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(第13話)「必要に応じて」の審理

 審理鐘は朝の薄金の中で三度鳴った。公開審理の合図、証拠提示の合図、そして「立て」の合図。掲示柱の前には板机が二台、左が監査院、右が王宮事務局・法規課。若い官吏――昨日「柔軟性」を掲げた彼は、巻紙を胸に抱え、紙の匂いのまま立っていた。


 私は冒頭、杖の紙を掲げた。

 〈“必要に応じて”の定義案〉

 ――発動条件は三つに限定(戦災・疫病・災害復旧)。

 ――発動単位は七十二時間。延長には再認証。

 ――公開は日次、図と数。

 ――責任は個人印で連署(承認者名が歌になる)。

 ――濫用時は自動停止+個人科料。


 「……杖で済む話ではない」若い官吏が口火を切った。「“必要に応じて”は事務の潤滑油だ。規定で壁を作りすぎれば、現場は固まる」


 「油は必要です」私はうなずいた。「ただし、油壺に『中身が何か』と『いつ補充したか』の札がいる。札がない油は、火を呼ぶ」


 灰の審理官が促す。「法規課、代替案を」


 若い官吏は巻紙を開いた。字は整っているが、行間が甘い。

 「――“必要に応じて”の発動は、事務局長の裁可により随時。公開は“可能な範囲で”。責任は“所属課”。期間は“状況に応じて”」


 セドリックの喉が、笑いの代わりに短く鳴った。私は紙の端を指で叩く。

 「“随時/可能な範囲/所属課/状況”。――全部、足が速い言葉です。足が速いと、責任より先に逃げる」


 広場が薄く笑い、すぐ静まる。私は布に図を描いた。

 〈柔軟の三段〉

 ――第一段:基準表(事前)。

 ――第二段:臨時裁量(短期・個人印)。

 ――第三段:緊急無手順(鐘三・共同署)。

 「“必要に応じて”は第二段だけに置きます。個人印で短く。長くするほど“制度の顔つき”が崩れる」


 「個人に背負わせるのか」若い官吏が眉を上げる。「失敗すれば首が飛ぶ」


 「飛ばない首を作るには、責任の椅子を重くするしかない。――椅子が軽いと、風で転ぶ」


 審理官が灰の板を叩く。「証拠を」


 私は“金箱準備会”から提出させた回覧の写しを広げる。加筆の墨は新しく、三日前の“挿入”。端に小さく鉛筆書き――〈見出し対策:柔軟〉。

 「“柔軟”は見出しに強い言葉です。紙面対策のために『必要に応じて』を挿れたなら、制度ではなく広報。――制度は“退屈”であるべき」


 王都新聞の若い記者が恥ずかしそうにペンを止め、「……すみません」と小さく言った。私は首を振る。

 「紙が悪いのではない。言葉が踊る時に、杖がないのが悪い」


 ここで、監査院の使いが駆け込んだ。封蝋は灰。

 「追加証拠。“T7”供述書、続報。“法規課若官吏”が“金箱準備会”へ『七の連打』の示唆。『柔軟』の語を含むメモ添付」


 広場の空気が、すこし沈む。若い官吏の喉仏が上下した。私は彼の視線の高さを水平に保つ。

「七は踊る。あなたは踊り子を舞台へ出す係だった。――舞台へ出たなら、照明も責任も浴びます」


 彼は口を開け、閉じ、ようやく絞り出す。「……“必要に応じて”は、弱い人を守るための穴だった。硬い手順でこぼれるものを拾うために」


 私はうなずいた。「穴は必要です。けれど“誰が、いつ、どれだけ”掘ったか札がいる。札のない穴に落ちた人は、救えない」


 ローレンスが扇を一度だけ開き、すぐ閉じた。「舞台でも同じだ。“自由演技”は照明表に書く」


 灰の審理官が結論へと手を伸ばす。「判定――“必要に応じて”の使用は三件に限定(戦災・疫病・災害復旧)。期間は七十二時間、延長は再認証。公開は日次、図と数。承認は個人印で連署。濫用は自動停止と個人科料。“金箱準備会”による“七の示唆”と併せ、法規課若官吏に戒告。――以上」


 鐘が二度、乾いた空に跳ねた。二は訂正。三は停止。今日は二でよい。


 若い官吏は紙を抱え直し、私に小さく頭を下げた。「……杖を、貸してほしい」


 「貸すのではなく、置きます。誰でも手に取れるように」


 私は柱に新しい板を立てた。

 〈“必要に応じて”運用票〉

 ――□理由(三択のどれか)

 ――□開始時刻/□終了予定/□延長理由

 ――□公開場所(図)

 ――□承認者名(歌の節)


