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限界集落

 乾いた風が吹きすさぶ斜面を、馬車がゆっくりと登っていく。車輪がぬかるみに取られるたび、グレンが渋い顔をするのが横目に入った。


「これ、道と呼んでいいのかね……」


「名目上は“農道”らしいな」


 小高い丘の斜面に点在する掘っ立て小屋の群れ。それがこの“集落”の全貌だった。エルトリア領の南端、ラルツ谷の斜面に張り付くようにして広がる小さな定住地。


 馬車から降りて、鼻をつく乾いた土の匂いに眉をひそめる。地面は岩と粘土質で、耕作地と呼ぶにはあまりに過酷だった。畑に見える場所には、かろうじて育った葉野菜が、しおれた姿でしがみついている。


 出迎えた村の長老格の男が、深く頭を下げる。


「ようこそ……フォルテ伯爵様。何のお構いもできませぬが……よう来てくださいました」


「案内を頼む。すぐに集落を見て回る」


 長老と数人の若者が先導し、私はギルバートとグレンを連れて村の中を歩いた。痩せた牛、干からびた井戸、崩れかけの倉庫。視界のどこを切り取っても、“足りていない”ものばかりが目につく。


「冬の備蓄も、あと十日分ほどです。雨が降らず、作物もろくに育たんのです。お恥ずかしい話、近隣の村から干し肉を分けてもらい、しのいでいるのが現状でして……」


 グレンが小さく舌打ちした。


「こりゃあ、ずいぶんギリギリだ」


 ギルバートも真剣な表情で頷く。


「水脈が浅く、雨も少ない。土も固い……農耕には不向きな土地ですね」


「ああ、わかっている。しかし、ここを捨てて移住させるわけにもいかない。足腰の弱った者も、動けない子どももいるだろう」


「……打開案が必要ですね」


 私は、足元の地面にしゃがみこんだ。手袋のまま、乾いた土をひとつまみすくい、鼻先に近づける。


「……炭質が混じってる。火山灰か、それに似たものか。だから水分を吸って保ちにくい」


「農作物に向かない土地ということで?」


「ああ、この国で農作物として育てられている野菜はどれも大量の水を必要とする品種ばかりだ」


 地面の割れ目、崩れかけの倉庫、その奥に小さな赤い花が咲いているのを見つけた。私は立ち上がり、花に歩み寄った。


「この場所で育てるなら、これ……セリ科の、野草。食用になる。味は悪いが、栄養価は高く飢えはしのげる」


 ギルバートが目を見開く。


「閣下、それはまさか……“野草栽培”を?」


「そうだ。元から自生してる種を育てれば、土壌の適応を待たずに済む。もともとここに生きてる植物なら、水も肥料もほとんどいらない。最初から人間に合わせるんじゃなくて、人間がこの土地に合わせるしかないだろう」


 グレンが思わず感嘆の声を漏らす。


「なるほど……地の草を食えるようにする、ってわけですな」


「薬効のある種もあるはず。使えるものから順に育てさせる。土地の端に小規模な“野草畑”を作って、食料と薬草を兼ねる共生地にする」


「ではすぐに、調査と植生の分類を始めましょう」


 ギルバートが住民たちを集める。


 住民たちの反応は、芳しくはない。この集落は、前任者が土地開拓のために無理やり領民を移住させた者ばかりが住んでいる。元の場所に戻る事も許されず、飢えに長らく苦しめられてきた連中だ。


「この花、さっきも言ったけど……セリ科。煮るとアクが出るけど、下茹でして水に晒せば大丈夫。味は薄いけど、干して刻んで粥に入れれば……栄養は十分だ。魔獣討伐で経験済みだ、効果は保証する」


 私は花を指でつまんで、葉の裏を確かめる。ふわりと鼻先に抜ける青臭さの奥に、かすかに柑橘のような香りが混じっていた。


「それに……この匂い。解熱作用がある。風邪の初期症状にはちょうどいい。乾かして保存すれば、冬場の常備薬にもなる」


 ギルバートがメモ帳を取り出す。隣でグレンが村の若者に声をかけていた。


「おい、お前ら。誰か鍋と水持ってこい。閣下が調理の指導をしてくださるぞ」


「は?……指導などするか。ただ、火の通し方と分量の話をしている」


 言いながらも、私は持参していた小型の調味料袋を開いた。岩塩と干したネギ、乾燥した魚粉を一掴み。野草と組み合わせれば、なんとか“食べ物”にはなる。


「水はこれくらい。草は先に煮て、えぐみを抜く。そのあとで塩と出汁でまとめる。あとは……根の部分も、炒めれば食える。細かく刻んで、灰をまぶして干してみて」


「干す……?」


「ああ。乾燥させれば保存できる。砕いて粉にすれば、粥に混ぜてもいいし、飢えたときには団子にもできる」


 村人たちは驚いたように顔を見合わせていた。先ほどまで沈んでいた表情に、うっすらと火が灯り始めている。


「食べられる草がある。それだけで、冬の不安は変わる」


「しかも薬にもなるとは……」


 ギルバートが腕を組み、深く頷いた。


「少しずつ畑にして、他の草も調べる。村の子どもたちを巻き込んでいい。草の見分け方とか、育て方とか。遊び半分でいいから“記録”を残させろ。文字の読み書きを教える学校も作るか。育て方の“勘”は、大人より子どもの方が身に付きやすい。すぐに費用は回収できる」


「それは……非常に面白い。まさに民衆の教育と実益の両立ですね」


「教育っていうほどのものじゃない。ただ、“自分で見つけた”と思える経験を残すの。土地に根を張るには、それが一番効く」


 私は再び、手にした野草を見つめる。これが希望になるのなら、惜しむ必要はない。


「野草なんて、王都じゃ雑草扱いだな。だが、ここでは違う。こいつが、この村の“鍵”になる。大切にしろ」


「はっ、仰せの通りに」


 どこかで風が吹いた。小さな花が揺れ、その揺れに村の子どもたちが目を輝かせた。


 その瞳を見て、私は思う。


 ──命をつなぐのは、剣でも魔法でもない。

 こういう、地を這う知恵と工夫だ。


 そう確信するように、私は冷えた空を睨みつけた。もうこの村を飢えさせはしない。


 この土地が持つ“可能性”は、今まさに芽吹いたばかりなのだから。

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