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女伯爵フォルテの華麗なる婚約騒動  作者: 清水薬子


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惹かれる思い

 あの男が商会を立ち上げてから、まだそう時は経っていない。

 けれど、驚くほどの速さでセドリックの商会は拡大していた。流通網の整備、信頼できる仲介業者の確保、新規の燃料供給契約の締結……そのどれもが、私が提案し、整えた基盤の上に着実に根を張っていくのを感じる。

 報告書に目を通すたび、手際のよさに唸る。

 そして次の瞬間には、わずかな焦燥と、得体の知れない熱が胸を掠めていく。


 私は、何を──いや、なぜそんな気持ちになる?


 窓の外を見ながら、ふと考える。

 淡い夕暮れの光の中、脳裏に浮かぶのはあの男の後ろ姿だ。簡素な外套。無駄のない動き。打算のない眼差し。

 ビジネスの話をしているときの彼は、本当に理路整然としていて、何を聞いても的確に返してくる。けれど、たまに気を抜いた時に見せる無防備な笑顔は……なぜか、妙に記憶に残る。


 ……馬鹿みたいだ。そう思って首を振る。

 私は、領主だ。

 周囲から冷静で論理的であることを期待されている。異性の顔色を伺うような女では、なかったはずだ。


 ──前の人生では、異性から距離を取られることが多かった。

 顔立ちや所作のせいではない。性格だ。人に媚びることができず、言うべきことを言えば、「生意気」「傲慢」「協調性がない」と陰で囁かれた。

 少しでも気を抜けば、「女のくせに」「男を立てない」「勝ち気すぎる」と冷ややかな言葉が飛んできた。

 いつしか、誰に何を言われても、表情を変えない術だけは身に付けていた。


 ……それなのに。


「領主として尊敬している」と真正面から言ってのけた男の声が、今でも耳に残っている。

 媚びでも嘘でもない、利害も含めて理解した上での敬意。

 ──だからこそ、私は今も、彼の報告書を一字一句逃すまいと目を通している。


 彼がどんな戦略を描いているのかを知りたい。

 どんな景色を見て、どこを目指しているのかを知りたい。

 共に働いているこの時間が、いったい何に繋がっていくのか……その先を見てみたい。


 惹かれている、とはまだ言いたくない。

 けれど、少なくとも私の中に確かに“彼を信じたい”という気持ちが芽生えている。


 それは前世の私が、とうとう得られなかった──「対等な関係を築ける誰か」への、ささやかな渇望だったのかもしれない。



 ◇◆◇◆




「……また、手、切ったんですか?」

 工房からの帰り道。日が傾き始めたころ、領主館の裏庭で出くわしたセドリックが、目ざとく私の手に巻かれた包帯に気づいた。


「ちょっと、道具の端が割れててな。大したことはない」


 私は視線を逸らすように言ってから、無意識に右手を隠す。

 そんな仕草が癖になっていることに、自分でも少しだけ苦笑する。


 前世では、手の荒れや小傷ひとつで周囲の反応が冷たくなった。

「女子らしくない」だの、「手入れが行き届いてない」だの。

 今も、身体のどこかに、その時の感覚が染みついているのだ。


「消毒はしましたか? ああ、でも、領主閣下ともなると、いちいち誰かに頼むのも手間ですよね……」


 言いながら、彼は手袋を外し、自分のポケットから小さな瓶を取り出した。薄荷の匂いがする消毒薬だ。


「こっちを使ってください。傷跡が残りにくいやつなので」


 私は思わずその瓶を受け取って、彼の顔を見た。

 商人のくせに、いや、商人だからこそか。こういう気配りは妙に細やかだ。


「……ありがとう」


 その言葉に、彼はふっと微笑んだだけだった。

 けれど、その微笑みに、胸の奥が妙にざわつく。


 変だ。

 私は誰かに優しくされると、どうしてこんなにも戸惑うのだろう。


「工房、調子はどうだ?」


「順調すぎて怖いくらいです。人手の確保が急務ですが、技術習得の早い若者も多いですね。孤児院の卒業が近い子の研修も始めています。……閣下が、最初に“職の種”を撒いてくれたおかげですよ」


