前編
「おお、我が娘アリスローゼよ、元気にしておったか」
白々しくもアリスの名前を口にするのはアリスの〝血統上〟の父親であるマイセン・エルトシャン伯爵だった。
10年ぶりの再会であるが感動の念も湧かないし、涙もこみ上げてこない。少壮だった父も歳を取り、髪の毛が少し薄くなったなあ、程度の感想しか浮かばなかった。
さもありなん、アリスはエルトシャン家を追放されており、マイセンの子だとは認知されていない。アリスは生まれたと同時にエルトシャン家から放逐されたのだ。
――その理由はアリスが双子だから。
アリスには一卵性の双子の妹がいるのだが、この国では双子は忌み子として嫌われているので、姉であるアリスが存在を抹消されてしまった。
つまり妹は実父と実母のもとで大切に育てられ、姉であるアリスは地方の山村に家臣と共に追放されたのだ。
その家臣共々食べるに困らない程度の援助は受けているし、それ以上の酷い扱いはされなかったので恨んではいないが、それでもどの面を下げて流刑先であるここにやってきたのだろうか。
じーっと父親の顔を見つめるが、やはり皺が増えたなあ、程度の感想しか浮かばなかった。マイセンもこの微妙な空気を感じ取ったのだろう、こほん、とわざとらしく咳き込むと、単刀直入に口を開いた。感動の親子再会劇は諦めたようだ。
「我が娘アリスよ。実はおまえに頼み事があって遠路はるばるやってきたのだ」
「頼み事ですか?」
「ああ、そうだ。おまえには双子の妹がいるだろう」
「はい、アリスロッテのほうですよね」
「そうだ。そのアリスロッテが後宮に収められたことは知っているか?」
「はい、風の噂でちらりと」
育ての父と母からそのような話を数度聞いたことがある。妹はその美貌を見初められラーゼブルク帝国の後宮に入ったと聞いた。中貴妃の位を賜ったとも聞いたことがある。
「その妹なのだが、宮廷で病を患ってしまってな。今は実家に戻して療養中なのだ」
「それはおいたわしいことで。回復をお祈りしております」
あまり心がこもっていないのは妹とは数度しか顔を合わせたことがないからだ。しかもあまりいい思い出はない。彼女は実の姉であるアリスを使用人以下の存在として扱うのだ。
「アリスロッテの治療は問題ない。しかし、娘を治すには時間が掛かるのだ。その間、後宮を留守にするわけにはいかない」
「と申しますと?」
「昨今、宮廷費の圧縮で後宮がやり玉に挙げられているのだ。病で療養中と分かったらアリスロッテが後宮を追放されてしまう」
「まさか、妹の病気のこと、陛下や宮廷に内密なのですか」
「ああ、このことを知っているのは私とごく一部の家臣、それに医者とおまえだけだ」
「…………」
できればわたしにも黙って欲しかった、といいたいところである。なぜならば今後の展開が読めてしまったからだ。
「……もしかして父上、わたしがアリスロッテの身代わりになって宮廷に出仕しろと言いたいのでは」
「おお、さすがは我が娘だ。その通り。明日からおまえがアリスロッテとなって後宮で中貴妃を演じて貰いたい」
「無理です」
言下に断わる。
「なぜだ」
「なぜってわたしは貴族の教育を受けていません。それにいくら双子でも陛下にばれてしまうでしょう」
「安心せい。アリスロッテはまだ陛下の寵愛を受けていない。ベッドの上でも違いはわからんさ」
「…………」
この父親は夜伽までさせるつもりだったのか、と心の中で悪態をつくが、エルトシャン家はアリスの養育費を払ってくれているスポンサー、無碍にはできない。もちろん、断わるつもりしかないが。
「ともかく、わたしには無理です。荷が重すぎます。なにか別の策で解決してください」
はっきりとした意志を込めて断わったのがよかったのだろう、マイセンは軽く肩を落とすと「……そうか」と言った。
「この件で養育費を減らそうとか、そういったせこいことは考えておらんから安心せい」
その言葉を聞いたアリスはほっと一安心する。育ての両親に面目を保てる。
「……しかし、惜しいな。僅かな間でも後宮にいれば帝室図書館に出入り自由なのに……」
ぴくん、と身体が反応する。
「……今、なんとおっしゃいましたか?」
