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女伯爵フォルテの華麗なる婚約騒動  作者: 清水薬子


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カラステイン一族の遺児

 執務室の窓には、淡い夕陽が差し込んでいた。机の上に広げた地図と帳簿の端に光が落ちる。私は、クローナ村から送られたサンプルの燃料ブリケットを手に取り、思案していた。

 ──その静寂を破ったのは、グレンの重たい足音だった。


「戻りました、閣下」


 彼の声はいつになく低く、そして慎重だった。私は顔を上げ、促すように顎を動かす。


「セドリックについて、何か分かったようだな。報告しろ」


 グレンは無言で革の小包を机の上に置き、息を整えてから口を開いた。


「まず結論から申し上げます。セドリック──本名は“セドラス・カラステイン”。かつてこの一帯を実質的に支配していた旧貴族、カラステイン家の末裔です」


 私は思わずブリケットを机に置き、眉を寄せた。


「……聞いたことがある。確か、“反逆の貴族”として家ごと断罪された家系だな。十数年前、王家に叛意を示して処刑されたと──」


「はい。両親は処刑済み。家督も爵位も剥奪され、記録上は一族まるごと“消えた”ことになっております。ですが……その処刑が実行された時、まだ幼子だったセドリックだけは消息不明のままでした」


 私は静かに椅子の背に身を預け、グレンの言葉を飲み込む。脳裏に浮かぶのは、端整な顔立ちと静かな語り口、そして商談中に見せた異様な手際の良さ。


「……なるほど、身元を隠して生き延びた“遺児”だったというわけか。だが、どうやって?」


「一部の忠臣が命を懸けて匿ったようです。貴族の孤児として生きるのは無理だと判断し、他の領地の下層民の中に紛れ込ませた。その後は独力で商売を学び、数年前から小規模な流通網を立ち上げ、徐々に名を上げてきた模様です」


 私は目を閉じ、しばし沈黙した。


「……つまり、彼は“王家に処された家”の生き残りでありながら、復讐ではなく、ビジネスの道を選んだのか」


「ええ。ただし、王家に恨みを抱いていないとは限りません。にもかかわらず、我らエルトリアと取引を結んだというのは──むしろ、利害と誠意を秤にかけたうえで、腹を括ってこちらに手を差し伸べてきた……そう、俺は見ます」


「復讐のために近づいたのではなく、自分の手で“何かを変えたい”と望んだ結果、ここに来た……という可能性もある」


「はい。ただし、過去が過去です。いずれ、誰かがその出自に気づいて騒ぎ立てる可能性は否定できません」


 私はブリケットに目を戻す。あの燃料は、彼がまっすぐに私の目を見て「売りたい」と言った商品だった。誠実さと実力を兼ね備え、過去に縛られず、今を生きようとしている青年──


「……利用されてきたからこそ、他人を利用しない道を選ぶ人もいるか。ギルバートにもこの件を共有しろ、しかし内密に。まずは彼の真意を確かめるべきだな」


 グレンは一礼し、扉の方へと向かいかけたが、そこで足を止めた。


「……セドリックの目、閣下のと似てると思いました。過去に囚われないようでいて、決して忘れてはいない。痛みを知ってる目でした」


 私は返事をしなかった。ただ、胸の内に、知らぬ間に芽生えていた信頼の輪郭を感じていた。


 ──セドラス・カラステイン。またの名をセドリック。

 かつて国に見捨てられた一族の子が、今、わたしの領地の未来を共に築こうとしている。


 この地には、まだ始まったばかりの“新しい物語”がある。

 たとえそれが、いくつもの過去を背負った上でのものだとしても。


 応接間には、まだ朝の冷気がわずかに残っていた。

 私の前には、手入れの行き届いた黒い外套姿のセドリック。いつも通りの笑みを浮かべているが、その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ警戒が宿ったのを見逃さなかった。


「……お呼びとのことでしたので、参りました。何か気になる点でも?」


「ああ、いくつか聞きたい事がある」


 私は机の上に置いた茶器に目もくれず、まっすぐ彼の瞳を射抜いた。


「セドラス・カラステイン」


 わずかに、彼の肩が動いた。それでも顔色は変えない。笑みもそのまま。ただ、その静けさは張りつめた氷のようだった。


「なるほど。調べたのですね」


「ああ。王家の記録に名を残す“反逆者の家”。お前はその生き残りで、処刑を免れ、身を隠して商人として生き延びた。そして今、エルトリアで商会を築いた」


「……」


 彼は沈黙を保った。肯定も否定もせず、ただ視線だけが揺れる。私は、あえて椅子から立ち上がらなかった。


「なぜ、名乗らなかった?」


 セドリックはわずかに伏し目がちになり、それから小さく息を吐いた。


「……私は、何も取り戻そうとしているわけではありません。家を復興する気もない。復讐など、もっとない。ただ、“名”が失われても、父さんと母さんが愛したこの土地を、食い物にされるところを見ることしかできなかった虚しさを、どうにかしたかったんだ」


「お前の両親は、王家に牙を剥いた。だが、それはまだ幼子であったセドラス────いや、セドリックには関係のない話だ。その誠意を私は受け取ろう」


 私は一呼吸置いて、言葉を続けた。


「だが、お前の正体が外に漏れれば、王家は黙っていないかもしれない。せっかく築いた商会も、吹き飛ぶ可能性がある」


「覚悟はしています」


 今度は、まっすぐ私を見返してきた。決意の色が宿った瞳。


「エルトリアの発展に、本気で関わりたいと思うなら……私はお前を守る。けれど、その代わりに、お前にも腹をくくってもらう」


「……領主閣下の命に従います」


 セドリックはそう言って、深々と頭を下げた。形式的なものではない、誠意のこもった頭の下げ方だった。


「最後に、もう一つだけ」


 私は立ち上がり、机を回って彼の正面まで歩いた。そして、至近距離からその顔を見つめた。


「“セドラス・カラステイン”としてではなく、“セドリック”として、お前がこの地でどこまでやれるのか。それを、私は見ていたい」


 彼はその言葉に、初めてわずかに目を見開き、そして微笑んだ。


「それは……身に余る光栄です、閣下」


 応接間の外では、ギルバートとグレンが静かに控えていた。二人の気配も含めて、全てを察している空気が漂っている。


 だが私の中には、ただ一つの確信があった。


 ──この地に集まる者たちは、皆、過去を抱えている。

 けれどそれを糧にして、未来を築こうとしている。


 それは、私も同じなのだから。

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