「私がした事はせいぜい立案くらいだ。育てたのは、現場の連中だ」


「それでも、土台を作り上げたのはあなたです。僕は、それを見てこの地で商会を立ち上げようと思えた。……それだけは、伝えておきたかったんです」


 その言葉に、私は一瞬だけ言葉を失った。


 目の前の男は、かつての名を捨て、商人として生き直そうとしている。

 なのにその視線は、私のどこかを、まるで……

 まるで“信じているもの”を見るような温度で向けてくる。


 平然としていたいのに、胸の奥にくすぶる過去が、囁いてくる。

「そのうち幻滅される」「どうせ裏切られる」

 ……それでも。


「……セドリック。今夜、工房の炭化調整に立ち会う予定だったな」


「はい。夜間でなければ、炉の温度が安定しないので」


「……私も行く。第三炉の稼働実験、直接確認したい」


 彼の顔に驚きと、微かな安堵の色が交じるのを見た。


「心強い限りです。……では、あとで迎えに来ます」


 そう言って彼が去ったあと、私は静かに手に残った瓶を見下ろす。

 誰かとこうして、自然に言葉を交わすこと。

 気負わずに、気を張らずに、何かを一緒にすること。

 それが、こんなにも……心地よいものだったとは。


 工房の夜は、昼とは別の顔を持つ。

 音も少なく、空気は冷え、炉の赤い光だけがぼんやりと空間を染めている。

 作業台に立つ職人たちの足音は控えめで、誰もが言葉よりも「燃やす音」に耳を傾けていた。

「温度は?」


「現在、七百三十。予定通りです。もう少しで炭化の第一段階に入ります」


 セドリックの声は低く、よく通る。

 報告を受ける姿はもうすっかり工房の一員のようで、彼の周囲には自然と人が集まる。

 領主である私が居ても、職人たちが彼に先に声をかけることに、誰も不満を持たない。


 それが、彼の“実力”だ。


「……さすがに慣れてるな。高炉の扱いは、普通の商人なら腰を引かせるところだが」


 私が背後から声をかけると、セドリックはわずかに振り返り、微笑んだ。


「慣れというより、性分です。危ない場所の方が、思考がはっきりするんです。……閣下も、そうでは?」


「……さあな」


 返事を濁す私に、彼は深く追及しない。

 そのあたりの空気の読み方もまた、商人らしくはない。


 炉の前には、炭化前の試作品が並べられていた。

 燃料ブリケットの新しい配合。藁灰、麦糠、獣骨の炭……そして、何より村人たちが捨てていた「もったいないもの」たち。それらを混ぜて、用途ごとに燃焼の温度や持続時間を調整していく。


「ここまで来たんだな……最初に、湿った泥団子みたいなブリケットを見たときには、どうなることかと……」


 ぽつりと漏らした言葉に、彼が振り返る。


「笑いましたか?」


「少し。……だが、すぐに気づいた。これは、笑って済むものじゃないって。中に詰まってた“合理性”は、簡単には真似できない」


 彼はゆっくりとこちらに歩み寄る。炉の熱気と、外気の冷たさの境界線に私たちは立った。


「閣下は、“できるもの”を作るより、“役立つもの”を優先している。領主の仕事としては珍しい姿勢です」


「理想を語るには、まず足元を固めねばならん。……貴族の娘が何を語ろうと、空腹には勝てんよ」


「ですが、だからこそ──閣下の言葉には、重みがある」


 静かな声だった。

 けれど、目はまっすぐだった。

 ……正面から、私を「領主」として見てくれるそのまなざしに、何度救われただろう。


「お前、そうやって人の懐に入るのがうまいな」


「え?」


「本音を見せずに、本質だけを褒める。敵を作らない話し方だ。……私だったら、そういう奴は信用しない」


「……では、閣下は。僕を信用していない?」


「してるさ。悔しいことにな」


 そう言うと、彼の顔にかすかな苦笑が浮かんだ。

 今夜の工房は、なぜか言葉がよく届く。

 普段なら飲み込んでしまうような台詞も、喉を越えて出てしまう。


「私は人に好かれるのが苦手だ。助言をしたつもりが、相手の自尊心を傷つけてしまう。馬鹿にしてるという印象を相手に抱かせてしまう。信頼を勝ち取る事が苦手なんだ。無愛想で頑固者だと、お前にもそう思われてるかもしれんが……」


