EP4.1 最終章
兄様の結婚式の後は、まさに嵐のように日々が過ぎていった。
卒業前にフィリア夫人から家の務めを引き継ぎ、結婚式の準備に奔走し、さらに卒業パーティーの支度。
そこへ舞い込んだ、リヴィア様のご懐妊の報せ。喜びと慌ただしさが入り混じり、息をつく暇もない。
それでも、どれほど忙しい日でも――夜になれば、ルウェンの部屋へ足が向く。同じベッドに横たわり、温かな腕に包まれ、甘いキスを交わす。そのひとときだけは、時間が緩やかに流れていくようで、心も体も解けていった。好きな人と共にいられる幸せが、すべての疲れを吹き飛ばしてくれる。
卒業してすぐ、アルベルト皇太子殿下とエリアーナ様のご成婚の儀が行われた。
エリアーナ様は正式に皇太子妃となられ、礼拝堂での厳かな儀式を終えると、民衆に向けた華やかなお披露目パレードへ。
夜は披露宴が開かれ、長い一日を笑顔で乗り切るその姿に、ただただ尊敬の念を抱いた。
それから一ヶ月後。
今度は俺とルウェンの結婚式が、ランドルフ侯爵家の大広間で行われる番だ。
残念ながら、リヴィア様は体調を考慮し不参加となったが、父と母、兄様にリオネル。義父と義母、アルベルト皇太子殿下とエリアーナ皇太子妃、そして近衛騎士団の皆様や多くの招待貴族が祝福に集う。
前日の夜、部屋の中は静かだったのに、胸の中だけは波が打ち寄せるようにざわついていた。楽しみと不安、期待と緊張が渦巻き、布団に潜ってもなかなか眠れない。
明日、俺の誕生日に――ルウェンの隣に「生涯の伴侶」として立つ。そして、ようやく一緒に“初めて”を迎えるのだ。
あの日、意味も分からず、ただルウェンの“未体験”を奪い、初めてのキスの仕返しをしてやろうと思った。それが思いもよらぬ方向へ転がり、気づけば婚約者となり――そして明日には、正式な伴侶になる。
そんなことを考えていると、ルウェンの部屋とつながる扉が、控えめにノックされた。
「キース……入ってもいいかい?」
「うん。」
扉越しに聞こえたルウェンの声は、どこかぎこちなく、緊張を帯びていた。やがて静かに扉が開き、現れた彼の腕には――俺の大好きな花、ネモフィラの花束が抱えられていた。
「キース……一日早いけど、誕生日おめでとう。」
その低く柔らかな声は、花弁の色と同じくらい澄んでいる。
「この日を君と迎えられたことが、本当に嬉しい。この先、どんなことがあっても君を愛し抜くと誓うよ。……キース、この世で誰よりも愛している。」
差し出された花束を受け取った瞬間、胸の奥から熱いものが込み上げ、頬を伝って零れ落ちた。
一度は諦めかけた想い――けれど今、こうして彼の隣に立っていられる。それが何よりの贈り物だ。
「ルウェン……俺も、初めてこの花をもらった時から、ずっと好きでした。諦めずにいてくれて、本当にありがとう。」
ぐっと踵を上げ、そっと彼の唇に触れるだけのキスを落とす。
「俺も、この世で誰よりも……ルウェンを愛している。」
それからルウェンは、そっとズボンのポケットに手を差し入れ、小さな箱を取り出した。蓋を開けると、銀色の光沢を帯びた指輪が現れる。繊細な彫りでネモフィラの花をかたどり、その中心には深い青を宿すサファイアが静かに輝いていた。
「……ようやく完成したんだ。」
そう言いながら、ルウェンは俺の左手を取り、薬指にゆっくりと指輪を滑らせる。金属の冷たさが、彼の体温と共にじんわりと伝わってきた。
「よかった……サイズもぴったりだ。」
安堵するルウェン。俺は指輪をはめた手を掲げる。
「とても、綺麗…」
