鬱 2
鬱 2
「部屋の外へなど出たくない」――心の底からそう思う。だが、「一度社会との接点を絶ってしまったら、その時には社会から抹殺されてしまう」という恐怖心が、強迫観念が、久志をそうはさせなかった。
これからもこの世界と繋がっていたい。これから先もこの社会の構成員の一人でありたい。ただ悪目立ちすることなく普通にこの世に埋没していたい。
「…俺は少しでもこの社会に認められ、受け入れ貰らえそうな肩書や身分が欲しいから、就活なんて続けるのか? 凝りもせず就職目指して会社説明会なんかに行くのか? こんなにも嫌な思いをしてまで……」
ニ〇ーヨークの惨劇以来、留守番電話の再生ボタンは赤く点滅し続けている。どうしても再生してみる気にはなれない。そのまま放置している。
革靴を履き、ドアを開けた。
陽の光。
眩しさが突き刺すようだった。
憂鬱で仕方がない。
嫌で嫌でしょうがないが、行かなければならない。
「でないと……」
部屋の暗がりの中から戸外の朝日の下へ。
意を決して一歩を踏み出す。
気分は陽の光に焼かれる吸血鬼以外の何ものでもない。
足下に沼に埋まるような感覚。
「沈むっ!」
亡者に足首を捕まれ地獄に引きずり込まれるかのような戦慄。
錯覚だった。
錯覚で済んでくれた。
気がつけば途轍もなく強大な力をもっていた。その直後に敵が現れるようになった。世界を守れということだと思った。神か何かに授けられた力だと信じて疑わなかった。
(それなのに……)
ニ〇ーヨークの惨状――地獄絵図が脳裏に焼きついてしまっている。それは久志の魂を絡めとり、ほんのひと時ですら彼を解放してはくれない。眠れない夜を強要し、罪悪感を募らせ、久志の精神を蝕む。
部屋のドアを開けた先の世界。
見慣れているはずの景色。
上京して以来ずっと、久志はここに住んでいる。すっかり馴染んでいる景色のはずだった。それなのに慰安では、まるで初めて来た土地のように、よそよそしくしか感じられない。外出する度に、身の周りの全てから、自分に対する親しみのようなものが失われてゆくようにしか感じられない。日に日に見知らぬものに変貌しつつあるような気さえしてしまっている。同時に無力感と罪悪感を募らせる以前と何も変わっていないようにも見えてはいるのだが。
久志はいつもの道を通って駅へ向かう。
朝の通勤通学時間帯。ありふれた日常の光景がそこにはある。
今日も多くのサラリーマン、多くの学生の姿がそこにはあった。突然、世界中で得体の知れない何者かが現れて、夥しい人々が犠牲になっているというのに。「明日は我が身」だとは誰一人思っているようには見えない。「遠いどこかのこと」「別世界の出来事」だとしか思ってはいないように。他人事としか思えないのだろう。だから、こんなにも平凡な日常の光景しかここには存在していない。
通勤通学のサラリーマンたちや学生たち。久志には彼らがゼンマイで動いているブリキ人形のように見えていた。ぎくしゃくとしたゼンマイの音も聞こえてくる。それはこの世界に対して彼らが軋ませている不協和音のように感じられた。
(この人たちは本当に自分の意志で動いているんだろうか? 何処かの誰かに操られているだけなんじゃないのか?)




