第5話:執事と聖剣と新たなる依頼
「畑の救世主」などという、ちょっと気恥ずかしい二つ名を頂戴してから、一ヶ月が過ぎた。
村は、俺の打ち直した〝魂宿り〟の農具のおかげで、空前の好景気に沸いていた。畑は見たこともないほど青々と茂り、村人たちは俺を拝まんばかりの勢いだ。
鍛冶場には毎日、採れたての野菜や果物が山のように届けられる。……ちなみに、ハンナが約束してくれた「採れたて」が、本当にただの瑞々しいキュウリとトマトだった時の俺の落胆ぶりは、ここでは語るまい。健全な男子としての期待を弄ばれただけだった。
そんな平和なある日。
俺のささやかな日常を揺るがす、いかにも「厄介事です」と書かれた看板を背負ったような来訪者が現れた。
村の入り口に、一台の豪奢な馬車が停まったのだ。
紋章は、この地方を治める大貴族、ルミナス公爵家のもの。村人たちが「何事だ」と遠巻きに見守る中、馬車から降りてきたのは、一人の老執事だった。
燕尾服を寸分の隙もなく着こなし、磨き上げられた銀髪を後ろで束ねている。そして極めつけは、片眼鏡。いかにも「デキる」といった雰囲気を全身から放っていた。
「ごめんください。こちらに、フィン・アッシュフォージ殿という鍛冶師がおられると伺ったが」
声まで渋い。まるで高級な洋酒のような、深みのあるバリトンボイスだ。
俺は作業着についた野菜くずを手で払いながら、鍛冶場からひょっこりと顔を出した。
「俺がフィンですが、何か……?」
老執事は俺の姿を上から下まで値踏みするように見ると、片眼鏡の位置をくい、と指で直した。
「ほう。貴殿が、あの『鉄に魂を宿す』と噂の……。ふむ、見たところ、ただの村の若者。噂とは、えてして誇張されるものらしい」
うわ、初対面でいきなり失礼な爺さんだな。
「――だが、その瞳。噂に違わぬ、底知れぬ輝きを秘めておられるようだ」
え、そうなの?
俺の瞳はただの『魂魄の瞳』が発動中で、目の前の執事さんの着ている燕尾服の繊維構造とか、モノクルのガラスの組成とかが視えてるだけなんだけど。
(ふむふむ、ウール100%、丁寧な綾織り。ガラスは鉛クリスタルか。良い仕事してますねぇ)
執事は恭しく一礼した。
「失礼。私は、ルミナス公爵家にて執事長を務めております、セバスチャンと申します。本日は、フィン殿に是非ともお願いしたい儀があり、参上いたしました」
彼の態度は丁寧だが、有無を言わさぬ威圧感がある。俺と師匠は、とりあえず彼を鍛冶場の中に招き入れた。
セバスチャンは、お付きの者が運んできた、ビロードで覆われた長大な箱をテーブルの上に置いた。
「こちらにございますのは、我がルミナス公爵家に代々伝わる宝剣、『アスカロン』。かつては闇を祓い、魔を滅したと伝えられる伝説の聖剣にございます」
彼が厳かに蓋を開けると、中から現れたのは、息を呑むほどに美しい長剣だった。
白銀に輝く刀身、黄金で彩られた精緻な拵え。
しかし、その輝きはどこか弱々しく、刀身の中ほどには、痛々しいヒビが入っている。
「なんと美しい……」
師匠が感嘆の声を漏らす。
だが、俺の『魂魄の瞳』には、もっと詳細な情報が視えていた。
この剣の魂は、まるで瀕死の恒星のように、弱々しく明滅している。そして、ヒビの入った部分からは、その魂の光がまるで血のように流れ出ていたのだ。
(痛い……苦しい……誰か……助けて……)
聖剣の、か細い悲鳴が脳内に直接響いてくる。俺は思わず眉をひそめた。
セバスチャンが、その俺の表情の変化を見逃さなかったようだ。
「お分かりになりますか。この聖剣は、先の魔獣との戦で力を使い果たし、今やその命脈も尽きようとしております。王都の名工たちにも見せましたが、皆、匙を投げました。『この聖剣の魂は、もはや死んでいる』と」
セバスチャンは俺の瞳をまっすぐに見つめた。
「しかし、フィン殿。貴殿には、この剣の『声』が聞こえておられるのではないですか?」
ドキリとした。
この執事、ただ者じゃない。俺の力を完全に見抜いている……?
