彼女は、私の。
キラキラと輝いていた。
……陳腐な言い方だけど、それしか思いつかなかった。
彼女の『光』を、言い表すには。
***
その日、そこに入ったのは偶然だった。
朝、また親に趣味についての小言を言われた。自分のバイト代でやりくりしてるんだから私の勝手だろ、いちいち口出すんじゃねーよ。
学校では、相変わらずウザい連中が絡んできた。ぼっちだなんだって、それも私の勝手だろ、お前らは誰かとつるんでないと死ぬ病なのか? あいにく私はそんな病気じゃないから心配は無用だよ。
帰り道、雨に降られた。こんな日に限って、いつも持ち歩いているはずの折りたたみ傘がカバンに入っていなかった。
夕立だから、きっとすぐやむだろう……。そう考えて、雨宿りできる場所を探した。
見つけたのは、何の変哲もない雑居ビル。唯一変わっているのは、地下にイベントスペースがあるということ。
そして、そこでアイドルのライブをやっていることだった。
「……ああ、地下アイドルってやつか」
そうつぶやく。
私はオタクだが、あいにくアイドルは守備範囲外だ。
普段なら見向きもしなかっただろうそれ。
けどその日の私は、何かに惹きつけられるように地下へと向かった。
コンビニで傘を買うぐらいなら、ライブを冷やかしてみるのも悪くないだろう……、そんなことを考えていた気がする。
……10分後、そんな余裕などなくなるとも知らずに。
高めのドリンク代を払い、会場の最後列に立つ。なるほど、地下アイドルってのはこういうところで利益を出してるんだな、ひとつ勉強になった。
お客の数はそれなり、地下アイドルにしてはなかなかの集客力だろう。
――そんな上から目線で考えることができたのは、ライブが始まるその瞬間までだった。
***
……その日、私は運命に出逢った。
陳腐な言い方だけど、それしか思いつかなかった。
彼女と出逢った奇跡を、言い表すには。
五人組アイドルの、向かって左端。
彼女の立ち位置はそこだった。
明るめの茶髪にゆるくパーマをあてたショートカット。
目元は挑戦的につり上がりながら、口元はアイドルらしい笑顔。
そしてアイドルらしい、ピンクと白を基調としたフリフリの衣装。
……そのアイドル衣装を除けば、どこにでもいそうなギャル。
いつもなら、遠目で見ただけでよけて通るような人種。
――けど、その時の私は、彼女から目を離せなかった……。
どこかで聞いたようなポップスが流れ始め、アイドル達が歌いだす。
……ぶっちゃけ、完成度は微妙だ。その辺のカラオケ好きの方が歌がうまいんじゃないか、というぐらい。
ダンスの方は、さすがに練習を積んでるのか、それなりにキレが良かった。けどまあ、別に見るべきほどのものとは思えない。
……そう、その程度。
その程度、のはずなのに……。
なぜか私は、彼女から目が離せないんだ。
***
気付いたら、曲は終わっていた。
それも複数やっていたはずなんだけど、途中から記憶がない。
……私、どうかしてしまったんだろうか。
舞台上では、マイクパフォーマンス? とでも言うのだろうか、アイドル達の挨拶が始まろうとしていた。
そして、左端の彼女は、マイクを手に取ると……。
『みんな〜! エリリンは可愛かったかな〜!?』
うおお! と上がる歓声。
エリリン可愛いよー! という叫びも聞こえる。
『よ〜し! 今日もテンションは最っ高! サービスしてあげちゃおう!』
そう言うと彼女――エリリンは、チュ、と投げキッスをしてみせる。
うおおおおお!! とさらに大きくなる歓声。
『じゃあみんな〜! またエリリンを見に来てね〜!!』
もちろんだよー! というファンの声が響く。
そして、彼女はマイクを隣の娘に渡した。
その後、他のアイドルも何かをしゃべっていたけれど、正直なところ全然聞いていなかった。
エリリンとやらは、媚びっ媚びのぶりっ子みたいで、気に入らない。少なくとも、いつもなら絶対に近付かないような人種。
そのはずなのに――
どうしてこんなに、胸が高鳴っているんだろう。
***
ライブの後は物販らしい。ここでもファンから搾り取ろうという魂胆のようだ。
私も流されるまま、ひとつだけ購入した。
……エリリンとやらの写真を。