 「最後の“歌”は?」記者が問う。


 「“責任の歌”は、嘘を嫌いますから」


 私は短い節を墨で走らせた。

 ――必要ならば名が要る/名のない必要はただの願い

 ――願いは白へ 幕は青へ/地面は灰へ 旗は金へ


 ◇


 審理の人だかりがほどけ始めた頃、王太子が現れた。今日も地面に立つ。視線は真っ直ぐ、しかし少し疲れている。

 「――定義は受け入れる。柔軟は基準表で担保する。……ところで、約束の“やり直し”だが」


 「入札が終わるまで、私は“公”に仕えます」私は繰り返す。「ただし、“やり直し”の席はここ――掲示柱の下で」


 彼はうなずいた。「では、ここで話そう。――君の“退屈”は、国に要る」


 退屈を褒める王太子は、だいぶ良い。退屈は国の筋肉だ。


 ◇


 午後、広場の片隅で異音。鐘ではない。高い、薄い、耳の奥に刺さる“沈黙”。水晶窓の鈴が震えない。鍵孔に触れているのに、鳴らない。

 「“消音符サイレンス・ルーン”」ローレンスが素早く囁いた。「舞台で音を切る符牒。鍵孔に貼られた」


 “鍵は鳴ってはじめて鍵”。鳴らなければ、合鍵の天下だ。私は棒の鈴を鳴らし、敢えて届かない音をひとつ空へ投げた。セドリックが盾で窓を覆い、灰の審理官が鑷子で符牒を剥ぐ。薄い皮紙に、見覚えの印――“T7”。

 「未遂、再び」審理官が短く宣する。「“沈黙”の濫用。符牒の出所は王都西の小工房」


 私は柱に紙をもう一枚。

 〈“鐘殺し”対策〉

 ――鍵孔周囲の“鈴帯”二重化。

 ――消音符を貼る動作は“触鈴”で検知。

 ――“鳴らない時の後歌”を追加。


 ――鳴らぬ鍵なら鈴で囲め/鈴ごと黙らば鐘を振れ

 ――鐘も黙れば足で踏め/足で鳴らせば街が笑う


 「足で?」記者が笑う。


 「最終手段です。靴底に小鈴を仕込みます」


 セドリックが控えめに靴を鳴らした。かすかに、確かに音がした。

 「盾は歩く鐘にもなる」


 「良い発明です」


 小工房の摘発は早かった。“T7”の仲間の一人が確保され、供述が届く。

 〈依頼主:“金箱準備会”の代理(顔合わせはなし)。合言葉は“静かな鍵はよい鍵”〉


 私は深く息を吸って吐き、王太子の方へ視線を送った。彼は短くうなずく。「――準備会は解体する。規約は全面出直しだ」


 「“やり直し”は、好きです」私は真正面から言った。「手順でやりましょう」


 ◇


 日が傾き、広場に椅子の影が長く伸びる。私は“必要に応じて運用票”の最初の一枚に、あえて自分の名を記した。

 〈理由:災害復旧。開始:本日夕刻。内容:北門蓋盗難の夜間対策――灰の箱からの前倒し支出/期限:七十二時間〉

 「個人印もお願いします、セドリック殿」


 「護衛対象。私は役職ではない」


 「盾の名前は、歌に入るべきです」


 彼は半歩だけためらい、静かに拇印を押した。朱が指紋の渦に入り、渦は花に似た。

 ――責任の歌は短くていい。短い歌は逃げない。


 ◇


 片付けの直前、王都新聞の若い記者が駆け寄った。

 「“必要に応じて”の審理、号外にします。見出しは――」


 「杖の規約、忘れずに」私は笑う。「日付、主体、動作、数、“未定”は未定」


 彼女はうなずき、少しだけいたずらっぽく書いて見せた。

 〈9月某日 王都広場 “必要に応じて”を歩かせる 72時間・個人印・日次公開〉

 完璧だ。退屈で、強い。


 ◇


 夜が来る。鐘は鳴るべき時だけ鳴り、歌は必要な長さだけ続く。私は柱の下で最後の紙釘を打ち、セドリックの外套に肩を預けた。

 「今日は剣を抜かずに、鐘を二度止めた」


 「はい。明日は、鐘を鳴らさずに済ませたい」


 「望みが高い」


 「退屈は、高望みの別名です」


 彼は小さく笑い、空を見上げた。星は少なく、椅子は多い。多い椅子は、いい国だ。

 その瞬間、遠見塔の合図旗が夜空を裂いた。北門の向こう――“復興基金(新・金箱)”の仮倉に火。

 鐘が、三度。停止の数。

 ローレンスが扇を捨てて走り、王太子が外套を脱いで風を切る。私は掲示柱を叩いた。


 「――“必要に応じて”を、使います。理由は火。期限は七十二時間。公開は日次。個人印――レオノーラ」


 拇印。朱。歌。


 ――必要ならば名が要る/名のない必要はただの願い

 ――朱で止血し灰で支え/旗は燃やさず中身を守れ


 盾が私の前に立った。鐘は鳴り、しかし、走る足音はもっと速い。

 ざまぁは、燃える旗を笑うことではない。燃えない中身を残す手順を、前夜に置いておくことだ。前夜は過ぎた。今夜は働く。


 ――第14話「金の箱に火」へ続く。

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