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久志は大学の掲示板の前で休講でないことを確認すると時計を見た。
十三時二十四分。
四時限目が始まるのは十三時四十五分からなのだが、当の教授が十三時五十五分よりも前に六十三年館の四〇四号教室に姿を現すことはない。その二、三分前に教室に行くとしてもまだ時間に余裕がある。
「学食でメシ喰ってからでも余裕だな」
要は教授に遅刻したと見做さなされなければそれで良いのだから。
久志は西洋史ゼミに所属しているのだが、そこでやっていることといえば、英文を読ませて訳させる――高校の英語のリーディングの授業とあまり変わりはない。使用しているテキストがどこぞの歴史学者が記した古代ローマの帝政と剣闘士競技の関わりについて書かれた論文ということでなければ。
春休み明け。ゼミの最初の日。
テキストとしてこれからの授業で用いられるプリントの束を配り終わった後で教授が口にしたことを久志は憶えていた。確か、「このくらいのことしか出来ないから、このようなカタチをとるのだ」とおっしゃっていた。
「本当は各自が卒業論文で取り扱う国の文献をその国の言葉で読んで欲しいんだけどね、就職活動とかなにやらでそんなことどうせ無理だろうからこういうふうにしてるんです。英語の論文を読ませるのはね、せめて英語の資料くらいは使えるようにしておいて貰いたいからでね、そのための訓練を多少でもしておいて貰おうってことでね、だからこういうカタチをとっているってわけなんです」
西洋史ゼミというものはどうやらそういうものらしい。そういえば去年は助教授がゼミに先立ってそんなことをいっていたような気がする。
「そんなわけだから、卒業論文を書く時には、最低一つは外国語の文献資料を使ってなければ落とすことにしてます」
敢えて英語と限定していないところに久志は多少の嫌味を感じなくもなかったし、同時に「俺の他にあと十六人は絶対そう思っている」とも確信していた。
「それからゼミの点数のつけ方なんだけどね」
話し方がどことなく落語家っぽいのはこの人が『男は〇らいよ』のファンクラブの会員であることと関係があるのだろうか? 久志の所属するゼミの教授は話し方といい体型といいスーツよりは腹巻にステテコの方が明らかに似合いそうな御仁ではあるのだが。
「皆さん知りたいだろうから知らせておくけどね、卒業論文の点数は全体の三分の二でね、残りの三分の一は出席点です。てわけだから、就職活動とかなにやらで忙しいとは思うけど、出来るだけ授業には出た方がいいよ。一回出席する度に三点あげます。ただし、ちゃんと最初から教室にいたら、ですけど。十五分以下の遅刻なら二点。十五分から三十分までの遅刻なら一点。三十分以上の遅刻は欠席と同じ扱いになるから注意してよね」
実際には当の教授が普段は普通に十分以上遅刻してくるから、それより早く教室に来てさえいれば遅刻で減点されることはない――久志は最初の三回でそう見切った。見切っていたから四回目以降は十三時五十分よりも前に教室に姿を現すことはなくなったわけだが、これまでは彼の見極めは的確だったらしく、遅刻で減点されたことは今のところはただの一度もない。
「あと、最後に皆さんにいっておきたいことはね」
教授がこの日の講義の終わりに釘を刺したのは、要するに「ちゃんと予習をしてこい」ということだった。