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gift  作者: 荒馬宗海
10/107

2-4


今週は後ろからだから予習をする必要はない。必要なのは事前に教卓から手元が死角になる席を選び、たかが知れた英語力とそれなりでしかない予知能力を駆使して“内職”に励むことだ。出席を取っている間に何人が出席しているかを確認し、十二人なら十二番目十三人なら十三番目の文を授業中に訳す。十分もあれば済むことだ。あとは保険をかけておく。遅れて誰かがやって来たり、文の長さや難易度によって、教授が施す調節(文が短か過ぎたり簡単過ぎたりする場合はその次の文も訳さなければならない)によって多少の誤差が生じることがあるから、次の文、それからその次の文も訳しておく。念のためにさらに本命の前の文まで訳しておく。これは「就職活動とか何やら」で誰かが早退する場合に備えてである。だから久志は後からの方が好きだし、後ろの席を好む。遅刻はしないし、まちがっても一番前の席に座ったりはしない。予習をする場合はそれを無駄にしたくないし、アドリブが利かないから、内職には十分な時間をかけてきっちりと”仕込み“をしておこうとする。それならそれで毎回しっかりと予習をやってくればいいのだが、あいにくと荒木久志という人間はそこまで勤勉には出来てはいない。

 四百三十円のチキンカツ定食をたいらげ、お茶を一杯。時間を再確認してお茶をもう一杯飲んでから久志はリュックを担いだ。

十三時四十九分。

若干早めに来たつもりだったが、四○四号教室の前まで来たところでそうでもないことを知った。既によく通るテキ屋調の声が響いていたのだ。

「やばっ」

遠慮がちにドアを開けて教室に入る。やはり教授の姿が既にそこにはあった。

「どうもすみません」と、久志はペコリと頭を下げて、素早く教卓から死角になる位置に滑り込むと、前に座っている華奢な詰襟の肩をちょんちょんと突く。

「何でこんなに早く来てるの?」

「よくわからないけど、今日はちゃんと時間通りに来たよ」

「うそっ」

 相変わらずこの詰襟――田中篤は正規の時間にはきちんと教室に来ているらしい。

「で、今、何やってんの?」

「今、ちょうど出席取り終わったところ」

「あちゃ」

 出席点を一点損してしまった。

「ゼミで代返するわけにもいかないからさ」

「いや。さすがに篤にそこまでして貰おうとは思ってないけど」

田中篤が詰襟を着ているのは、彼が推薦入学でなく一般入試で入学したにもかかわらず、体育会系柔道部に所属しているからに他ならない。ゼミの前に道場に顔を出したのか、それとも授業が終わってから顔を出すつもりなのか、そのどちらかであろう。

 篤は教員採用試験の準備以外には一切就職活動をしていない。

「教師になれなかったらどうすんの?」

 久志が尋ねると、篤はこう答えた。

「なるよ。どこでもいいけど、ぼくは絶対先生になるよ。それで柔道を教えることが出来ればいうことないよ」   

 柔道を始めたのは小学校の頃からだと聞いている。黒帯ではあるが、素人目から見ても体格からしても、篤は柔道という競技には向いていない。久志は大学のサークルではない体育会系柔道部の練習というものを見物させてもらったことがあるのだが、小柄で痩せっぽちのたった一人を除いてはみるからにゴツい体格の奴らばかりだったし、そのたったの一人は投げられてばかりいた。もしかしたら、体格のわりには相当強いのかもしれないのだが何しろ相手が悪い。篤自身もいっていた。「あの人たちは化け物だよ」と。それもそのはず、彼以外の連中は高校時代に十分な実績のある体育推薦入学の猛者ばかりなのだから。篤の性格を考えてみるに「これまでに柔道に注いできた情熱やら熱意やら努力やらというもののせめて何分の一かでも、もしかしたら何十分の一かでも受験勉強に注いでいたら、今頃はいわゆる一流大学のキャンパスにいられただろうに」と思わないではいられない。

 プリントをリュックから取り出しながら、久志は教室を見渡した。

(全部で十一人。十一文目か。春野さんは…、いない。今日も相変わらず就活か)

 ちょっとだけガッカリする。

「じゃあ、荒木君」

 教授が久志を指名した。

「せっかくちょうど来たんだし、最初の文やってみようか。遅刻は遅刻だけど」

「えっ?」と思わず声に出しそうになった。

 話が違う。

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