雪祭りを視察する若武者達
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
中華王朝の首都である北京から北東へ進む事、約千キロ。
黒竜江省に位置する哈爾浜市は、その風光明媚な佇まいから「東洋の小パリ」と呼ばれているが、同時に冬期の厳しい寒さから「氷城」とも称されている北国の都市だ。
その寒さを利用する形で開催されている哈爾浜氷祭りは、カナダのケベック・ウインター・カーニバルや日本の札幌雪祭りと共に世界三大雪祭りの一角に数えられている。
ケベック・ウインター・カーニバルや札幌雪祭りがそうであるように、哈爾浜氷祭りにも様々な雪像や氷像が築かれており、来場者である私達の目を楽しませるのだった。
凱旋門やピラミッドといった世界各国の有名建築物や、日本やフランスのアニメキャラクター。
そうした国際社会との繋がりを象徴する雪像達も確かに素晴らしいが、趙雲子龍や呂布奉先を始めとする「三国志演義」の英傑や、孫悟空に哪吒太子といった四大奇書の英雄達の雪像が並ぶ光景を見ると、思わず頬が緩んでしまう。
それは恐らく、私の身体に流れる武人の血が為せる業だろう。
何しろ私の先祖は、漢趙の劉淵に側近として仕えた呼延翼なのだから。
「見事な物ですなぁ、満久香殿。あの関羽雲長の堂々した姿たるや、思わず肌が粟立つようですよ。」
「仰る通りですよ、呼延尊殿。赤兎馬や冷艶鋸も精巧に作られているので、やがて溶けてしまうのが勿体ない程ですね。」
連れ合いである満久香殿も、この哈爾浜氷祭りには御満悦のようだった。
この満久香殿も、系図を遡れば曹操の下で活躍した満寵に辿り着く。
その点を考えると、彼女が古の武人達の雪像に目を奪われるのも無理はないだろう。
親同士の決めた婚約者である満久香殿は、私と同様に校尉として軍務に携わる武官でもある。
今でこそ平和に雪祭りを視察している私と満久香殿だが、ほんの少し前までは私達も黒竜江省も全く違った装いだったのだ。
何しろ黒竜江省は我が国軍と反乱分子との間で行われた軍事衝突の主戦場だったし、私と満久香殿も国軍の将として戦場を駆け抜けていたのだから。
赤と金を基調とした甲冑に身を包み、勇敢に戦場を駆ける満久香殿の姿は、雄々しくも頼もしい。
明代に成立した「封神演義」に登場する鄧蝉玉や、「水滸伝」の梁山泊第五十九位の好漢である一丈青扈三娘。
そうした白話小説に登場する勇猛な女性武将が実在したなら、きっと満久香殿のような人に違いない。
しかし今日のような現代漢服を身に纏った満久香殿も、戦場とはまた異なる魅力に満ちているのだった。
戦場における具足姿が剛の魅力ならば、さしずめ今の漢服姿は柔の魅力と言うべきだろうか。
「とはいえ私と致しましては、あちらの女媧の雪像の美しさも捨て難いですね。女媧を我が物にしたいと願った紂王の気持ちが、今の私には理解出来る気がしますよ。」
古代中国神話の女神の雪像に声を弾ませる満久香殿だったが、私には女媧の雪像よりも生きている満久香殿の方が遥かに美しく感じられた。
混じり気の無い銀髪と白い細面の美貌を持つ満久香殿の立ち姿は、哈爾浜の町に珍しく降った白雪と驚く程の調和を成しているのだった。
「紅蘭女王陛下からの勅書を頂いた時には、本当に驚きましたよ。何しろ武官の私や呼延尊殿が雪祭りの視察なのですからね。正直に申し上げれば、司馬花琳上将軍に打診して他の者に替えて頂こうかなと考えておりました。」
「ま、満久香殿?!」
この一言は、私にとって青天の霹靂だった。
もしかしたら、私との婚約を破棄する考えもあったのだろうか。
そう考えると、頭の中が真っ白になりそうだった。
だが、その考えは幸いにして杞憂に終わってくれた。
「しかし上将軍から真意を御伺い致した事で、此度の詔を素直な心持ちで御受けする事が出来ましたよ。女王陛下も上将軍も、婚約者でありながら軍務でろくに会っていない私達の事を案じて下さったのですからね。」
愛新覚羅紅蘭女王陛下に、司馬花琳上将軍。
この御二方の御名前を口にした時、満久香殿の白い美貌に仄かな赤みが差したように感じられた。
確かに我が中華王朝の初代女王である愛新覚羅紅蘭陛下は、心優しくて聡明な仁君として皆から慕われている。
そして単に慈悲深いだけの聖女という訳でもなく、軍人上がりという来歴に裏打ちされた勇猛さと決断力も持ち合わせているのだから、万民の親とも言うべき天子に最も相応しい御方なのだ。
それに曹魏の謀臣である司馬仲達の血を継ぐ司馬上将軍も、部下思いで優秀な司令官だ。
そして貴公子を彷彿とさせる凛々しい美貌と颯爽とした立ち振る舞いから、若い女性兵士や女性官僚の中には司馬花琳上将軍に憧れや好意を寄せている者も多いそうだ。
陛下の忠実な臣下にして司馬上将軍の指揮下にある満久香殿も、きっとそうなのだろうな。
だが、敬愛する主君と上官の話題を終えても尚、満久香殿の頬に差した赤みはそのままだった。
いや、単に「そのまま」と言うだけでは語弊があるだろう。
「たとえ名目上は哈爾浜市の戦後復興の進捗具合を確認する視察旅行であっても、思い人である殿方と一緒に雪祭りを巡るのは此程に楽しいのですね。市井の民達が楽しむという婚約旅行というのは、多分このような心持ちなのでしょうね。」
ここまで言い切ると、頬ばかりでなく満久香殿の顔全体がみるみる紅潮していったのだ。
普段と変わらぬ混じり気の無い銀髪のせいで、桜色に染まった顔は殊更鮮やかに感じられた。
「お互いに軍務等で忙しい身の上ですが、今後ともよろしくお願いしますよ、呼延尊殿。」
「こ…こちらこそ宜しく御願い申し上げます、満久香殿。」
こう答える私の顔も、きっと負けず劣らずに赤く染まっているのだろうな…