いや、まてよ。このパターン、知ってるぞ。
俺がゴブリンの件や農具の件で名を上げた結果、「フィンの奴なら死んだ剣の魂すら蘇らせられるに違いない!」という、村人たちと同じ〝壮大な勘違い〟から来た依頼じゃないのか? きっとそうだ。間違いない。
俺は咳払いを一つして、敏腕プロデューサーとしてのポーカーフェイスを装った。
「ええ、まあ……聞こえますね。彼女の、か細い悲鳴が」
「おお……!」
セバスチャンと師匠が、同時に感嘆の声を上げる。
よし、乗ってきた。
俺は聖剣をそっと手に取り、指で優しく刃をなぞった。その瞬間、さらに鮮明なビジョンが流れ込む。
この聖剣の素材は、オリハルコンやミスリルといった伝説級の金属の合金だ。その組成は、極めて複雑で繊細。現代の技術では、もはや再現不可能なレベル。
人間の体で言えば、複数の臓器が同時に機能不全を起こしているようなもの。普通の医者では、どこから手をつけていいかすら分からないだろう。
だが、俺の『魂魄の瞳』は、その治療法を正確に示していた。
「……なるほどな。彼女の魂は死んではいない。ただ、深手を負い、眠っているだけだ」
俺は専門家っぽく呟いた。
「修復は、可能ですよ。ただし……一つだけ、特殊な素材が必要です」
『魂魄の瞳』が示す設計図には、流れ出てしまった魂の光を繋ぎ止め、再び循環させるための「触媒」として、ある一つの素材が指定されていた。
「その素材とは?」
「『月光の雫』。月の光を浴びて、夜の間だけ輝くと言われる、幻の鉱石です」
それは、金属でありながら液体のように振る舞い、他の金属の分子構造を繋ぎ合わせる特性を持つという、とんでもない物質だ。科学的に言えば、常温で液体でありながら金属の性質を持つガリウムや水銀に近いが、それらとは比較にならないほどの神秘的なエネルギーを秘めている。
その名を聞いた瞬間、セバスチャンの空気が変わった。彼の落ち着き払った表情が、わずかに揺らぐ。
「……『月光の雫』。なんと……。まさか、その名を聞くことになるとは」
「ご存知なのですか?」
「ええ。古の文献にのみ記された幻の物質。迷いの森の最深部、月の光が溜まるという『月溜まりの泉』でのみ採取できるとされていますが、その泉を見つけられた者は、ここ数百年、一人もおりません」
つまり、入手は不可能に近い、と。
「それが見つからなければ、この子の命は……」
俺が悲しげに言うと、
「……いえ」
セバスチャンは決意を固めたように顔を上げた。
「希望があるのなら、我が主は決して諦めないでしょう。フィン殿、貴殿がこの聖剣を治せる唯一の人物であると、我が主もきっとご理解くださるはず」
その言葉は、俺への絶大な信頼のようであり、同時に逃げ場のないプレッシャーでもあった。
迷いの森。名前からしてヤバそうな場所だ。ゴブリン程度ならともかく、もっと強力な魔獣がうろついているに違いない。しがない鍛冶師見習いの俺が行って、無事に帰ってこられる保証はどこにもない。
普通なら断る。危険すぎる。リスクとリターンが見合っていない。
だが。
俺の腕の中で、聖剣アスカロンが、ひときわ弱々しく、しかし確かに、懇願するように魂の光を明滅させた。
(おねがい……私を、もう一度……輝かせて……)
その声を聞いてしまったら、もう駄目だった。
目の前に、最高の才能を持ちながら、不遇の事故でステージに立てなくなったアイドルがいる。
それをプロデュースできるのは、世界で自分だけ。
ここで見捨てて、俺はプロデューサーを名乗れるのか?
いや、断じて否ッ!
俺は聖剣をそっと箱に戻し、セバスチャンを、そして心配そうに見守る師匠とハンナをまっすぐに見据えた。
「分かりました。その依頼、引き受けます」
俺の言葉に、セバスチャンの顔がぱっと明るくなり、師匠は「正気か、お前!?」と目を見開いた。
「俺が、『迷いの森』へ行って『月光の雫』を見つけてきます。そして、必ずこの子――アスカロンを、最高のステージで再び輝かせてみせますよ」