨時ポンプ1

 青:幕2/旗一式(濡)/飾り紐(濡)

 ――“濡”の札は乾燥場へ。

 ――“白”と“灰”は搬出記録と照合。

 ――“青”は後日、祭の前日に再確認。


 「なあ、令嬢」

 工匠の代表が頭をかく。「棚卸しを“見せる”のはいいが、“触る手”が増えるとな……」


 「触る手は歌で手袋を」

 私は短く歌った。

 ――見える物には手袋を

 ――触る前には数を言え

 ――触った後には指折りで

 ――数が合えば歌は短く


 触る手は減り、触る目は増える。目は火をつけない。火は、隠れた手が好きだ。


 棚卸しの終盤、若い書記が“青”の束の中に細い紙片を見つけた。薄紙に細字――〈協賛札の“裏契約”:列優先+割増〉。裏面の隅に“細い三角”。

 「新手の符牒だな」ローレンスが眉を寄せる。

 私は紙片を人前に掲げ、声を落とした。「――“協賛”は“広告”。利益は掲示、使い道は絵。列の優先は“青の仕事”でもあるが、“白と灰”の前には出ない」


 杖欄の臨時号外に“協賛の規約”を差し込む。

 〈協賛=広告/列優先は“青内”のみ/白と灰の前に出ない〉

 ――列を進ませる歌:

 ――白は掌 灰は足袋

 ――青は幕なら後で踊れ


 迅速会の代表が、額の汗を拭きながら手を挙げた。「“青”の代理はうちでいい。『裏契約』は噛み砕いて紙にする。――青から金は出す。混ぜない」


 「“踊っていい箱”ですから」


 ◇


 “杖欄・創刊”の刷り上がりが夕刻前に広場へ戻ってくる。見出しは想像以上に“歩く”顔をしていた。

 〈9月某日 王都広場 杖欄創刊 井戸42・停止0〉

 活字の角に指の油がつき、紙の縁を子どもの手が撫でる。紙が杖になる――理屈ではなく視覚の一瞬だ。


 「配ろう」

 若い記者が束を胸に抱え、植字工が肩に担ぐ。私は“杖欄”の端に小さく署名を入れる。“責任の歌”の形で。

 ――必要ならば名が要る

 ――名のない必要はただの願い

 ――歌に名入れ 逃げない証


 配布の列の端で、法規課の若造が固い綴りの書類を抱えて立っていた。

 「本則の“案文”、第0稿。今夜のうちに“法規課内の扇”にも見せる。――“扇の柄”を街の高さへ降ろしたい」


 「降ろすための単語を三つ、差し上げます」

 私は紙の隅へ書いた。

 〈“未定”は“未定”と書く/“必要”には“名”を付ける/“公開”は“日次”で〉

 若造は笑って、戒告札に指先で触れた。「――これ、外す日を、杖欄に載せてもいいですか」


 「退屈な日付ほど、紙に似合います」


 ◇


 夕刻、遠見塔が山からの“二週目”報を振った。〈銀ひとかけ実施率64→71。石票停止に反発の“桶屋組”へ、清掃班への転換補助(灰)開始〉。

 私は黒板に“山の欄”をこしらえ、王都の数字の下へ並べる。

 〈山・二週目:銀71/石票停止“周知”→歌「三つ目過ぎたら石は止む」〉

 ――“桶”は道具に、泥は貨幣に――

 ――道を洗えば数字が通る


 セドリックが、視線だけで満足の印を寄越した。「護衛対象。数字が“線”になって、線が“道”になる」


 「道は、盾の通り道でもあります」


 「剣の、ではない」


 「今は」


 彼は喉の奥で短く笑った。笑いは刃を寝かせる。寝かせた刃は、必要になってはじめて起きる。


 ◇


 片付けに入る前、広場の端で小さな“鈍い”ざわめき。鈍いのは危険の前触れではなく、誠実の歩幅だ。聖女リリアが修道服の裾を指で摘み、息を整えて立っている。

 「“杖欄”、修道院の掲示にもいただけますか。字が読めないおばあさま方に、“井戸42・停止0”を歌って……安心してもらいたい」


 「もちろん。――“白は掌”。あなたの掌は、今日も強い」


 リリアは照れて笑い、印刷所の方へ走った。背に夕陽、影は長いが軽い。


 その時、王宮の方角から駆け足。灰の封蝋。

 〈緊急:祭典局倉・旧台帳の一部が紛失。――“山用木型”の“控え”が見当たらず。欠落時刻、昨夜。〉


 ローレンスの指が扇を握り、骨が鳴りそうで鳴らない。「舞台の癖が、まだ倉に残っている」

 私は即座に黒板へ戻り、欄を一つ増やした。


 〈倉・監査強化〉

 ――“控え”の控えは“図”。

 ――図の控えは“歌”。

 ――歌の控えは“人”。(二人署名)

 ――“欠落”は鐘二、再発で三。


 ――控えがないなら歩いて覚えろ

 ――歩いた数は歌に残れ


 王太子が深くうなずく。「“控えの控え”を“杖欄”の裏面に。――“倉の読み方”の図も添える」


 植字工が「任せて」と真顔で頷き、若い記者は「図は私が」とペンを振った。金の舌は今日は黙って見ている。見ている舌は、たぶん考えている。


 ◇


 夜。杖欄は初日の汗の匂いとまだ乾ききらないインクの香りで満たされている。私は算盤を布で包み、棒の鈴をひとつ鳴らした。

 「護衛対象」

 セドリックの声は低く、柔らかい。「今日は鈴だけで三度、刃の役目を果たした」


 「鈴は剣のいとこです」


 「いとこは、たまに家族より頼りになる」


 「家族に伝えておきます」


 彼は喉の奥で笑い、真面目に戻る。「――“やり直し”の席。入札の季節が終わるまで、あと幾夜」


 「数えません。数えると、歌が甘くなる」


 「甘い歌も、たまには」


 「祭の箱にお願いします」


 ふたりの笑いは短く、黒板の角で静かに消えた。紙がひとひら、夜風に鳴る。杖欄の一枚が椅子の背にかかり、明日の子どもの手を待つ。


 ざまぁは、誰かを土下座させる儀式ではない。街に“杖”を配り、数字に“靴”を履かせ、鍵に“鈴”を宿らせる仕事だ。退屈は重い。だが、重い杖ほど、転ばない。


 遠見塔の小鈴が夜を撫でるように一度だけ鳴った。灯がひとつ、ふたつと


……落ちたところで止まる。

 ――第18話「水勘定と人勘定」へ続く。

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