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(第10話)入札破りの罠

 山の朝は、錆びた鈴の音で始まる。鉱山町の広場に据えた臨時開札台は、昨日より一段高くした。人が多いからではない。手を伸ばしても“外箱”に触れられない高さにするためだ。外箱は木で、鉛の皮を被せてある。内箱は薄い鉄に魔封糸。鍵は二本。一本は私、一本は審理官の灰。

 桶の縁には、目に見えないほど細い“灰糸鈴”を張った。糸に触れれば、遠くの審理板の小さな鐘が鳴る。誰も気づかないうちに、鐘だけが事実を知る。


 参加証は山仕様に変えた。〈つるはし〉〈灯〉〈鍋〉の三種。今朝の紋は順に灯・鍋・つるはし。歌で知らせる。

 ――灯は朝飯 鍋は昼 つるはし夕べで日が暮れる


 バルカ代官は事務所の前に太い腕を組み、“見ているだけ”の顔で立っている。見ているだけの顔は、だいたい何かをしている手の顔だ。昨日、広場の隅で彼が囁いた“札と鍵”――“偽入札札”と“外箱だけ差し替え”。王都で嗅いだ匂いと同じだ。


 「第一次出品、“購買部仕入れ権”」

 私は台の上から読み上げる。「条件三つ。“銀で払戻し可”“価格掲示を図で”“石票は三か月で停止”。違反は没収金+臨時審理」


 予鈴。封蝋の色が朝日に光る。鍛冶屋連合、旅商組合、修道院小売部――山に根を持つ名が並ぶ。

 セドリックは台の下、半歩後ろ。視線は斜面と屋根と人垣を等間隔で撫でていく。盾が戦場を選ぶときの歩測だ。


 本鈴。私は外箱に触れない。“鍵を見せる”だけ。灰の審理官がうなずく。内箱の鍵を同時に回す。それから外箱の蓋を少し持ち上げ、内箱ごと抜く。外箱は台に残る。手は内箱だけを抱え、灰の審理官の掌と重なる。

 ――ここ。罠の入口。

 外箱を残すのは、あえてだ。彼らが狙うのは“外箱だけ”。ならば、“外箱だけ”に触れようとした手を、鐘に触れさせる。


 開札のあいだ、私は内箱を脇卓へ運び、封を割る。数字を読み上げる。「――鍛冶屋連合、四百八十。修道院小売部、四百五十。旅商組合、四百七十――」


 鈴が、ほんの糸の音で鳴った。人間の耳には届かない高さ。けれど審理板の小鐘が、はっきりと一打、答えた。

 私は読上げを止めない。止めないまま、合図笛を短く二度。セドリックが動く。台の左脚の影から、外箱の縁に指を差し入れていた男の手首を、音を立てずに押さえた。

 「おやめください」

 彼の声は柔らかいのに、止まる。手は最短距離で止まる。止まるための手だ。


 「な、何を――ただ支えようと」

 男の袖口に、藍ではなく“灰青”の粉がついている。鉱粉に藍が微かに混ざる色。王都の“藍印”とは違うが、兄弟だ。私は合図を一つ。灰の審理官が外箱の縁を持ち上げ、裏を見せた。

