老商人と森の動物達
ある日の朝、コマドリの双子の兄妹がいつものように歌いながら森の上を飛んでいると大きな虹を見つけました。
その虹は空に逆さまにかかっている不思議な逆さ虹でコマドリの兄妹は歌うのも忘れてしばらく考えていました。
「あんな変な虹、キミは見たことあるかい?」
「いいえ。見たことないわ。」
「それじゃ、あの変な虹の上に腰掛けてるお爺さんは見たことあるかい?」
「いいえ。見たことないわ。」
そこで二匹は逆さ虹の所へ飛んで行きました。
逆さ虹の真ん中のちょうど一番へこんだ辺りには豪華な洋服を着た老商人が傍らにトランクを置いて肩からはポシェットを下げて座っていました。
「こんにちは。今日もいい天気ですね。」
コマドリの兄はおっかなびっくり挨拶しました。
老商人はゆっくりと顔を上げました。
「やあ、こんにちは。何か用ですか?」
「ううん。遠くからこのステキな虹が目に入ったから。」
「そうですか。」
それきり老商人は興味をなくしてしまったように俯いてしまいました。
「ねえ、お爺さん。そのトランクは何が入っているの?」
今度はコマドリの妹が好奇心を抑えきれず尋ねました。
「これは私の商売道具ですよ。」
「お爺さんはなんのお仕事をしているの?」
「つまらないものを売るつまらない商人ですよ。」
面倒くさそうにそういうと老商人はまたしばらく黙りこみました。
「つまらないものなのに売るんだね。」
「つまらないものなのに買うのね。」
コマドリの兄妹は悪気なく言ったのですが、注意深く見ていればその言葉に老商人の顔にサッと朱がさしたのが分かったでしょう。
そして老商人はゆっくりと大きな溜め息をつくと言いました。
「そうですね。ここには休憩に立ち寄ったんだが、気が変わりました。この森で店を開くとしましょう。君たちはこれから森に向かうようだし、申し訳ないがこの森に住む動物達を集めてくれませんか?場所は...」
老商人は足元の森を見渡して言いました。
「あそこの大きな池ならちょうどいいでしょう。あの池のほとりにある広場にお願いできますか?」
「お安い御用さ。」
「お安い御用よ。」
コマドリの兄妹は声を揃えてそう答えると森に向かって飛んで行きました。
キツネは森の真ん中にある池に向かって歩いていました。今日もいいお天気です。
なんとなく愉快になってスキップしながら、さっきのコマドリの話を思い出しました。
「新しくお店が出来るんだって!油揚げもあるといいな。」
キツネの頭の中はもう黄金色の油揚げの事で一杯でした。
森を東から西に横切って流れる川に架かるオンボロ橋をヒョイヒョイと渡ってまっすぐ進むと、池はもう目の前です。
池のほとりにはもうたくさんの動物達が集まっているようで、キツネも人集りの方へ脚を早めて行きました。
「こんにちはアライグマさん。」
「よお、キツネ。」
「キミもコマドリから?」
「ああ。他の連中も来たみたいだぜ。」
アライグマがあごをしゃくった先にはヘビとリスとクマがこちらに向かって歩いて来ていました。
「おーい!みんなこっちこっち!」
そうキツネが呼びかけると三匹は少し早足になりました。
キツネとアライグマとヘビとリスとクマ。変な取り合わせですが彼らはとても仲良しです。
池のほとりの広場に森の動物達が集まった頃、急に大きな影がその上を覆いました。
動物達は驚いて空を見上げましたが太陽を見てしまいその眩しさに目を閉じてしまいました。
「みんなこっちだよ。」
「みんなこっちよ。」
コマドリの兄妹の声がした方に目を向けると池のちょうど中央に逆さまのヘンテコな虹がかかっています。
そして池のほとりにはいつのまにか手にトランクを持って肩からはポシェットを下げた豪華な洋服の老商人が立っていました。
「初めまして。ここで皆様にお会いできたのも何かのご縁。私のお店にはみなさんの欲しいものは何でも揃っておりますので何なりとお申し付けください。さあさあ遠慮なさらず。もちろんお代はその商品に見合ったものを頂戴いたします...」
