魔王の血(4/5)
ブラーシェフ高校一年A組の生徒と教師合わせて二十人が死ぬことになる日。
洗面台に朝食をすっかり吐き出したあと、イトカは鏡を見つめた。顔色がコンクリートのような色になっている。
ここは校舎の端にあるトイレで、ふだんは誰も来ない。今のイトカにはここしか逃げ込める場所がなかった。
学校で起きたことは親には言っていない。言えなかった。今朝も学校に行くことを考えただけで全身が拒絶反応を起こした。でもどこにも逃げられない。
イトカは洗面台に突っ伏して泣いた。
(みんな死ねばいいのに! みんな死ねばいい!)
もうすぐ午後の授業が始まる。教室に戻らなければならないと思っただけで体が震えた。自分を取り巻く世界がどろりと重く、誰かの笑い声やバカにする声が頭から離れない。
ふと、トイレの出入り口に人が現れた。イトカはびくんとして身構えた。
ルリだった。驚いた顔でイトカを見ている。
「イトカ」
ルリは呟くように名を呼んだ。
「人に聞いたら、たぶんこのへんにいろうだって……ねえ、何があったの?」
午後のチャイムが鳴ったが、イトカは生まれて初めて授業をサボった。
二人は校舎裏に座って話した。
ルリは原因不明の病気で倒れ、三週間も昏睡状態だったという。今日の午前中は病院で検査を受け、それから午後の今になって登校してきた。
イトカはイジメのことを話した。最初は苦しかったが、いったん話し始めると楽になり、堰を切ったように話し始めた。
辛抱強く聞いていたルリは突然、イトカを抱き締めた。そして大声で泣き始めた。
「ごめんね! ごめんね!」
イトカはぽかんとし、ルリに抱かれたまま身をすくませていた。
「何でルリが謝るの」
「だってみんな私のせいだよ!」
「違うよ、だって……」
言いかけてイトカは言葉に詰まった。それからイトカも声を上げて泣き始めた。
午後の授業が終わったあと、イトカはルリに励まされて教室に戻った。一年A組ではクラス会が始まっていた。教室に入ってきた二人にクラスメイトは嘲りの声を上げた。
「男子便所の落書きみたいなことしてたのか、ベルデッツ! お前がそういうことしてるって書いてあったぞ!」
男子生徒数人がゲラゲラと笑った。女子たちは冷めた目で二人を見ている。
担任教師はいつものように面倒臭そうな顔をし、二人にどこへ行っていたのか聞いた。ルリはそれに答えず、教師に敢然と言った。
「イトカが嫌がらせに遭ってるんです。クラスで」
「レスコさん、そういうことは職員室で……」
「今、ここで話したいんです!」
ルリはきっぱりと言い切った。
「キヴがジョイントを吸っていたのをラコヴィツァが私のせいにしようとしたんです!
それで他の女子にも同調するように言ったんです。でもイトカはそうしなくて、それでイジメられてるんです」
「ひどい……何それ」
ナディアは被害者ぶった顔をしたが、誰もルリを信じるはずないと確信している様子だった。
教師は冷淡な目をルリに向けた。
「証拠は?」
「証拠って……イトカがそうされたって言ってるんです!」
ナディアの取り巻き女子が叫んだ。
「アンタいい加減にしなよ! ナディアを傷つけてるのがわかんないの!」
「そうだよ! 信じらんない!」
ドミトルが椅子にもたれてかったるそうに言った。
「いつまでやってんだよ。はい、未成年の主張は終わり終わり。帰んべ」
「待ってください! イトカは何にも悪くないでしょう!」
イトカがそっとルリの肩を掴んだ。誰も信じてくれなくても、ルリが味方になってくれたことが嬉しかった。
「もういいよ、ルリ。こんな奴ら死ねばいいんだ」
その瞬間、イトカはぞっとするものを感じて手を引っ込めた。
ルリの目には燃えるような怒りの色が宿っている。ルリははっきりと言った。
「そうだよ。こいつらはみんな死ねばいい」
担任教師がため息がてら怒鳴った。
「レスコさん、いい加減にしなさい!」
スパンと空を切る音がした。
担任教師の頭が床にごろりと落ちた。担任教師の体は激しく血を噴き出し、その場に座り込むようにして倒れた。
一年A組の誰も何が起きたのか理解できなかった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
息を切らすほどの激烈な怒りがルリを動かしている。
ルリの髪が編み込まれ、茨に変化している。それを振って担任教師の首を切断したのだ。
鞭はさらに伸びて長い鞭となり、手ごろな位置で切れてルリの手に納まった。
ルリの鞭が荒れ狂った。イトカは学校のプールを掃除したときを思い出した。イトカが余所見をしてホースから手を離すと、ホースは水を撒き散らしながら蛇のようにのたうち回った。イトカたちは悲鳴を上げて逃げ回った。
それを何倍も速く、何倍も無慈悲で残酷にした光景が目の前に広がっていた。
イトカのイジメに加担していた、あるいは見てみぬふりをしていた生徒たちは切り刻まれてバラバラに飛び散った。
誰かがよたよたとこちらに歩いてきた。イトカへのイジメが始まってから徹底的にイトカを避け続けていたアルタだった。両腕を切断されている。
アルタは泣きながらイトカに言った。
「助けてえ! 助けてよお!」
イトカは彼がぬいぐるみを持ってきたときと同じことを感じた。
(この人、気持ち悪い)
鞭がアルタをシュレッダーのように断裁し、彼は小刻みの肉片になって飛び散った。