「……いや、違う。これはなんでもない。ただ適当に選んだらこれだっただけ……」
そんな声が口をついて出る。
……と、購入者たちはスタッフに誘導されていく。
どうやら、これが噂の握手会商法らしい。購入者だけがアイドル達と握手できる、というわけだ。
……どうりで高いと思った。写真1枚2,000円ってなんだよ……。
この時の私は気付いていなかった。
ふだんの私なら、そんなものに2,000円もつぎこんだりしないはずだ、ということを。
アイドルも大変だ。と、行列を見ながら思う。
どうも、グッズをひとつ買うごとに5秒だけ、アイドルと握手できるらしい。
……だからあんなに買いこんでるやつらもいるんだな。
1万円出せば30秒近く握手しながらアイドルとお話しできるわけだ、ファンならそれぐらいはやるだろう。私もジャンルは違うとはいえオタクなので、彼らの気持ちはよくわかる。
……とはいえアイドルの方は、こんなオタク達を相手に数十分も握手し続けなければならないわけだ、相当に大変だろう。
でもみんな笑顔を続けている。……その辺はプロっぽいな、とふと思う。
考えているうちに、私の順番が来たようだ。
まあ私は握手なんてしなくていいんだけど……と思いつつ、せっかく2,000円も払ったんだから、という思いで、『エリリン』の前に立つ。
そして、彼女はニコリ、と笑って。
私の心は光で焼き尽くされた。
頭が混乱する、いったい今なにがあった、いや待ておかしい、ひょっとして病気か、いやでも笑顔を向けられただけで何がどうしてこうなって何がなんだかわからないけど……。
でも、体は動いた。
エリリンの手を取り、ギュッと握る。
さすがになんか言わなくちゃ、ただのキモオタじゃん私、5秒なんてあっという間だ……。
胸中大混乱の中、ようやく絞り出した言葉は。
「が、が、頑張って! く、くだしゃい!」
……キモオタ丸出しじゃん私。
自己嫌悪に陥る私に、エリリンはその笑みを深め。
「ありがとっ♪」
その笑顔とその言葉に、私は――。
***
……気付けば会場の外だった。
雨はすっかりやんで、綺麗な夕焼け空が見えている。
その空とは裏腹に、私は絶賛困惑中だった。
(なんだなんだなんだなんだ、今のはなんだ、おかしいおかしいおかしいおかしい……)
どうして、あんな笑顔を向けられただけで何も考えられなくなるのか。
どうして、あの一言がこれだけ嬉しいのか。
私は何もわからないまま、しばらくその場に立ち尽くしていた……。
***
それから、ちょくちょくそのアイドル達を見に行くようになった。
あの時、私が感じたものはなんだったのか。それを、知るために。
毎回、ライブを見て。毎回、エリリンのグッズをひとつだけ買って。毎回、エリリンと握手する。
そして毎回、「頑張ってください」の一言しか言えない私に、短い時間の中で様々な返しをしてくれるエリリン。
……わからない。どうしても、わからない。
私に何が起こったのか、教えてくれる人は誰もいなくて。
ただただ、考え続けることしかできない。
けど、嫌なことのすべてを忘れて、どうでもいいと思えるようになっていることには、気付いていた。
***
転機は突然に訪れた。
その日も天候は雨。
ただ、今日はきちんと傘を持っていたので、困ることもない。
淡々と帰り道をたどっていく。
エリリン……彼女については、何もわからない。
私は何かを彼女に感じている、それは確かだ。
ただ、それがなんなのかわからないのがもどかしくて……。
考えごとをしながら、帰り道の途中にある河川敷の堤防に差しかかった時だった。
……道端にうずくまっている人がいる。
雨に打たれるのも構わず、ぴくりとも動かない。
……これ、ひょっとしてマズいやつか?
残念ながら、周囲に私以外の人通りはない。
そして私はコミュ障だが、さすがに具合の悪そうな人を放っておけるほど倫理観がないわけでもない……!
「あ、あの〜……。大丈夫、ですか?」
おそるおそる声をかける。
ただ、その返答はと言えば。
「……うるっさい!! 放っておいて!!」
そんな苛烈なものだった……。
……いや、いくらなんでもそこまで言われる筋合いはなくない?