「可憐なキースに合う指輪を特注していたんだが、なかなかデザインが決まらなくて…気がついたら完成が結婚式の前日になっていた。」
「俺、指輪のことすっかり忘れていたよ…ルウェン、素敵な指輪と花束をありがとう!」
「キースの喜ぶ顔が見られてよかった。」
「ルウェンの指輪はどんなデザインなの?」
俺がそう尋ねると、ルウェンはふっと微笑み、もう一つの小箱を取り出した。蓋を開けると、そこにはシンプルな銀色の指輪。表にはネモフィラが一輪、繊細に彫られ、その中心には小ぶりのダイヤが輝いている。さらに内側は淡い青で彩られ、光を受けて静かにきらめいた。
「デザインは違うが……私の花の中心にはキースの誕生石を、キースの花の中心には私の誕生石を閉じ込めてある。」
その言葉に胸がじんと熱くなり、指先がかすかに震える。ルウェンは自分の薬指にその指輪をはめると、俺の手をそっと取り、重ね合わせた。
「こうして並べると……まるで二輪の花が寄り添って咲いているみたいだね。」
「ああ、キースと寄り添いながら心はいつも繋がっている。」
「ルウェンって、キザな台詞言うよね。」
「キース限定だから、安心しろ。」
重ねた指輪がわずかに触れ合い、小さく澄んだ音を立てる。その響きが、これから歩む未来を静かに祝福しているように感じられた。
* * *
結婚式当日。
まだ空が白み始める前、寝台のカーテンが静かに開かれた。メイドたちが手際よく灯りを灯し、「おはようございます、キース様」と微笑む。温かな湯で体を清められ、丹念に肌を磨かれていくたび、胸の奥にじわじわと現実感が満ちていった。
花嫁衣装は、この日のために誂えた特注品だ。女性のように肌を露出するドレスは着られないが、フィリア夫人とエリアーナ皇太子妃の助言を受け、男性でも着られる“ドレス仕立て”にしてもらった。裾や袖口には白糸でネモフィラの刺繍が施され、肩から胸元を覆うケープには翼を思わせる模様が淡く浮かび上がる。胸元ではサファイアをあしらったネモフィラのブローチが光を受けて輝き、頭には同色の宝石を散らしたティアラが載せられていた。背には、長く垂れるレースのヴェールがふわりと覆いかぶさっている。
メイドの手で丁寧に着付けられ、最後にレースのヴェールを被せられる。姿見の前に立つと、そこには自分とは思えないほど優雅な花嫁の姿があった。
「キース様、とっても美しいです。」
「……ありがとう。」
(ルウェンも、驚いてくれるかな?)
その時、隣室の扉がノックされる。
「入ってもいいか?」
「……どうぞ。」
緊張を胸に、ルウェンの姿を待つ。
現れた彼は白いタキシードではなく、騎士服を思わせる装いだった。上着には白糸でネモフィラの刺繍が走り、胸元にはダイヤモンドをあしらったネモフィラのブローチがひときわ輝いている。
「キースがあまりにも綺麗だから……天使がいるのかと思った。」
「もう、ルウェンったら……。ルウェンも、とてもかっこいいよ。」
「ありがとう。」
互いの姿に頬を染める俺たちを、メイドたちは微笑ましそうに見守っていた。
「キース、待ちに待った今日を、最高の日にしよう。」
「うんっ!」
「さ、行こうか。」
差し出された手に、自分の手を重ねる。その温もりに安心しながら、俺たちは立ち上がった。
「ルウェン様、キース様、では――」
控えていたメイドたちが恭しく頭を下げ、自室の重厚な扉を静かに開け放つ。柔らかな朝の光と、遠くから響く賛美の音色が、ひとしずくの祝福のように流れ込んできた。
