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女伯爵フォルテの華麗なる婚約騒動  作者: 清水薬子


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前任者

 通達を送ってから数日後。

 屋敷の廊下を歩いていると、遠くから激しい足音が響いた。門の外には数名の男たちが押し寄せ、いつもの威勢はどこへやら、顔には焦燥と動揺が浮かんでいた。

 前任者の部下だった文官たちだろう。


「伯爵様! 先日の文書については、誤解もあるはずです。どうかお許しいただけませんか。私たちはただ、王家や前任者の命令に従い、与えられた役目を果たしていただけで…」


 年長の男が震える声で必死に言葉を重ねる。けれどその言葉は、今やもはや言い訳でしかなかった。


 私は冷ややかな笑みを浮かべ、声を冷たく響かせる。


「王家や前任者の命令を盾に、長年甘い汁を啜ってきたあなた方が、今さら私に許しを乞うとは、実に愚かしい」


 男たちは顔を引きつらせ、視線を合わせることもできない。


「正当化に使っていた権威は、もう役目を終えた過去の残骸。ここにあるのは、証拠に裏打ちされた事実だけだ」


 一人の男がかすれた声で抗弁する。


「私たちも命令には逆らえず…ただ従っていただけで…」


「“ただ従っていただけ”ですって? 甘ったれた言い訳は聞き飽きました。権力の影で腐敗し、民を苦しめたあなた方こそ責任を負うべきだ」


 私は一歩前に出て、じっと彼らの目を見据えた。


「ここから先、誰も甘い汁を啜ることは許さない。反抗する者は、徹底的に排除する」


 男たちの肩が震え、呻き声のような息遣いが漏れた。

 彼らは、これまでの権勢が一瞬にして崩れ去るのを肌で感じていた。

 そして、静かに頭を垂れ、重苦しい沈黙のまま屋敷を後にした。


 文官たちが屋敷を後にして間もなく、重い扉が勢いよく開いた。

 現れたのは前任者、エドワード・ヴァレンティン伯爵。乱れた髪、赤ら顔。ポケットから滑り落ちたのは、王都で悪名高い賭博のマークが刻まれたライター。

 深い皺が刻まれたその顔には、酒と賭博の疲れがにじんでいた。


「ふん、これが新しい領主か。まったく、笑わせてくれる」


 彼は薄く笑みを浮かべ、だがその瞳は冷たく、敵意に満ちていた。


「文官どもは早々に逃げ出したな。そりゃあ、あんたの冷酷な裁定に震えていたからだろうよ」


 彼の声は嗤うようで、苛立ちと焦りが混じっていた。


「王家の命令だと? そんなものは俺にゃ関係ねえ。お前ごときが俺の領地を奪うなんて許せるもんか」


 私は静かに眉をひそめて言う。


「王家の命令を盾に私腹を肥やしてきたお前が、なぜ民の信頼を失ったのか自覚していますか?」


 エドワードは鼻で笑いながらも、心底動揺しているのが見て取れた。


「信頼だ? くだらん! 賭けで一発当てりゃ、そんなものは後からついてくる。金さえありゃ女の方から寄ってくるんだからよお!」


 言葉に説得力はなく、ただの言い訳だった。


「だが忘れるな、俺にはこの領地を治める権利がある。お前がどれほど強硬に振る舞おうと、ここは俺の縄張りだ」


「お前にこの地を治める権利はない。腐敗の芽は容赦なく摘み取る。覚悟してもらおう」


 私の言葉に、エドワード・ヴァレンティンは怒りを爆発させた。


「ふざけんな! この腐れ女が! 俺の領地を奪うとは、何様のつもりだ!」


 彼は声を荒げ、近くの書棚を乱暴に掴んで引き寄せ、紙の束をばら撒いた。


「こんな女に支配されるくらいなら、俺はこの領地ごと焼き払ってやる!」


 その暴走を止めたのは、グレンだった。

 グレンは素早くエドワードの腕を掴み、力を込めて押さえつけた。


「エドワード伯爵、落ち着いてください。暴力は何の解決にもなりません」


 冷静で揺るがぬ声に、エドワードは一瞬身を硬直させた。


「お前ごときに制される筋合いはない!」と叫ぶも、グレンの力は確かで、動けない。


「この領地は今やフォルテ伯爵様のものです。あなたの暴挙は王家の命令に対するただの反逆行為です」


 エドワードは荒い息をつき、やがて諦めたように目を伏せた。


「……くそ、わかった……だが俺は決して負けは認めん」


 グレンはその言葉を聞き流すように腕を緩め、ゆっくりと彼を離した。


「もっとも、アンタの頭じゃこの領地を取り戻したところで借金に潰れるだけだろうよ。死ぬなら勝手にしてくれ」


 エドワードは重い足取りで屋敷を後にし、冷たい冬風がその背を追いかけた。


 エドワードの怒声と荒れた足音が去り、屋敷にようやく静けさが戻った。

 私は暖炉の火がくすぶる執務室に腰を下ろし、机の上に次々と書類を広げた。

 すぐにギルバート、グレン、ティナが部屋に集まり、それぞれの定位置に着く。緊張が残る空気の中、誰もが状況の深刻さを理解していた。


「まず、今回の騒動を見て確信した。腐敗はまだ領内に根強く残っている。文官の一掃だけでは足りない」


 私の言葉に、ギルバートが帳簿を手にしながら頷いた。


「ああ。前任の帳簿には隠された支出項目や、虚偽申告がまだ複数見つかっている。商会や徴税役人の一部とも癒着も疑うべきだな」


「王家の名のもとにやりたい放題、ってわけか」


 グレンが腕を組み、呆れたように鼻を鳴らす。


「エドワードは表に出た氷山の一角です。問題は、まだ水面下で利益を吸い続けている連中をどうするか、です」


 私は黙って地図を指でなぞった。

 村落、交易路、鉱山跡。全てが絡み合い、ひとつの歪んだ構造を形作っている。利益だけでなく、必要な経費さえ吸い上げる負の循環。これを断ち切らねば。


「まずは流通の再編。癒着のある商会との契約を凍結、物資調達は信用できる新規商人と結ぶ。ギルバート、それが可能な相手を洗い出して」


「承知しました。王都からではなく、近隣領との連携も視野に入れましょう」


 私は頷き、次にグレンへと視線を向ける。


「警備体制は?」


「既に兵の半数を再配置しました。旧文官や前任者に繋がる兵は控えさせ、新たに領内から徴募を進めています。ただ、戦力はまだ十分とは言えませんな」


「当面は、私の魔法で補う。今の季節なら氷は脅威になる。寒さを味方につける」


「まったく頼もしいお方だ」


 グレンが口元を綻ばせる。

 ティナが遠慮がちに手を上げた。


「私、孤児院や村の子どもたちに話を聞いて回ります。生活がどう変わったか、困ってることがないか……少しでも、心を開いてくれるように」


「いい判断だ、ティナ。民の声は表に出にくい。あなたの目と耳が頼りになる」


 私たちはそれぞれの役割を確認し、短く言葉を交わしながら、再び作業に戻っていった。


 ──冷えきった屋敷に、確かな熱が生まれつつあった。

 打ち捨てられた土地は、ようやく動き出している。

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