とはいえコミュ障の私がそんなことを言えるはずもなく。
「す、すみません……」
と言いながら通り過ぎようとした、その時。
「……え? ……エリリン!?」
思わず、声が出た。
向こうも驚愕したような表情でこちらを見つめている。
そう。
そこにいたのは――地下アイドル、エリリンその人だった。
***
お互い、呆然とした状態で向き合う。
私は、こんなところでエリリンに遭遇した上に、怒鳴りつけられるだなんて思ってもいなくて。
彼女も、まさか「アイドルの自分」を知っている人間が、偶然こんなところを通りかかるだなんて、想像もしていなかったのだろう。
しかし、動き出すのは彼女の方が早かった。
「ちょっとあんた! こっちに来なさい!」
グイグイと引っ張られていく。
「わ、わかった! わかりましたから! そんなに引っ張らないで……」
引きずられてきたのは橋の下。
土手の上からでは、こちらで何を話しているかはまず聞こえないだろう。
そもそも、ここはほとんど人通りがない。
そういうこともあってか、彼女は取り繕うこともせずに問いかける。
「あんた……『エリリン』って言ったってことは、わたしのこと知ってんのよね?」
ただでさえツリ目なのに、そう鋭い目付きをされるとマジで怖い……!
「は……はい、そうですぅ……」
蚊の鳴くような声で、弱々しくそう言うことしかできない。
「わ・す・れ・な・さ・い! 今日のことはすべて忘れるの! いいわね?!」
「……は、はい」
あまりの怒気に、返事をするだけでも精一杯だった。
彼女はグシャグシャと髪をかきむしりながら言う。
「あ〜……。失敗したわ。こんな時に限ってわたしのことを知ってる奴が通りかかるなんて……」
その言葉に、わずかな自嘲の響きを感じて、私は思わず口を開いた。
「あ……の、なに、か、あったんです……か?」
「ああん?」
ひっ、メンチ切らないで怖い怖い怖いぃ……!
けど、私は続けて問いかけていた。
「な、何かあったのなら……! 私、で、よければ、話を聞き、ます!」
そうすれば。
私がエリリンに対して抱く気持ちの答えがわかる気が、したから。
「……そーよね。あんたには聞かれちゃったんだし、全部話しちゃっても一緒、か。……どうせ、あんたに言いふらされたらわたしは終わりなんだし」
エリリンは、ひとつため息をつく。
「は、話したりなんか! しません!」
「どーだか。あんただって裏で何をしているか……」「私!!!」
思わず、食い気味に大きい声が出た。自分でもびっくりするほどの、大きい声が。
エリリンは目を見開いて固まっている。
「私! と、友達とか……いないし! こ、コミュ障なので! 誰かに話すような真似は、しない、以前に! できま、せん!!」
構わず、そう言い切ると。
エリリンはきょとん、とした表情を見せ、そして。
「……ふっ! ははっ! あはははははっ! あんた、それそんな大声で言うこと!? っていうか、しない、じゃなくて、そもそもできないから安心って、あんた……! あははははっ!」
……笑われて恥ずかしかったけど。
エリリンのその飾らない笑顔は、いつにも増して……私の心を射抜いていた。
エリリンはひとしきり笑って満足したのか、憑き物が落ちたような顔つきで口を開いた。
「……あんたってバカねー。わたしもなんだかあんたの前で取り繕ってるのがアホらしくなってきたわ」
「……ご、ごめんなさい?」
「ふふっ、なーんであんたがあやまんのよ。……でもそーね。木のうろとかにグチを吐き出すのはよくあることよね?」
人を木のうろ扱いって……地味にひどい。
……でも、なんだか私は満足だった。
「いい? あんたはこれからただの人形! わたしの話をとにかく聞き流しなさい! いいわね?」
コクコク、とうなずく。
そう、エリリンが私を必要としてくれたことが……嬉しかったんだ。
「たいした話じゃないの。……アイドル、やめようかと思ってさ」
その言葉に、衝撃を受けた。
……が、言われた通りに黙って聞き続ける。
「グループの連中にさ? あんたには向いてないって言われて……。実際、わたし売り上げよくないのよねー。本当にさぁ、見る目のないオタクどもめ……」
そこから、エリリンはひとつずつ話してくれた。
幼い頃に見たアイドルに憧れて、自分もアイドルを目指したこと。
いくつもの事務所に応募するも受からず、いっそのこと自分でアイドルを始めようと思ったこと。
友達には理解されず、だんだん疎遠になったこと。
それでもいつか本物のアイドルになれると信じて、必死でトレーニングをしてきたこと。
そして……。
「……心、折れちゃってさ。実際、地下アイドルからメジャーにのしあがる奴もいることはいるんだけど、そんなのってひと握りどころかひとつまみだし。いつまで経っても先は見えないし。……ファンは応援してくれるけどさ、しょせん他人じゃん? 友達も、普通の生活も捨てて、続けるべきことなの、かな、って……」
……エリリンは最後、泣きそうになりながらも、すべてを話してくれた。
「なーんか、あんがとね。あんたに聞いてもらってスッキリした。……覚悟、決めたよ」
その、恐ろしいほどの決意を秘めた瞳を見て私は――!
