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「理不尽な因縁をつけられた凡人が、ボコられ、更にはボコボコにされました」とさ、いうお話です。
久志は近くの路地裏に連れ込まれ、民家の壁に叩きつけられた。毒虫軍団に取り囲まれ逃げ道はなかった。最初の一発を顔面にくらい、黒ぶち眼鏡が吹っ飛んだ。銀の指輪を着けた拳が、爪先の尖った靴が、ところ構わず久志を殴り、蹴り上げた。不良どもはよってたかって久志をいたぶり続ける。口の中が切れて鉄の味がした。毒虫軍団はアスファルトの上に倒れる度に無理やり起こし、さらに久志を痛めつけた。楽しんで暴力を振るっているのは明らかだった。
(くそっ)
額か目蓋の辺りか、それとももっと上からなのか、だらだらと流れてくる血が眼に入って前が見えにくくなっていた。どこに何がいるのか、今やったのは誰なのか、それすらも判別出来ない。
(せめて一発)
やり返してやろうとおもいっきり右腕を振り回した。何の手応えもなかった。「空振っただけか」と思った。
(あれっ?)
それにしては様子が変だった。辺りの雰囲気が一変している。凍りついたように毒虫たちの動きが止まっているみたいだった。誰も何もしてこない。取り囲んでいる筈の連中が、ただの一言も発しなくなっていた。
どすんと誰かが腰を抜かして尻餅をついたような鈍い音がした。沈黙を破ったのはやたらと声の甲高い茶パツだった。
「何だよこいつ!」
「やべえ! やべえよ! やば過ぎるよこいつ!」
今度はチビのリーゼントの声がした。
久志は額から目蓋にかけての血を拭った。何度も踏みつけられ、粉々に砕かれただて眼鏡が視界に入った。
「逃げるぞ! おい! 何しんてんだ! さっさとずらかるぞ!」
一番ガタイのいいスキンヘッドが腰を抜かしたらしいチビリーゼントの襟首を掴んで無理やりに立たせ、先に逃げていったリーゼント二人を追いかけようとしているのが見えた。
「本気でぶっ殺そうとしやがった。信じられねえ」
何がどうなっているのか、久志には輪からなかった。とりあえず片膝をついた状態から立ち上がろうとした。
「ん?」
何かに引っかかっているみたいに立ち上がることが出来ない。
「んっ?」
戦慄が走った。
右腕の肘から先がなくなっていた、というよりは、コンクリートに埋まっていた。手応えのなかった、空振りしたと思った大振りのパンチは、路地裏の民家の壁を貫通していた。急いで拳を引き抜こうとして、向こう側の穴の縁で手の甲をざっくりと切ってしまった。改めてそろっと手を引き抜いて穴を覗いた。恐ろしく滑らかな風穴が穿たれていた。
右手を左手で隠すようにして、道行く人々に怪しまれないように、久志はそそくさとその場を離れた。
(殺すところだった!)
ただ、ただの凡人が普通にボコボコにされているだけなら良かった(?)、というより救いはあったんですが……。
少なくとも、「絶望の鬱物語」にはなりません。




