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小学一年生の時とその他

 ここでは私の思い出をいろいろ書こうと思っている。うろ覚えだったりすることもあるかもしれないが、そこはしゃあないと思うことにしよう。小一あたりから書きたい。途中、きょうだいの話なども入れたいと思っている。とにかく始めよう。

 私は、お母さんと一緒に写真を撮ったとこからが、入学式の始まりな気がした。その時、お母さんには私の妹(次女)がお腹の中にいた。写真は今でも残っている。しかし、弟(次男)がいるのか妹がいるのかぼんやりする時があるので、自分の年齢から逆算している。計算している時は、何やってんだ私。と思っている。本当に何やってんだ私。

 話が逸れたが、入学式の時に初めて入った体育館は幼稚園の屋内の運動スペースの様な場所より遥かに広くてワクワクしたような気がする。その後、私は五組らしかったので、一年五組に行った。机が並べられていて、上には自分の名前が書かれたツルツルのマットが置かれていた。自分の名前があると言うだけで、おおー。という気分であった。わかりにくいかもしれないが伝わりますように。椅子も机も小一の時の私には少し大きかったが、子ども用なら、実際は小さいのだろう。小さい頃はなんでも大きく見えていた。配られた教科書なんかも重くて落としそうだった。新しい本独特の匂いがしたのもワクワクしていた。帰る時まで気分は良かったと思う。空のランドセルを重いと感じていたのは、小一の時だけだった。教科書の重みに慣れると空のランドセルは軽く感じた記憶がある。

 ランドセルといえば、私のランドセルは赤だったのだが、本当は、当時あったキラキラのランドセルが欲しかったと思っていた。そして、私はそのことを小二まで愚痴っていたらしい。しかし、小六になると赤で良かったと言っていたらしい。どこで意見が転換したのか。六年の変化には驚かされる。

 こんな感じで、私が思い出を書くと、話がコロコロ変わる。今話した中だけでも、入学式、お母さん、ランドセル、と三つに枝分かれしていた。気づいたなら直せばいいと思われるかもしれないが、三つならまだマシな方だと思う。

 書くから話すに転換されると話が飛んだり戻ったり、それはもう大惨事である。挙げ句の果てには、一緒に話している友人とオリジナル言語を作り出す。しかも作り出した言語は誰にも通じない。一緒に話している友人にもだ。これはもはや言語ではないだろう。確実に。そのうちその言語の意味が通じなさすぎて友人と爆笑する。爆笑になればいいのだが、これが通じるのは特定の友人だけなので、それ以外の友人にこのノリで会話すると苦笑いである。

 もちろん、このようなノリで話すのは私だけではない。父と母を除く次女、長男、次男は、ネットで知った言葉をアレンジして意味の通じない文章にして爆笑するのである。最初は聞き流すのだが、最終的に引き込まれて爆笑に巻き込まれる。そしてそのまま腹が痛いと苦しむ運命に陥る。

 この会話の内容によって私は何を学んだかというと、何も学んでいない。意味はないがただ私だけが笑うだけの会話になるのである。

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