「僅かな間でも後宮にいれば帝室図書館を利用できるのに、と言ったのだ」
「それは誠ですか?」
「嘘などつくものか。そもそも後宮妃になればそれくらい容易に決まっているだろう」
「一般庶民は近づくことさえ許されない稀覯本の山をいくらでも読めるというのですか」
「そうなるな。――後宮に行きたくなったか?」
「……少しだけ。期限はどれくらいですか?」
「アリスロッテが回復するまで。長くても半年だろうな」
「その間、夜伽、および性的な行為はしなくていいのですか?」
「それは保証できないが、アリスロッテは未だに処女だ。陛下はその辺が淡泊な方でな。ほとんどの貴妃たちに手を付けない」
「……変わった御仁だ」
「そうなのだ。それで行く気になったかね」
マイセンは最後のごり押し、とばかりにニンジンをぶら下げてくる。
「もしもこの任務をまっとうに果たしてくれたら任務明けに帝国司書の仕事を斡旋しよう」
「司書にしてくださるのですか!?」
ぱあっと表情をきらめかせるアリス。
「ああ、資格もこちらでなんとかしよう。伯爵家にはそれくらいの力がある」
力だけでなく情報収集能力もあるようだ。アリスが無類の本好きで将来の夢が司書であることも把握しているようで。
ここまで情報を握られてしまえば、屈服せざるを得ない。アリスは、
「分かりました」
と同意をする。
「この17年間、父上はわたしを養ってくださいました。それにわたしの夢も叶えてくださるというのですから断わる理由はありません」
「おお、引き受けてくれるか」
「はい。不肖の身ですが」
こくりとうなずくとマイセンはアリスの手を取り、「よういうてくれた、よういうてくれた」と飛び跳ねた。
こうしてラーゼブルク帝国の辺境で〝平民〟の娘として育てられたアリスは一夜にして伯爵令嬢になり、後宮に赴くことになる。
本に釣られてのことだが、育て親の顔色を見る限り、どのみちアリスには選択肢は用意されていなかったようだ。ともかく、両親の悲しむ姿を見なくて済むのは有り難いことであった。その晩、育ての両親と最後の夕食を摂ると深夜まで思い出話に花を咲かせた。もう二度と戻ってこられなくなるわけではないだろうが、しばらく会えないのは明白であったからだ。夜更けまで話し込むと翌日に備え、アリスはベッドに向かった。
翌日、マイセンが乗ってきた馬車に乗り込み、そのまま帝都に向かう算段となっているのだ。
アリスは久しぶりに育ての両親と川の字になって眠ることになった。
アリスは心の中でつぶやく。
(今まで育ててくれてありがとう。父さん、母さん)
実の父であるマイセンにはなんの感情も湧かないが、このふたりに対しては言葉では語り尽くせぬ感情を持っていた。
†
アリスの住んでいた地方から帝都までは馬車で二週間ほどの時間が掛かる。
ラーゼブルク帝国は蜘蛛の巣のように街道を張り巡らせているので馬車の旅もさほど苦労しないが、さすがに二週間も乗っていると身体の負担が半端ではなかった。
父マイセンに至っては往復一ヶ月も馬車に揺られたことになるが、少しも疲れの色を見せない。さすがは伯爵家の当主だ。日頃から弓馬の鍛練を積んでいるのだろう。
そのような観察をしていると帝都に到着する。
「すごいな、わたしの住んでいた田舎の村とは大違いだ」
一面が人工物であり、石畳に覆われている。
至る所に商店があり、買い物に不自由はしなそうであった。率直な感想を述べると父マイセンは笑った。
「我々貴族は買い物にはいかない。すべて使用人が揃えてくれる」
「たまには自分で買い物したくなりませんか?」
「ならないね。王者はそのようなせせこましいことはしないのだ」
ちなみに買い物に行く使用人のために買い物に行く使用人もいるとのことであった。さすがは貴族と思っていると馬車は大路の右を曲がった。
「父上、宮廷とは反対のほうに向かっているようですが」
「まずは我がエルトシャン家に向かって貰う。その格好で後宮に戻せはせんよ」
「むう……」
これでも田舎では一番のお洒落さんで通っており、今着ている服も自分の中で一番上等なのに。
ただ、その感想はエルトシャン家のクローゼットに向かうと消し飛ぶ。
「わ、わたしが着ている服などぼろきれ同然だ」