老商人は動物達を前に一息でそんな口上を述べるとそれきり黙ってしまいました。
動物達は顔を見合わせました。
「欲しいもの何でも?」
「何でもだって?」
「本当に?」
「何でもって何でもいいのかな?」
老商人はその様子を見つめて微かにため息をつきました。
トランクの中の素晴らしい商品の数々をきっと動物達は欲しがるでしょうが、そのお代をキチンと持っているのか急に不安になって来たのです。
老商人は年甲斐もなくムキになってしまったことを少しばかり後悔し始めていました。
動物達はしばらく何を頼むのか誰から頼むのかと話していましたがその時キュウとキツネのお腹が鳴りました。
「そういえば僕まだお昼ご飯を食べてなかったよ。」
キツネはお店で油揚げが売っていたらそれをお昼ご飯にするつもりだったのでまだ何も食べていなかった事を思い出しました。
そしてみんなに最初のお客さんになる事を笑って許してもらった後、老商人の前に出てお腹をキュウキュウ鳴らしながら言いました。
「お爺さん、お爺さん。」
「ようこそいらっしゃいました。何がご入り用でしょう?」
「油揚げってありますか?」
老商人は値踏みするようにキツネをじっと見つめて言いました。
「もちろんですとも。お祝い用の上等の油揚げから神社にお供えする最上級のものまで。ただ少々お高う御座いますが...」
「そんなもの食べたら毎日のご飯に満足できなくなっちゃうよ!」
キツネは驚いて飛びあがって言いました。
「左様でございますか。ではどんな油揚げを差し上げましょう。」
「普通の油揚げを一枚!それで僕は満足さ。」
「申し訳ありません。あいにく当店にはご用意出来ておりませんので。ですが代わりにこちらを差し上げましょう。いいえお代は結構です。」
せっかく来たお客様を手ぶらで返すのは老商人のプライドが許しません。
老商人はポシェットから自分の夕飯に取っておいた干し肉を一枚取り出しキツネに咥えさせてやりました。
キツネは大喜びで干し肉を咥えると動物達への挨拶もそこそこに走って行ってしまいました。
キツネが広場から出て行った後、アライグマが老商人の前に出て乱暴に言いました。
「よお爺さん。」
「ようこそいらっしゃいました。何がご入り用でしょうか?」
「薬ってあるか?」
老商人は値踏みするようにアライグマをじっと見つめて言いました。
「もちろんですとも。こちらの力がいくらでも湧いてくる丸薬などは如何でしょうか。一口飲めばたちまち怪力無双、大岩だって投げ飛ばせます。ただ少々お高う御座いますが...」
「そんなの相手が大怪我するじゃねぇか!」
アライグマは顔を真っ赤にして言いました。
「左様でございますか。ではどんな薬を差し上げましょう?」
「擦り傷に効く薬だ。昨日弟と喧嘩したんだ。できればあまり沁みないのが良いな。」
「申し訳ありません。あいにく当店にはご用意出来ておりませんので。ですが代わりにこちらを差し上げましょう。いいえお代は結構です」
せっかく来たお客様を手ぶらで返すのは老商人のプライドが許しません。
老商人はポシェットから代わりに応急処置のための絆創膏を取り出し、アライグマの出来たばかりの擦り傷にはってやりました。
アライグマは大喜びで残りの絆創膏を受け取り、傷口への上手な貼り方を聞き終えるやいなや動物達への挨拶もそこそこに走って行ってしまいました。
アライグマが広場から出て行ってしまった後、ヘビが老商人の前に出てシューシューと言いました。
「おじさまおじさま。」
「ようこそいらっしゃいました。何がご入り用でしょうか?」
「最近少し太っちゃったみたいで根っこ広場の根っこの間を通れないの。今の私の身体が写せる鏡はあるかしら。」
老商人は値踏みするようにヘビをじっと見つめて言いました。
「もちろんですとも。噂に名高い喋る魔法の鏡もこちらに御座います。ただ少々お高う御座いますが...」
「喋る鏡?私にも話し相手になってくれる友達は居るわよ?」