「あ、アイドル! やめない、で、くださいっ!!」
つい、そう叫んでいた。
エリリンが、スッと目を細める。
「……は? あんた、話聞いてた? あんたみたいなファンがいくらいても、わたし自身がもう――」
「いいから!! 私の、話、も!! 聞け!!」
……先ほどを上回る大声。人生で初めて出したかもしれないぐらいに。
エリリンも呆然としている。
そう、私、わかったんだ、なぜエリリンのことがこんなに気になるのか――。
「……私、こんなだし。周りの連中は、クソばっかだし。正直、人間なんてみんな、薄汚くて醜くて、どうしようもない存在だと思ってた」
……けど。
「今は、違う。エリリンが私に、見せてくれた。……世の中には、あんなに輝ける人もいるんだって!!」
そう。それこそが私の感情の正体。
人間なんてみんなゴミだと。自分も含めてそうだと思っていた私に。
……それは違う、って。
問答無用の輝きで教えてくれたのが――!
「エリリンは!! 私を救ってくれた!! 私にとっては……私にとっては、星なんだ……!!」
エリリンは、呆然としたままに口を開く。
「あんた……」
そして、呆れたように続ける。
「……でもあんた、聞いたでしょ。わたしも、完全無欠のスターなんかじゃない。悩んで、どうでもいいようなことで苦しんで。あんたの言葉を借りれば、『どうしようもない存在』だよ? そんなの幻想――」
「それが!! どうした!!!」
「……は?」
「だって……、だってエリリンも、人間、なんでしょう? 私と何も違わない……、決して特別でもない、どうしようもない存在……。今、話を聞いてそう思ったのは事実……」
祈るように続ける。
「でも! 特別じゃなくたって! エリリンが私にとっての星だってことは変わらない! 私と同じ、どうしようもない存在でも! 輝くことはできるんだって教えてくれたのが……エリリンだから!! だから、私はあなたを――!!」
……待て。
今、私、何を言おうとした……?
急速に頭が冷えていく。
「……な、なんか、ごめん、なさい。勝手な、ことばっかり、言って」
でも、エリリンは、なぜだか熱に浮かされたような顔をしていた。
「アイドル、やめるのは……エリリンの自由。私、が、口を出す、ことじゃない。……だけど、これだけは、言って、おきた、かった」
その言葉に、エリリンはふっ、とほほえんで。
「田中恵理」
「……?」
「わたしの、本名。……あんたには、特別に教えてあげる。“田中”って、ダサいからあんまり好きじゃないのよねー。でも、『エリリン』ってずっと呼ばれるのもなんだし?」
そう、頬を染めたままで言った。
「わ、私、私は……四ノ宮、遥……」
「四ノ宮遥……ねえ? わたしよりずっとアイドルっぽい名前じゃない。ズルい!」
「そ、そんなこと、い、われても……」
「あははっ、そうよね!」
エリリン――恵理はそう笑うと、私に背を向けながら言った。
「アイドルをやめる件……、あんたの演説に免じて、もうちょっと考えてあげるわ。……だから、……また、見に来なさい、よね? ……遥」
「あ……うん」
彼女はそれだけ言うと、一気に走り出し、あっという間にその背は遠くなっていく。
雨はいつの間にか、ずいぶんと小降りになっていた。
***
数日後。
私は再び、あの雑居ビルを訪れていた。
相変わらず高いドリンク代を払い、中に入る。
舞台では、“彼女”が変わらず、まばゆいばかりの光をはなっていた。
……その日は、物販で2個、商品を購入した。
そして、握手会。
彼女の手を握り、こう告げる。
「が……頑張って、ください!」
「……当然でしょ?」
そう答えた彼女の笑顔は、いつもの営業スマイルではなく、口角をつり上げた挑戦的な笑みで。
他のどんなものよりも、魅力的、だった。
ふう、とため息をつく。
あの様子なら、当分はアイドルを続けてくれるんじゃないだろうか。
……きっと、そうだ。
私は、心持ち軽い足取りで歩き出した。
……彼女の、本心からの笑みを見た瞬間の、胸の高鳴り。
その意味を、今はまだ理解しないままで。