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gift  作者: 荒馬宗海
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4-1



 一昔、といっても十年くらいしか経っていない。この国の経済が所謂バブルを謳歌し、「経済は一流。政治は二流」と、どちらも今に比べれば相当に、いや、比べようがない程に買いかぶられていた時代。ニュースかバラエティーか何かで久志はこんな映像を見た記憶がある。

BGMは雅やかな琴の調べ。出だしはこの手のビデオではお決まりの富士山と桜から始まって、次いで映されたのは京都の嵐山に金閣寺。それから舞妓さんたちがカランコロンカランコロンと履物の音をさせながら祇園を歩いている映像。その次になってようやく登場したのは、それまで声だけの出演に留まっていた、如何に日本という国が特異で摩訶不思議な文化的・歴史的背景を持つ国であるかを力説するレポーター。彼は現在のニッポンの象徴的な風景として、朝の通勤時間帯にどこかの駅から吐き出されるようにして溢れて出てくるOLにサラリーマンの群れ――人、人、人を背景に、本国で視聴している同胞に向けて語りかけていた。「どうしてこの極東のちっぽけな島国が世界に冠たる経済大国と成り得たのか」を。人で溢れかえった交差点の次に映し出されたのは同時刻のどこかの駅のプラットホーム。そこでは座席のない列車に人を人とも思わぬ扱いで強引に客を中に押し込める押し屋と呼ばれる人達が血相を変えて職務に従事していた。当時の久志ですら同じ国の人間にもかかわらず、「酷っ。吊り革がなけりゃ、こんなのただの貨車だよ。まったくモノ扱いじゃん」と、レポーターの酷評と同じ感想を漏らしたものだ。彼はこうも述べていた。「ニッポン人はこのような忍耐を無理強いする通勤・通学に片道一時間も二時間も、場合によってはそれ以上も、その身をこのような状況に晒しているのだ」と。久志の田舎でも朝のラッシュには混みはしたし、一時間以上かけて職場や学校に通う者もざらにいたが、電車の混雑に関していえば、少なくとも押し屋は必要ではなかった。

今、久志は窮屈なかなり無理のある姿勢でこのありふれた都心の日常を久しぶりに受け入れていた。都心ではお馴染みの早朝のラッシュをいつの間にか「いつものこと」「どうしようもない」と受け入れられるようになってはいたが、すっかり慣れてしまったかというとそうでもない。たまにではあるが、未だに久志は「文明というものは果たして本当に人を幸せにしたと言えるのだろうか?」とふと疑問に思ってしまうことがある。

 ただしその日はそれ以上にそう感じないではいられなかったのではあるが。

話が違う。

 何しろ昨日の今日である。

(こんなんでいいのか?)

この前は何時だったろうか。何日ぶりかは思い出せないが、その時もまた、濃紺のスーツに白いワイシャツ、赤のネクタイを締め、黒い革靴を履き、書類選考のないどこかの企業の説明会に出席したはずである。

(こんなにもいつも通りでいいのか?)

 痴漢にまちがわれたくないから、誰からも良く見えるように、両手は高めの位置でカバンを抱えている。

(普通過ぎる)

 アルコールの抜け切っていない脳みそでもってそう思う。碌に寝てもいないからふらふらでもあった。どこの誰とも知らぬサラリーマンの背中に押され、それでも女性との接触を回避しながら、久志は昔見た映像の続きを思い出していた。

レポートは確かこんなふうに終わっていた。


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