ルウェンに導かれ、一歩、また一歩と廊下へ踏み出す。長い廊下は大きな窓から淡い光が差し込み、白い衣装の刺繍や宝石をやわらかく照らし出す。足音は絨毯に吸い込まれ、耳に届くのは衣擦れの音と、わずかな吐息だけだ。
すれ違う使用人たちが足を止め、深く一礼をする。その視線の奥にある祝福と感嘆が、肌で感じられた。フィリア夫人やエリアーナ皇太子妃の助言で仕立てられた衣装は、彼らの表情をさらに明るくしているようだった。
ルウェンがふと、俺の方へ視線を向ける。
「緊張しているか?」
「……少しだけ。でも、ルウェンが隣にいるから平気。」
「そうか。このまま私がちゃんとエスコートする。」
廊下の先、装飾の施された大扉が少しずつ近づいてくる。そこから先には、参列者たちと、俺たちの新しい人生の始まりが待っている。
胸の奥が高鳴るのを感じながら、俺は一歩ずつルウェンと共に歩を進めた。
「新郎新婦の入場です!」
大広間から聞こえる声と共に大広間の大扉が開かれる。
ルウェンにエスコートされながら、一歩一歩、祭壇前と歩いていく。祭壇前につき、エスコートされた手は繋いだまま、神父の誓いの言葉が読み上げられる。
胸の奥が高鳴るのを感じながら、俺は一歩ずつルウェンと共に歩を進めた。
「新郎新婦の入場です!」
朗々と響く声と共に、大広間の重厚な扉が左右に開かれる。
眩い光が差し込み、参列者たちの視線が一斉にこちらへと注がれた。花々の香りと、弦楽の調べが静かに包み込む中、ルウェンの手に導かれ、一歩、また一歩と赤い絨毯を進んでいく。
胸元のブローチが光を反射し、裾の刺繍が歩みに合わせて揺れる。祭壇が近づくたび、鼓動が早くなっていくのが自分でも分かった。
やがて祭壇前に辿り着き、ルウェンのエスコートの手は離されることなく、しっかりと繋がれたまま。
神父が厳かに誓いの言葉を読み上げ始め、その一言一言が心の奥へ沁み渡っていく――。
神父の朗々とした声が大広間に響く中、互いに顔を向ける。
「互いを愛し、支え合い、生涯を共に歩むことを誓いますか?」
「誓います。」
「誓います。」
その瞬間、ルウェンが俺の両手を取り、胸の高さまで優しく引き上げる。
掲げられた手の薬指で、ネモフィラの花を象った指輪がきらりと輝き、光を受けて二人を祝福するかのように煌めいた。指先から伝わる温もりに胸が熱くなる。深い青の瞳がまっすぐ俺を射抜き、静かに微笑んだ。
「……キース。」
名前を呼ばれた直後、ふわりと唇が触れる。柔らかく、けれど確かな誓いのキス。
大広間の空気が甘く揺れ、祝福の拍手が一斉に沸き起こった。
***
結婚式、披露宴をつつがなく終えその日の夜、いよいよルウェンの“未体験”をする時が来た。
実はこの日のためにもう一着、オーダーメイドしたものがある。それはネグリジェだ。
布面積の少ないレース調のものが多い中、どうしても“忘れられない夜”にしたくて、仕立て屋に「ウェディングドレス風に」とこっそりお願いしたのだ。すると、仕立て屋は目を輝かせて頷き、純白のサテンと繊細なレースをふんだんに使った特別な一着を仕立ててくれた。胸元には小さなネモフィラの刺繍が連なり、裾は透けるほど薄いレースが波のように揺れる。肩から背中へかけては大胆に開かれ、そこを覆うのは柔らかなチュールのケープ。まるで昼の式で着た衣装を、夜のために妖艶に生まれ変わらせたかのようだった。
ルウェンが部屋の扉を開けた瞬間、その瞳が大きく見開かれた。深い青の中に驚きと熱が同時に灯る。
「……キース、それは……」声が掠れている。
俺は頬を染め、裾を軽く持ち上げながら一歩近づく。
