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人形遣い  作者: 壷家つほ
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後編

 友人が足を止めた場所は、廃墟からも確認可能な距離にある小さな森であった。魔法使いの故郷とは逆方向にある。兵を伏せておくには心許ない広さだが、少ない数の旅人が身を隠すには確かに適した場所に相違ない。特に勇者は人間、魔族問わず広く顔が知られているので、ここで待機する必要があったことは説明されずとも理解出来た。

 森の静けさや薄暗さが、言い知れぬ不安感を抱かせる。鳥肌が立った腕を擦りながら魔法使いは友人に尋ねた。

「勇者様は此方におられるのか?」

 友人は緊張を隠し切れない様子で振り返り頷く。

「ああ。今、お呼びする」

 再び前方を向いた友人は、一度大きく息を吸ってから声を張り上げた。

「『彼』を連れて来ました! 姿をお見せになって下さい!」

 余りに大きな声なので、魔法使いは方々を巡回しているであろう魔族の使い魔を呼び寄せてしまうのではないか、と慌てた。だが、幸運にも危惧していた事態にはならず、代わりに物音と共に現れたのは彼も良く知る人物だった。勇者である。魔法使いは思わず息を呑んだ。

「勇者様……。本当に?」

 彼は感極まって思わず片手で口を抑えたが、直後、異変に気付いて杖を横に構えた。次の瞬間、甲高い金属音が響くと共に杖が重くなった。杖に宛がわれた剣を見ながら、魔法使いは叫んだ。

「勇者様、何を!」

 だが、勇者からの返答はない。彼は杖の傷を一心に見詰めている。止む無く魔法使いは正面を向いたまま、今度は友人に尋ねた。

「どういうことだ!」

 すると、友人はくつくつと笑った後に口を開いた。

「まるで身に覚えがないとでも言いたげだな、この裏切り者が!」

 魔法使いは「は?」と間の抜けた声を吐いた。一瞬杖を持つ手が緩み掛けたが、押し負けそうになった所で気付いて、彼は体勢を戻す。それを見た友人は舌打ちし、こう続けた。

「白を切るつもりなら、私が明らかにしてやろう。お前の罪は軍事機密の漏洩だ。魔族と通じ、王城でも極一部の者しか知らない防衛上の弱点を教え、落城に寄与した。その罪を勇者様は問うておられるのだ」

 魔法使いにとっては全く身に覚えがない話だった。一体どういう経緯でこの冤罪が生まれたのか。魔族の仕業か、人間の仕業か。何より気になるのが、勇者や友人が悪意ある者の企みである可能性を捨てて、虚偽を信じ切っていることだ。しかし頭の整理が進むに連れて、真相解明へ向かう気持ちは彼等に対する激情に取って代わられた。

「誤解だ! 私は何もやっていない!」

「黙れ! 王太子様がお前を排除されたのが何よりの証拠だ。それとも『排除』ではなく『処刑』か? 殿下の御気質ならば、疑惑が持ち上がった段階でそうされてもおかしくはない。そして、お前はまた悪辣な処世術を存分に活用して命辛々逃げ出した訳だ」

「違う!」

 必死に訴えるも、友人は全く耳を貸さなかった。彼の記憶の中にいる学生時代の魔法使いは、悪行を成す気配すら見せないであろうに。

 不意に勇者の足の動きが目に入った魔法使いは、杖を傾けて剣を滑らせ、相手が体勢を崩した所で後方へ飛び退いた。すると、勇者は蹴撃技の為に上げた足を下ろし、同じく後方へ退く。勇者は一旦剣を下ろしたが、視線は魔法使いに向けたままだった。まるで人形の様な無表情である。感情が見えない。値踏みする様子すらない。彼の心境は分からなかったが、魔法使いの目頭が針で刺した様に痛んだ。