「思ってませんよ」


 食い気味の言葉だった。

 不意打ちのようで、私は思わず瞬きをした。


「むしろ……あなたの冷たさは、優しさの裏返しだと思ってます。必要以上に人と距離を取るのは、傷つかないためじゃなくて、傷つけないためでしょう?」


 その言葉は、思いのほか真っ直ぐで、思いのほか温かくて──

 私の胸に、どうしようもなく静かな衝撃を与えた。


 言い返す言葉を失って、しばらく沈黙していた私に、彼は目を伏せ、そっと続ける。


「……僕もそうでしたから。逃げた先で、人の視線が怖くなって、何も期待されない場所を探して……ただ、生きるためだけに、働いてた。でも、閣下と出会って、初めて思ったんです。“誰かと、同じ方向を見てより良い明日のために働けるのは、悪くない”って」


 ──同じ方向。


 私は、うっすらと笑みを浮かべた。

 ようやく、誰かとそれを共有できる日が来るとは、思ってもいなかった。


「……じゃあ今夜は、その“方向”を一緒に確認するぞ。第三炉の安定燃焼を、見届けるんだ」


「はい。……閣下となら、喜んで」


 炉の奥で、炭がふいに音を立てて弾けた。

 光がまたひときわ明るくなり、彼の横顔を照らす。


 距離はまだある。けれど、確実に、少しずつ──

 私は、彼のそばに歩み寄っている。

 そして彼も、私から逃げようとはしない。

 それだけで、今は十分だった。


 高炉を作るのには目的がある。

 湿地帯には泥炭以外にも、粘土が採取できる。これをエルトリア領の工芸品とする予定だ。

 それには焼成に使える炉と、それを維持する燃料が必要になる。


 工芸品を提案してきたのはセドリックだ。

 カラステイン一族は、高品質で繊細な壺や花瓶などを王室に献上していたらしい。滅多に市場に出回ることはなく、かなり高値で取引されていたそうだ。


「温度、安定してきましたね。八百五十を超えたら、釉薬の試し焼きに入ります」


 そう言って、セドリックが温度計の数値を見ながら記録を取っている。


 その横顔に、私は黙って目をやる。

 いつもの、落ち着いた所作。冷静で、実直で、それでいて、どこかしら無防備な表情を見せるときがある。


 ……ずるい男だ、と少し思う。


 最初は、ただ利用価値があるだけだった。商会の主として、商人として、実務能力の高い協力者として──そう思っていたはずだった。


 それなのに、今こうして、静かな火のそばに立つ彼を見ていると、胸のどこかが落ち着かなくなる。


 たぶん、私は惹かれている。


 ようやく、それを自分の中で認めかけている。けれど、まだ口には出せない。

 名前をつけた瞬間に、全てが崩れてしまいそうで。


「……少し、手を出すな。型の確認をしたい」


「あ、はい。どうぞ」


 私が棚に積まれた焼成前の皿を手に取ると、彼は一歩退いた。

 不思議なことに、その気遣いひとつにも、妙に胸が締めつけられる。


 私は手のひらで皿の縁をなぞり、わずかに笑う。


「……これを、王都の連中が欲しがると思うか?」


「間違いなく。希少な粘土と、産地付きの“物語”……王族に近い地であればあるほど、『特別』という付加価値がものを言います」


 商人らしい答えだった。

 けれど、その口調にはいつも、温度がある。ただの利潤追求ではなく、“何かを一緒に築いていこう”とする──そんな色だ。


「お前、たまに“褒め上手”になるな。……まるで、私を操ろうとしているようだ」


「まさか。僕は正直に言ってるだけですよ。少なくとも、あなたの努力を見ている者の一人として」


 その言葉を聞いて、私は一瞬だけ動きを止めた。


 ……“見ている者”。

 それは、私がずっと、心のどこかで求めていた存在だった。