「今日という日を……ずっと覚えていてほしくて。」
ルウェンの喉がわずかに鳴り、次の瞬間、俺は温かな腕に引き寄せられていた。
「……忘れられるわけがない。」
ルウェンの腕に抱き寄せられると、背中越しにケープがふわりと落ちた。指先がそっと肩へ触れ、肌をなぞる。熱を帯びた視線が、まるでそこに触れているかのように体の奥まで伝わってくる。
「…キースが綺麗すぎて……正直、理性が持たなさそうだ。」低く囁かれ、胸の鼓動が跳ねた。
「んっ、いいよ。そのために仕立てたんだから。」
唇が重なり、甘く、深く、絡み合う。そのたび、花の香りがふわりと立ち上り、昼間の誓いが再び胸を満たしていく。腰に回された手が強く引き寄せ、肌と肌が触れ合うたびに、世界は二人だけのものになっていった。言葉もいらない。視線と吐息だけで全てが通じ合い、互いの存在を確かめるように何度も唇を重ねる。
「…一生、大切にする」
深い青の瞳が、揺らぎなく俺を映している。
俺は、あの時の言葉をもう一度ルウェンに告げる。
「ルウェン……ファーストキスを奪った仕返しに、俺と――ルウェンの“未経験”、しよ?」
「ああ……喜んで。私も、キースと一夜を共にしたい。」
「ふふ……我慢していた分、たくさん愛して、ね?」
夜は、静かに、甘く、深く――更けていった。
* * *
まぶたを閉じたまま、頬に触れるぬくもりで目が覚める。
窓の外は、白み始めたばかりの空。カーテン越しに差し込む光が、ルウェンの髪と深い青の瞳をやわらかく照らしている。
「おはよう、キース。」
低く囁かれた声が、胸の奥まで染み込んでいく。
「……おはよう、ルウェン。」
「体の調子はどうだ?」
指先がそっと髪を撫で、額にキスが落ちた。昨夜の熱がまだ体の奥に残っていて、触れられるたびに鼓動が早まる。
「ルウェンにいっぱい愛されたから、腰がすっごくだるい。」
「無理させた。すまない。」
「ううん。その代わり、今日一日、俺のお世話をして?」
「喜んで。」
互いの吐息が混ざり合う距離で見つめ合い、微笑む。
「次するときは加減してね?」
「わかっている。昨日はその…気持ちが抑えられないくらい、キースが綺麗だった…」
「……もう、そういうこと言わないの」
照れ隠しに視線を逸らすと、ルウェンの指先が顎をそっと持ち上げる。
「だが、本心だ。」
深い青の瞳が真っすぐに俺を映し、柔らかな口づけが落ちた。胸の奥に広がるぬくもりと、昨夜の記憶が重なっていく。
「…ねぇ、旦那様。動けない俺を浴室まで運んで欲しいな。」
「愛おしい君の願いだ。喜んで。」
「一緒にお風呂も入ってくれる?」
「もちろん!」
――これからは、この温もりと共に朝を迎えていくんだ。
窓辺に飾ってあるネモフィラが、朝日を浴びて静かに揺れていた。俺たちを導いた花。その花びらのように、指にはめられた指輪がきらりと輝く。この花が咲く限り、これからの俺たちの毎日が、一輪ずつ花開いて彩っていく。
永遠に続く――俺たちだけの愛の形として。
ネモフィラの約束fin
ここで完結です。最後まで読んでいただきありがとうございます(、 ._.)、
終盤、脳が停止して書き終えれるか不安でしたがなんとか最後まで書きました…
ちょっと後日、読み返して修正した箇所もありましたが…^^;
現在、サイドストーリーとしてガルシア編の話を執筆しております。
投稿予定は未定ですが、そちらも読んでいただけると幸いです。
※もしかしたら、こちらはあーる18になるかも、しれません(多分)