「勇者様、誤解です。信じて下さい。私が仲間を裏切る様な人間でないことは、貴方様もよくご存じの筈でしょう?」

 けれども勇者からの返事はなく、代わりに友人が引き攣った笑声を上げる。

「無駄だ。勇者様は既にお前の本性を見抜いておられるのだ。本当はただ口が達者なだけで、お側に侍る程の能力など持ち合わせていないこともな。私も騙された。お前を友と信じた過去の自分を殴りつけてやりたいわ」

「何だと?」

「そうさ。出自が卑しく実力も乏しいお前が引き立てを賜ったのが、そもそもの間違いだったのだ。隣に私が立っているのだから、まずは私に声をお掛けになるのが筋というものであろう。それをどんな手段を使ったのかは知らないが、お前が捻じ曲げた。その所為で今の状況になった。お前の所為で皆が不幸になったのだ!」

「それが君の本心か!」

 勇者の刃が再び向かって来たのもあり、魔法使いは声を荒らげた。友人の方の動機は分かった。先程の発言だけでは彼こそが冤罪事件の首謀者であるとは断定出来ないが、魔法使いを罠に嵌めたこと、殺害を目論んでいることは明白だ。では、勇者の方はどうか。何を思って彼に協力しているのだろう。

 破裂音が鳴る。勇者の次の一手は魔法で弾いた。相手を傷付けない程度の威力である。魔法使いは未だ勇者を害する覚悟を決められずにいたのだ。それでも、勇者の腕は握っている剣に引っ張られて別方向へ持って行かれた。だが、剣の勢いが弱まると勇者は再び切っ先を魔法使いへ向ける。そうして、また魔法使いが同じ方法で剣を弾く。斬りかかる、弾く――この応酬を何度も繰り返した。

 暫くして、魔法使いは勇者の行動に違和感を覚える。

(おかしい。動きが単調過ぎる。勇者様の攻撃は何れも精彩を欠く。はっきり言ってしまえば、弱い。よもや遊んでおられる訳ではあるまいな。負傷されて一時前線を離れるという話は伺っていたが、その為か? それに――)

 魔法使いが杖を別の形に構えると、勇者は後方に下がり、剣を前方に構えたまま敵を観察する。一瞬だけ余裕が出来たので、その隙に魔法使いは友人をちらりと見た。彼は少し離れた場所で片方の手を腰に当てて立っていた。

(どうして奴はただ見ているだけで攻撃を仕掛けて来ないんだ? 勇者様に配慮しているのか?)

 卑劣な策を行う人物だから、別の罠が仕掛けられている恐れもある。魔法使いは意識を研ぎ澄ませ、周囲を探った。

(魔法の気配を感じる。何かしらやってはいるのだろう。早急に解析すべきか。果たして、そんな余裕があるものか?)

 だが、そこで魔法使いは唐突に閃く。

(待て。「魔法」と言えば、どうして勇者様は魔法を使って来られないんだ。否、それ以前に「魔法使いを相手にする場合は、体裁を捨てても遠方から出し抜けに即死級の攻撃をぶつけるのが最善」と仰っていたのに、正面から一対一での戦闘を仕掛けて来られたのは何故だ。これではまるで世間知らずな貴族の坊やの様ではないか)

 間を置かず、疑問への答えは見付かる。真実に至る切っ掛けは、直前に魔法使い自身が頭に浮かべた「貴族の坊や」という言葉であった。

「そうか、そういう絡繰りか」

 大して嬉しくもないのに笑みが零れた。

「嘗て友であった悪党よ。勇者様がお前を選ばなかった理由を今こそ教えてやろう!」

 罵倒交じりに宣言すると、魔法使いは懐から金属製の護符を取り出し、勇者へ向かって投げた。護符は目標へ到達する前に発光する。勇者は顔色一つ変えなかったが、彼の背後にいた友人は眩しさに耐え切れず目を腕で覆った。その瞬間、友人の使用していた魔法が消失した。それがこの護符の効果であった。今は亡き元同僚の宮廷神官が作ってくれた物だ。一度につき一つの魔法しか解除出来ず、相手を傷付ける類の品でもないので、窮地の逃走用位にしか使えないが、魔法使いの推測が合っていれば、恐らく今回に限ってはこれである程度状況が変わるに違いない。実際、彼の有利には動いた。ただし、予測とは全く異なる真相だったが。

