鬱 4
鬱 4
久志が黒ぶち眼鏡を欠かせなくなったもう一つの理由は、自分が破壊の権化だとばれないから、自分自身が荒木久志であることを否定するためだった。黒ぶち眼鏡は素顔を隠すための仮面でもあった。たとえ顔を見られても印象に残るのはインパクトの強い黒ぶちであり、レンズの向こうにある自分の顔をまじまじと覗かれることはないと信じたかった。
(もしも正体がばれたりしたら……)
それだけは耐えられない。
多少ふらつきながらも、なるべく短い列を探して並ぶ。たいして暑くもないのに脇汗が止まらない。プラットホームに電車がやって来て停車し扉が開く。
背筋に悪寒が走る。そこにあるのもあまりにもありふれた朝の光景。立錐の余地もなく人間がぎちぎちに詰まっている。前に進むのを躊躇する間もなく、後ろに並んでいる人間たちに満員電車に押し込められる。至極当然なのだが、そこで待ち受けているのも人間である。人間、人間、人間、人間。人間だらけで人間ばかりが犇めき合っている。
久志は眩暈を覚えて戦慄する。
(そ、そんなはずない。
俺の正体があいつだなんてばれたら……)
ニ○ーヨークが廃墟と化し、数多の人命が失われるのを救えなかった、見過ごしにした、殺すことと壊すことしか能がない人に非ざる者――そんなものは人類に忌避される他はない。
(あんな化け物だなんて・・・・・・)
吊り革の下まで辿り着き、縋るようにつかまると周りを見回した。誰もこちらなど見ていないし、誰も自分のことなど話していない。
冷や汗にまみれていた。久志は強く自分に言い聞かせる。
(大丈夫。大丈夫だ。気のせいだ。気のせいに決まっている)
それでも針の筵だった。全身に力を込めていなければ震えが止まらなくなる。
終点である都心でもっとも乗降客の多いターミナル駅が近づくにつれて恐怖が募る。
(あそこには人間がいる。とんでもない数の人間がいる)
夥しい視線に晒される。夥しい声に圧殺される。
電車は副都心に到着し扉が開いた。意を決して吊り革を放した。のろのろと人の流れに従う。久志は不審者のようにきょろきょろと辺りを見渡した。
(人間が多い。人間が多過ぎる)
久志は眼を伏せた。無数の鋭い視線が全身に突き刺さる。無数の非難の呟きが心を苛む。
くらくらしながらもそれでもどうにか改札を抜けた。
(ば、ばれてない。ばれてなんかない)
一歩一歩俯き加減で足元を確かめるように進む。東口の手前くらいまで来たところで、久志は異様な気配を感じた。恐る恐る視線を上げた。
「な、何だこれは?」