 前の人生で、誰も私の本気を、真剣さを、ちゃんと見ようとしてくれなかった。

 噂や印象で決めつけられ、冷笑や悪意にさらされ続けて、気づけば私は、誰にも「信頼されたい」とすら思わなくなっていた。


 でも──


「セドリック」


「はい?」


「……私の、何が見えてる?」


 不意に、問いが口を突いていた。

 気づいた時には、もう遅かった。


 セドリックはわずかに驚いた顔をしたが、すぐに表情を和らげた。


「あなたが、どれだけ孤独の中で踏ん張ってきたか。どれだけ真面目に、無理をしてでも、責任を果たしてきたか。そして……どれだけ、人に理解されることを、諦めようとしていたか──」


「……」


「そういう姿勢に、僕はずっと、救われていました。だから、見ていたいんです。あなたの横で」


 心臓が跳ねた。

 言葉の重さに耐えきれず、私は思わず背を向ける。


 焚口の赤い火が、視界の端で瞬いた。

 いつもなら落ち着くその色が、今はやけに眩しかった。


「……甘いな、お前は。そんなふうに、誰彼かまわず言っていたら、色恋沙汰の問題に巻き込まれるぞ」


「言いませんよ、誰にでもなんて」


 彼の声が、背後から追いかけてくる。


「僕がこうして言葉を選ぶのは、相手が“あなた”だからです。……ただの領主としてじゃない。ひとりの人間として、向き合いたいと思うからです」


 ──駄目だ。顔が熱い。


 私は静かに息を吐いて、火の前にしゃがみ込んだ。

 まるで火照った顔を、炉の熱のせいにするかのように。


 彼の声も、眼差しも、どこまでもまっすぐで、優しくて。

 そして、それがいちばん……怖い。


「……私は、傲慢だからな。傷つける方が得意なんだ。近づく者を、突き放す癖がある」


「なら、その時は追いかけてもいいですか?」


「……追いかける、だと?」


「ええ。あなたを地の果てまで追いかけるくらいには、僕は本気です」


 私は、思わず笑ってしまった。

 ああ、もう。ほんとうに──ずるい男だ。


 けれど、少しだけ。


 ほんの少しだけ。


 その言葉を信じてみたくなった。


「なら、その時は満足するまで追いかけるといい。もっとも、私は逃げも隠れもしないがな」


 カラステイン一族の最高傑作と謳われた『清湖の白鳥』の模造品を戸棚に置く。


 かつて国王と王妃の婚姻を祝して贈られたとされる皿に描かれた白鳥の番は、互いを見つめあっている。

 信頼か、あるいは深い愛情を持って眼差しを注いでいるのか。

 それは皿のデザインを担当した職人にしか分からず、その者もカラステイン一族の粛清に巻き込まれて処刑された。デザイン画だけが、屋敷の片隅で埃を被っていたのだ。


 この皿を市場に出すつもりはない。

 セドリックから話を聞いた時に、見てみたいとふと思ったのだ。

 領地を愛するが故に王家に反逆者として処罰されたカラステイン一族の者たちが、王家に贈った品を。


 彼らは何を思って王家に逆らったのか。

 この皿を見ても、答えは得られなかった。

 セドリックの語る両親の姿と、国家反逆の大罪人がどうにも一致しない。

 だが、このエルトリアという地を愛していた事だけは、疑いようもない事実であり、その心がセドリックに受け継がれているのだろう。


 エルトリア領が冬を越したという知らせは、近隣の領主たちに届いている頃だろう。王家から使者が来るのも時間の問題か。元婚約者レオン側で動きがあったとの知らせが実家から届いたのも最近だ。


 王家との距離感と、これからの私の為すべき事。

 そろそろ決断する時だろう。

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