 まず、ぐしゃりと小さな音がした。続いて、閃光を浴びても不自然な程に表情が変わらなかった勇者の顔から、皮膚の一部が剥がれ落ちた。それを皮切りに彼の肉体は変色し、急速に腐敗が進む。魔法使いは呆気に取られて棒立ちになり、ややあって友人が使っていた魔法の名を呟いた。「屍操術」――死者を操る魔法である、と。攻撃方法が嘗ての勇者とは異なっていたのもその為だ。高位の魔族で屍操術を専門とする者ならば、死体に生前とほぼ変わらぬ動きをさせたり、精神を残したまま操ったり出来るそうだが、友人程度の力では操り人形の様に動かすのが精一杯だったのだろう。

「君の実力では洗脳や肉体操作の魔法で勇者様を支配するのは難しかろう。だから、幻影術に違いないと当たりを付けていたのだが、其方は考え付かなかったな。『高貴なる出自の者は常に高貴なる精神を持つべき』と言い続けた君が、まさか魔族と同じ手口を使うとは。悲しいよ」

 剣を取り落とし微動だにしなくなった勇者と目を抑えたままの友人を交互に見て、魔法使いは溜息を漏らす。対する友人は歯軋りをした。相手の顔が見えずとも、声の調子で侮辱されたことを感じ取ったらしい。彼は腕を下ろし、魔法使いへと顔を向けた。しかし、先程の発光が目に悪影響を及ぼしたのか、瞼は閉じられたままだった。

「貴様、私を侮辱しているのか? 罪人の分際で――」

 だが、魔法使いは友人の罵倒を最後まで聞かなかった。最早、一抹の罪悪感すら消え果てている。同情の余地もない。

「怒っているのは此方だ。答えろ。この死体は勇者様だな。どういう経緯でこうなった。お前が勇者様を殺めたのか? それとも、処刑された勇者様の御遺体を魔族より下げ渡されたのか?」

 腐り落ちても眼前の死体には勇者の面影があった。身に着けている衣服や武器も見覚えがある。故に、この死体は容姿の似た別人ではなく本人の可能性が高い。ならば、やはり勇者は魔族に連れて行かれた後に処刑され、恐らくは彼の関係者たる魔法使いを誘い出して殺す為に、確執のあったこの友人に引き渡されたのだ。屍操術の教授もその時に行われたのだろう。

 魔法使いの目から涙が零れそうになった。胸が締め付けられる。勇者の末路は偉業にそぐわぬ悲惨なものであった。戦犯に対する扱いとしても余りに酷い。魔法使いは彼を斯様な目に遭わせた魔族と眼前の友人を恨んだ。そう、友人も同罪だ。「勇者様と共に戦いたい」という言葉は何だったのか。

 けれども、糾弾された側は何故か素知らぬ顔だった。

「お前は何を言っているんだ? 『死体』? 一体、何のことを?」

「この期に及んで言い逃れが出来ると思っているのか!」

 苛立ちを募らせながら魔法使いが追及すると、友人の方も怒りを込めて言葉を返す。

「だから、何を――ぐうっ!」

 突如、友人が両手で顔を押さえて苦しみ出した。これまでの所業があるから初めは演技を疑ったが、彼の肉体から放出される魔力にも変化が表れる。魔力は魔法の動力だが、生命力に影響されるものでもあるから、彼は本当に体調を崩しているのかもしれない。魔法使いは再び杖を構えつつも、僅かに友情が戻って来て、柔らかな声音で尋ねた。

「どうした?」

「頭が、うう……」

 以降、友人は人語を発しなかった。聞こえて来るのは苦悶の声ばかりであった。やがて、その音色に粘着質な別の音が混じり始める。暫く経って、顔を覆う指の隙間から血液が滴った。