 裏板の一角――灰糸鈴が、“切られかけて”いた。半分だけ。あと一息で切断。そこで鳴った一打。

 「臨時審理」私は短く告げた。「“外箱のみ差し替え”の未遂。――“紐解き審理”を行います」


 群衆がざわりと揺れ、バルカの顎が一度だけ動いた。退屈そうな顎が、面倒を見る覚悟の角度だ。

 私は内箱の開札を続ける。声は平坦に、手は速く。最後の一通を割ったところで、落札を宣言した。

 「――落札、鍛冶屋連合。規約遵守、図掲示の約束確認済み」


 拍手が短く弾ける。弾けた瞬間、私は外箱を台から下ろし、審理板の上へ移した。

 「審理開始。証拠一――灰糸鈴の切断跡。証拠二――袖口の灰青粉。証拠三――“偽札”。」


 “偽札”は昨夜、塔番と工匠が一枚拾っていた。王都の“黒鹿毛同盟”が使っていたものと同じ紙筋、同じ彫りの癖。隅に小さく“T7”の判――彫り師の自分用の印だ。

 「彫りの癖は、字より律儀です」

 私は札の角度を変え、光を滑らせた。「右上の角の“返り”。機械彫りと手彫りの中間。――王都の“藍印”彫り師が“山用”に柔らかい木型で打った跡」


 袖口の男が顔を歪める。「知らねえ! 拾っただけだ!」


 「拾っただけで糸が切れますか」

 セドリックの声は低い。低い声は剣を要らなくする。「外箱に指を差し入れる角度は、拾う角度ではない」


 灰の審理官が判定した。「“外箱のみ差し替え”の未遂。主手は拘束、共手は事情聴取。“偽札”の出所を王都へ照会。没収金は“灰箱”へ。――審理終わり」


 鐘が二度、山に弾む。短い決着は、長い次へ効く。


 ◇


 バルカが私のところへずかずか歩いてきた。靴底に赤土、指に墨。

 「王都の令嬢。外箱を高くしたり、糸の鈴だの、姑息な手を」


 「姑息は生存の技です。――代官殿、これは“あなたの首を守る鈴”でもあります。外箱で差し替えられたなら、明日には“あなたの責任”ですから」


 彼は鼻で笑い、しかし視線を逸らさなかった。「……鍛冶屋に落としたのは正しい。奴らは秤が嘘を嫌う。だが、旅商が黙っちゃいない」


 「黙らなくていい。旅商は“石票の換え時”で稼げる。銀で買って、銀で売る。――今日は“偽札”に泣いてください。明日、稼いでください」


 旅商の若い頭が腕を組み、苦笑いを浮かべた。「泣いて、明日稼ぐ。山の流儀だ」


 私は頷き、落札手続を進める。鍛冶屋連合の代表は、昨日と同じ煤の手で、今日は少し朱が増えた手で、規約の欄に署名した。

 「価格掲示は絵で。換金率も絵で。――“石票は段階的に”」


 「旦那、段階ってのは難しいもんで」代表が頭を掻く。

 「難しいから、歌にします」


 私は板に、短い節を描いた。

 ――月の頭に銀ひとかけ/半ばに銀ふたかけ/三つ目過ぎたら石は止む/止んだ石なら道に敷け


 子どもが復唱し、坑夫たちが笑う。笑いは“段階”を滑らかにする。


 ◇


 臨時の“紐解き審理”はまだ終わっていない。灰青粉の出所を探る。袖口の男の靴裏に、王都の舗石粉が薄くついていた。山にない粒。

 「王都から“運び”が来ている」

セドリックが小さく言う。「ルカの連れの一人、朝の鐘の前に町を出た。足取りは北の峠へ」


 投資家の名。柔軟という言葉の皺。私はバルカを見る。彼は肩をすくめた。「投資家は風だ。向きを示すが、責任は取らん」


 「風は、歌で向きを変えられます」

 私は“見張り歌”に一節を足した。

 ――灰の粉つけ風の足/峠を越えりゃ鐘が鳴る/鐘が鳴ったら道を塞げ/扇じゃなくて盾で塞げ


 セドリックが咳払いをひとつ。「盾の歌、悪くない」


 「盾も歌いますから」


 ◇


 午後。第二次の小口出品――“灯油共同倉の管理役”“社宅修繕の監理役”。ここでまた、仕掛けが来る。三通の封筒が、同じ癖で“七十七”。山でも“七”は縁起がよい。縁起は汗の代わりにならない。