そんな感想しか漏れ出ないほどエルトシャン家のクローゼットは充実していた。
「好きな服を選べ。後宮に戻ればアリスロッテの服があるからそれも自由に使っていい」
「そのアリスロッテと話はできないのですか?」
「娘は療養のため今、地方にいる」
なんでも空気が良く、温泉も湧いているガラル地方で療養中とのことであった。妹の病気が治り、〝入れ替え〟が終わるまでは会えないと考えたほうがいいだろう。いや、もしかしたら最後の最後まで会う機会がないかもしれない。
妹は幼い頃から気性の激しい娘だったので、会えないで済むのならばそれでよかった。
そのような感想を抱きながらエルトシャン家のメイドたちにドレスを着付けて貰う。30分後、鏡に映ったのはどこかの国のお姫さまであった。
「か、可愛い……」
思わず自分でもそのように漏らしてしまうほど、貴族のドレスは美しかった。いたく感動するがマイセンは見慣れているのだろう、「なかなか似合うぞ」という淡泊な台詞しかくれなかった。
「元々、おまえたちは双子なのだ。同じ格好をすれば同じ美しさになる」
「理屈上はそうですが」
「あとは立ち居振る舞いだが、それについては後宮に戻って自力で覚えてくれ。近くにいるメイドから習え」
「いきなり実戦投入ですか?」
「アリスロッテが後宮を不在にして一ヶ月以上が経っている。里帰り中に風邪になったと帝国後宮省を誤魔化しているが、それも限界だ。明日にも調査にやってくるかもしれない」
「それは大変だ」
ならばぶっつけ本番を覚悟して後宮に向かわなければならないだろう。
そのように覚悟を固めるが、後宮に向かう馬車に乗る際、父はとんでもないことを暴露した。
「ちなみにアリスロッテは後宮内で稀代の悪女として名が通っている。それも含めて上手く演じるように」
「き、稀代の悪女ですか」
「そうだ」
「そんな話、聞いておりません」
「言っていないからな。言えば来てくれたか?」
「…………」
心の中で首を横に振るしかない。
「アリスロッテは後宮の嫌われものだ。おまえもそれを演じて周囲に嫌われろ。――ただし、皇帝陛下以外に、だ」
「難しい注文を……」
「アリスロッテの療養が明ければアリスロッテに皇帝の子を産んで貰う算段になっている。我が一族の娘が国母となるのだ」
さすれば次期国王の外戚となって専横を振るえる、とはさすがに言わないが、マイセンは政治家らしい欲望に満ちた瞳をしていた。
「ともかく、すべてはおまえの演技力に掛かっている。いいか、絶対、おまえがおまえであることは悟られるな」
「もしもわたしがアリスロッテではなく、アリスローゼだとばれてしまったらどうなるのです?」
「おまえは絞首刑、我がエルトシャン家も家禄を没収の上降格といったところかな。無論、おまえの家に養育費も支払われなくなる」
「……分かりました。絶対にばれないように頑張ります」
「そうしてくれると助かる」
マイセンはにやりと口角を上げると、ぽんぽんとアリスの肩を叩いた。
「なあに、あまり気に病む必要はない。おまえはアリスロッテの双子の姉なのだ。ばれようがないさ」
私でも見間違えるほどだ、と心強い言葉をくれるが、アリスは不安いっぱいに馬車に乗り込む。すでに頭の中はどうやって貴族である貴妃を演じるかでいっぱいであった。馬車で一緒になったメイドの女性に質問をしまくる。
「あれですあれ、スカートの両端を持って膝を曲げるやつ、なんていうんでしたっけ?」
「それと乗馬ですが、お嬢様みたいな横乗りはどうやってやるんでしょうか?」
「あと食事のときナイフとフォークがいっぱい出てくるそうですが、どれを使えばいいのでしょうか?」
メイドはその疑問にひとつひとつ答えてくれるが、最後に肝心なことを教えてくれた。
「アリスローゼお嬢様、あなたは今日からアリスロッテお嬢様になるのです。ですのでもっと偉そうにしてください。アリスロッテお嬢様はメイドに決して敬語など使いません」
「そう、そうね。悪女だものね」
アリスロッテは稀代の悪女、稀代の悪女、と胸に刻み込むが、口調の癖はなかなかに抜けるものではなかった。
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