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婚約破棄騒動

 諸外国の王族や高官が顔を揃える、年に一度の大舞踏会。その華やかな場で、私は婚約を破棄された。

 ──理由は、“王太子が平民聖女の寝室に通い詰めていたから”だという。

 第二王子レオンは、私の隣に座らせていたその聖女との馴れ初めを、微笑みすら浮かべて語り出した。貴族社会においては致命的な醜聞も、本人にとっては美談らしい。


 「初めて手を取ったのは、夏の夜だった」と語る彼に、私は思わず目元を覆った。薄化粧で良かった、もししっかりと化粧をしていたら化粧直しが必要だっただろう。


 レオンが婚約中に聖女の私室へ深夜たびたび訪れていたと公言したことは、国内外の賓客たちの間で大きな波紋を呼んだ。王家の面目を潰すに等しい行為だった。


 陛下と王妃殿下は即座に対応し、レオンの王籍を剥奪、騎士団への編入を命じた。王子としての資格は消えても、剣の稽古くらいはまだ役に立つだろう。聖女の寝室で鍛えた体幹が、今度は雑巾がけに活かされるといいけれど。


 だが、火種はまだ残っていた。婚約破棄にかかる慰謝料や名誉回復の費用に加え、保留となっていた魔獣討伐の報酬授与まで、前倒しで私に与えられることになったのだ。


 ……魔獣討伐、といっても、私はただ運が良かっただけだ。


 相手は氷属性に弱い魔物で、移動も遅く、偶然にも立地条件にも恵まれた。損害なしで討伐できたのは、戦術でも魔力でもなく、ただの“幸運”の賜物だった。


 そして王城へ呼び出された私に下された報酬は──


 伯爵位と、王家の旧領地。


 ……なるほど、これは救済という名の囲い込みだ。


 婚約破棄によって不遇となった私への補填に見せかけて、功績者を国外へ逃がさぬよう足を縛る策。事を荒立てず、静かに王家の庇護下へ置くにはうってつけの報酬だ。


 幸いなことに、「領地経営を最優先とし、社交界への出席義務は問わない」という“優遇措置”まで付いていた。つまり、黙って領地に籠もっていればそれでいいということ。


 いいだろう。私は、もらった領地を経営する。

 社交界で化粧と嘘を重ねるより、氷の魔法で灌漑と防衛を担う方が、よほど性に合っている。使い所のなかった前世の記憶を活用するいい機会に恵まれたと喜ぶべきだろう。


 王都を馬車で三日。冬枯れの道をひた走った先に現れたのは、灰色の石壁に囲まれた屋敷と、その背後に広がる濃緑の森林だった。


 「……ここが、私の領地、ね」


 遠目に見える畑は凍てつき、村落の屋根には煤が積もっている。人の姿もまばらで、農村というよりは“寒村”に近い。少なくとも、舞踏会のきらびやかさとは無縁の地。まさに田舎といった景色だ。


 門をくぐると、出迎えの一団がすでに整列していた。


 その中央で一歩進み出たのは、品のある老年の男。整えられた銀髪に、無地の黒衣。背筋はぴんと伸び、まるで王家の従者のような立ち振る舞いだ。


 「初めまして、伯爵様。私、屋敷の管理を任されております執事、ギルバートと申します」


 深々と頭を下げる。バリトンの声は、よく響いた。老齢ながら、張りのある声。完璧な礼儀作法。──ただ、ほんの一瞬、瞳の奥にわずかな観察の色が差したのを、私は見逃さなかった。


 (さて……“突然降って湧いた女伯爵”が、どれほど使えるものか。見定めてやろうという目、か)


 もちろん、反感ではない。ただの当然の疑念。王家の血も引かぬ者が、いきなり伯爵領主として現れたのだ。執事として、相応の懐疑を抱くのは当然だろう。


 「フォルテ・エバーミルだ。事前準備もなく授与された領地だが、貴殿の助力を借りられるなら、何とかやっていけるだろう」


 「……もったいないお言葉です。微力ながら、精一杯お支えいたします」


 彼の表情が、わずかに和らぐのがわかった。威張るでも卑下するでもない、理知的な態度。ギルバートのような年配の執事には、むしろそういう方が信用に足るのだろう。


 彼の後ろには、他にも数名。屋敷の使用人たちと、領兵の頭目らしき男が控えている。


 「ご紹介いたします。こちらが兵のまとめ役を務めます、グレン。かつては辺境の傭兵上がりでして、腕は確かでございます」


 「グレンです、伯爵様。……ご安心ください。こちらで騎士の真似事をするくらいは、慣れておりますんで」


 ざらついた声の中に、微かに皮肉と誇りが混じっていた。逞しい体躯と無骨な目つき。戦場帰りの男にありがちな、無礼とも礼儀ともつかぬ態度だが──不思議と嫌味には感じなかった。


 「騎士の“真似事”をするぐらいなら領民を守る“本物の盾”になってもらえると助かる」


 「……心得てます、伯爵様」


 わずかに口角を上げて、グレンは手を胸に置いた。形式ではなく、実直な忠誠の印。どうやらこの男、見かけによらず気に入りそうだ。


 そしてもう一人。後方からぴょこりと顔を覗かせたのは、明るい栗色の髪を三つ編みにした、小柄な少女だった。


 「こ、こんにちは!あ、あたし、屋敷の雑務をお手伝いしてます、ティナっていいます!」


 おずおずと頭を下げる彼女の後ろで、グレンが苦笑いした。


 「娘っ子、朝からずっと練習してたんです。噛まずに言えて良かったな、領主へのご挨拶」


 「グレンさん、言わないでくださいっ……!」


 真っ赤な顔でぽこぽことグレンを殴る、かわいらしい子だ。

 きっと、この子にもこの領地にも、まだ私の知らないことが山ほどある。

 だが、ひとまずの印象としては悪くない。


 私は一歩、屋敷の敷居をまたぐ。

 今日よりここが“私の領地”となる。

 女伯爵として最低限の働きはしよう。


 まずは領地の問題を洗い出してみるか。

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