「君……」

 魔法使いは地面に落ちた血を眺めて絶句する。友人が只ならぬ状態であるのは明らかだ。

 それから間もなく友人は顔から手を離した。掌も顔も真っ赤に染まり、所々に肉片が付着していた。また、彼の眼窩には眼球が入っていなかった。代わりに蛭の尾の様な物体が幾つも穴から飛び出し、蠢いていた。一目で魔族、或いは彼等の使役する魔獣の類に寄生されていると分かった。

「ああ、そうか。やはり罠だったか」

 力なく呟くが、言葉に反して魔法使いは少しばかり嬉しくもあった。

「疑って済まなかった。ここ最近は人間とばかり争っていたから、魔族の醜悪さを完全に失念していた。そして、重ねて謝罪する。どうか、君への救済を許してほしい」

「と、も、なに……ゆうしゃ、わた、しの……」

 舌足らずな声が友人の口から漏れ出る。両手の指が意味もなく宙を掻く。言葉を発しているのが友人であるのか、寄生した生物なのかは不明だ。しかし、彼がもう助からないことは確実だった。そもそも生存すらしていなかったことも。

「さようなら。生きたままの君と再会したかったよ」

 別れの言葉を告げると共に、魔法使いは友人の肉体を猛火で焼いた。不可思議な魔法の炎は人間も魔性の者も間を置かず黒い灰に変える。宙を舞う灰を魔法使いは悲し気に見詰めたが、内に渦巻く感情は然程激しくはなかった。似た様な出来事は過去に何度もあった。慣れているのだ。ましてや、交流を断って久しい相手である。一時友情が戻って来ていたとしても、持ち直すのは早かった。

 不意に魔法使いの背後で重い荷物が倒れる音がした。友人か彼の中の寄生生物が操っていた勇者が倒れたのだろう。別の罠が仕掛けられている可能性を考えて、魔法使いは確認しようと振り返った。そして、眉間に皺を寄せた。死体の顔、背格好、服装――全てが振り返るまでとは違っていたのだ。

「別人か。勇者様ではなかったのだな。果たして、これを希望とするべきか」

 恐らくは屍操術の他に、別人の死体を勇者と誤認させる「幻影術」も使われていたのだろう。偽勇者に投げた護符は一つの魔法しか消せない仕様の為、屍操術が解除されても幻影術の方は解けなかったのだ。そして、後者については術者が死亡した後に消失した訳だ。ならばいっそのこと友人も幻影術で用意すれば手間が省けただろうに、とも魔法使いは思ったが、そこは黒幕の趣味が反映された結果なのかもしれない。実に魔族らしい下劣な所業である。

 地面の黒ずみを眺めながら、魔法使いは物思いに耽る。もしかしたら友人が寄生された一番の要因もこの幻影術だったのではないか、という考えに行き付く。憧れて止まない勇者の姿を見て冷静さを失い、衝動の赴くままに駆け寄る彼の姿が、魔法使いには容易に想像出来た。死した友人が放った言葉は存外、理性を殺されて解き放たれた彼の本心だったのかもしれない。

 ともあれ、用事はなくなった。魔法使いはその場に長くは留まらなかった。森を出た後、廃墟に戻ることもなかった。魔族側に知られてしまったから、あの場所を拠点にするのは止めたのだ。

 魔法使いは隠形の魔法を使い、他の土地を目指す。十中八九今も監視されているだろうから焼石に水かもしれないが、全く対策を取らないよりはましだ。

 出立前、魔法使いは地面の黒ずみに語り掛けた。

「友よ、有難う。君のお陰で方針が定まったよ。私は命ある限り一匹でも多くの魔族を殺す。例え勇者様がいらっしゃらなくても、味方が誰一人おらずとも、私は必ずそれを成す。あの悍ましき存在は世界にあるべきではない」

 友人は哀れな男であった。魔法使いの為に犠牲となり続ける生涯だった。更には屍となった後までも――。そんな彼への負い目を魔法使いは他者に対する憎悪で打ち消した。その行為もまた友人にとっては耐え難く腹立たしいものであると心の隅では理解しながら。

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