給食(小学一年生編)
突然だが、学校に行く中で、給食が楽しみだったという人は多いと思う。私もどちらかというと楽しみにしている方だった。私の場合、幼稚園では給食が暖かくなく、完成したものが運ばれてくる形式だった。(今はどうなっているかわからない)だから、自分達で食べる物を運んでよそうことも、給食を温かいまま食べるのも新鮮だった。
給食を運ぶ時は六年生の人が手伝ってくれていた。牛乳を運ぶのが意外と重くて大変だったから助かった。力もちだとも思った。あと、六年生は身長が高い。小学生という枠の中に、一年生も六年生も、一緒に入れられているにも関わらず、違いがありすぎると思った。それは今も変わらないだろう。さらに、私が六年生の時にも違いを痛感するのだが、その話は置いておこう。とにかく給食だ。
給食にお気に入りのメニューがあった。それは揚げパンだ。あの甘くて、油でちょっとフニャっとした食感。食べた後の満足感。一緒にあるおかずの味もいつもより十倍美味しく感じる。それはそれは最高のメニューなのである。懐かしくなってスーパーで売っている揚げパンを食べるのだが、給食の揚げパンの方が良かった気がする。給食の美味しさというものは素晴らしい。
この揚げパンというものはもちろん人気絶大で、おかわり争奪じゃんけんが発生する。私は参加しなかったが、今は過去の自分に「今、いっぱい食える確率増やしといてっ」と叫びたい。それくらい美味しかったのだ。
じゃんけんに参加している、揚げパンをなんとしても手に入れたい者達はじゃんけんに身が入りすぎて、勝った時の顔と負けた時の顔がとんでもない。まず、勝った者の顔は喜びに満ち溢れ、感動で、歯を食いしばっている者もいる。一方、負けた方は、負けたと理解した瞬間、絶望した表情に変わり、ショックで叫ぶ者も出てくる。あまりうるさすぎると先生に注意されるので、叫んだ者は、運が悪ければマイナス気分が二つも一気に来るのである。私はこの可能性を考慮して、あえてじゃんけんをしなかった。…と言いたいところだが、そんな先を予測できるほど知的な小一ではなかった。本当のところは、普通にお腹がいっぱいになるのと、班のみんなとの会話を中断したくなかった…という理由なのである。
さて、今まではじゃんけんと揚げパンについて書いたが、もう一つ、思い出がある。少しだけ触れたが、給食の準備についてだ。小一に対してはかなり重い給食たち。(だから六年生が手伝いに来てくれていたのだが)これがなかなかの重労働なのだ。重いだけならまだ大丈夫なのだ。問題は教室までの道のりにある。給食室と同じ階の者達はまだ良い。問題は上の階の者達だ。わかった人もいるだろう。そう、階段だ。まず、持ち手が揺れて手元が不安定になるから精神をすり減らす。次に、手と一緒に足も疲れる。膝が熱いスープを入れた食缶に当たりなんかしたら最悪である。前の人にぶつかりなんかしても大惨事だ。ここまでが階段。まだある。
次は廊下を歩いて教室に行く。そこで給食を給食台に乗せる。この一瞬がピリつく。わずか数秒間。この数秒をいかに完璧にするかが重要である。まず、意識を、運んでいる相手と給食台の両方に向ける。そして息を合わせて
「せーのっ」
この瞬間が最も腕の力を使う。持ち上げるからである。置く瞬間も勝負だ。その後の配膳のしやすさに影響するからだ。できるだけ給食台の真ん中の落ちなさそうなところに配置する。横に置いてある食器にも当たらないように場所を注意する。そして置く。ここまででやっと気が楽になる。そしてこぼさないよう配膳し、席につき、給食を食べるのだ。
なかなか大変だろう。もうあんな苦労はしないが、思い出すと、あの難関だけでもなんとかならないかと、今でも考えてしまうのであった。