 私は封の紐を解き、撚りの方向と紙の目を示した。「職人は別、金額は同じ。――談合の疑い濃厚」


 灰の審理官が頷く。「三通併せて失格。次点落札」


 次点は修道院小売部。祈りの壺と計数の珠を同じ棚に置ける人たちだ。

 「“修繕計画は図で”。――祈りは白、灯は灰。混ぜないこと」

 「混ぜません」修道女の手は、石鹸の匂いがした。


 ◇


 陽が傾き始めたころ、山の稜線に小さな人影。遠見塔の合図旗が、王都方向からの走者を知らせる。走者は駆け込み、息の半分で言った。

 「王都――“T7の彫り師”、拘束。彫り台押収。“黒鹿毛”の刻印台と同型。――出先は王宮事務局“祭典局”の倉」


 ローレンスの扇の影。彼個人の名はない。扇の“柄”が王都で、山へ風を送っていた。

 私は短く息を吐き、それから静かに言った。「祭典局へ照会。“山用木型”の出荷記録を」


 セドリックが頷く。「風の向き、確定」


 「風向きがわかれば、盾の位置が決まる」


 彼は短く笑い、視線を西の稜線へ戻した。笑いは刃を鈍らせ、鈍らせた刃は、人を長く歩かせる。


 ◇


 片付けの最中、ダンが私を呼び止めた。

 「お嬢さん。俺はずっと“悪役令嬢”ってのを見世物だと思ってた。今日、見世物には“台”が要ることがわかった。台が安物だと、人が落ちる。――良い台を置いてくれ」


 「置きます。壊れたら、直します。直すお金は灰から、直す歌は子どもから」


 「歌は、もう覚えた」

 彼は照れて笑い、煤の指で帽子を押さえ直した。照れ笑いは山で一番良い合意形成だ。


 そのとき、広場の端で小さな騒ぎ。袖口の灰青男が、縄を噛んで逃げようとした。噛み切れる縄と、噛み切れない誓い。セドリックが二歩で詰め、肩を落として受け止める。“痛くない捕縛”。

 「王都へ送る前に一つだけ聞く。――誰が“七”を教えた」


 男は視線を泳がせ、とうとう諦めた顔で吐いた。「……“金箱の人”だよ。『七は踊る。踊れば目が泳ぐ』って」


 “金箱”。王太子の旗の言葉。旗は風を受ける。旗の影で、小さな指示が踊る。

 私は顎をわずかに引いた。「――明日、王都に戻ります。広場の杖と鐘を増やして。ここはここで回る」


 バルカが口の端を上げた。「王都の令嬢。山は“遅く正確”にしか動かん。今日はまあ、悪くない」


 「明日は“遅く正確に速く”動かします」


 「それは矛盾だ」


 「矛盾は、歌で薄まります」


 ◇


 夜。宿の小部屋。蝋燭の火は低く、窓の外は黒い鉱脈のような空。机の上に“白い帳簿”二冊。裏だったものが表になり、表だった空白が裏で眠る。眠りは良い。けれど、眠らせちゃいけない数字もある。


 私はページをめくり、鉛筆で小さな点を書いた。間違えたら消せる点。消せる点は、弱さの許容量だ。

 セドリックが扉の前で外套を脱ぎ、椅子に掛けた。「護衛対象。今日はよく生きた」


 「延びました、です」


 「延びた分、弱る。弱る前に言え」


 私は笑い、笑いをしまい、やっと言った。「――怖いです。王都で、“金箱”の旗の影と、扇の柄と、彫り師の癖が一本に繋がるのが。繋がると、切る場所が減るから」


 彼は少しだけ近づいた。剣は抜かない。盾も上げない。ただ、そこに立つ。「切る場所が減れば、鈍器で叩けばいい」


「鈍器?」



 「鈍器は、あなたの“歌”だ」


 私は小さく吹き出し、すぐ真面目に戻った。「――歌で叩き、条文で締め、朱で止血。やります」


 「やる」


 「やる」


 ふたりの短い言葉が部屋の梁に掛かって、垂れ下がり、私の背中に柔らかく触れた。

 “白い帳簿”を閉じる。閉じた表紙に、薄い指の跡。強がりではない。強がる設計を、明日は王都で続ける。


 ――第11話「“白い帳簿”の夜」へ続く。

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