ヘビはキョトンとして言いました。
「左様でございますか。ではどんな鏡がお望みでしょうか?」
「小さな手鏡よ。尻尾で持てるくらいの大きさの。色は私と同じ萌黄色が良いわ!」
「申し訳ありません。あいにく当店にはご用意出来ておりませんので。ですが代わりにこちらを差し上げましょう。いいえお代は結構です」
せっかく来たお客様を手ぶらで返すのは老商人のプライドが許しません。
老商人はポシェットからプレゼント用に商品を包む為に用意していたピンク色の可愛いリボンを取り出しヘビの尻尾の先に巻いてやりました。
ヘビはピンクのリボンで飾られた尻尾の先を見てウットリしながら動物達への挨拶もそこそこにニョロニョロと這って行ってしまいました。
ヘビが広場から出て行ってしまった後、クマが老商人の前に出て恐る恐る言いました。
「お、お爺さん。」
「ようこそいらっしゃいました。何がご入り用でしょうか?」
「えっと、あの、その...実はお嫁さんが欲しくて。それで...」
老商人は値踏みするようにクマをじっと見つめて言いました。
「もちろんですとも。ホッキョクグマからツキノワグマまで美しい雌のクマがどんな種類でもこちらに御座います。ただ少々お高う御座いますが...」
「そ、そんな知らないクマをお嫁さんに貰っても困っちゃうよ!」
クマは慌てて頭をブンブン振りながら言いました。
「左様でございますか。ではどんなクマがお望みでしょうか?」
「欲しいのはクマじゃないよ...そうじゃなくて、好きな子にプロポーズするのにアドバイスが欲しいんだ」
「申し訳ありません。あいにく当店にはご用意出来ておりませんので。ですが代わりにこちらを差し上げましょう。いいえお代は結構です。」
せっかく来たお客様を手ぶらで返すのは老商人のプライドが許しません。
老商人はポシェットから紙とペンを取り出すとクマにアドバイスする代わりにクマの話を辛抱強く聞いてあげました。
クマは話をしているうちに胸の奥から勇気がどんどん湧き上がって来るようでいてもたってもいられずに動物達への挨拶もそこそこに走って行ってしまいました。
クマが広場から出て行ってしまった後、コマドリの兄妹が老商人の前に出てピーチクパーチク言いました。
「こんにちはお爺さん。今朝ぶりだね。」
「こんにちはお爺さん。今朝ぶりね。」
「ようこそいらっしゃいました。何がご入り用でしょうか?」
「疲れてるから良く眠れるベッドが欲しいな。」
「喉の調子が良くないから花の蜜が欲しいわ。」
老商人は値踏みするようにコマドリの兄妹をじっと見つめて言いました。
「もちろんですとも。こちらにはびろうどで作られたベッドを。夜に眠ると次に太陽が真上に来るまでグッスリ眠れます。そちらにはこちらのさえずりの蜜を。これを飲めば世界一の歌声が手に入るでしょう。ただ少々お高う御座いますが...」
「そんなに寝ちゃうと朝に一緒に歌えないじゃないか。」
「そんなに上手くなったら朝に一緒に歌えないじゃない。」
コマドリの兄妹は顔を見合わせて言いました。
「左様でございますか。ではどんな...」
「やっぱり良いよ。一緒に歌えないのは困るしね。」
「やっぱり良いわ。一緒に歌えないのは困るしね。」
そう言うとコマドリの兄妹は老商人からに何も渡さず何も受け取らないまま動物達への挨拶もそこそこに飛んで行ってしまいました。
「やっぱりつまらなかったね。」
「やっぱりつまらなかったわ。」
その姿を老商人はポシェットに手を掛けたまま呆気にとられるように見送りました。
ですが慌てて空に向かって叫びました。
「申し訳ありません!あいにく当店にはご用意出来ておりませんので!ですが代わりにこちらを差し上げましょう!いいえお代は結構です!」
せっかく来たお客様を手ぶらで返すのは老商人のプライドが許しません。
老商人はコマドリの住む木の上に逆さ虹をかけてあげました。
コマドリの兄妹は嬉しそうに空に円を書くと動物達への挨拶もそこそこに飛んで行ってしまいました。
その後も動物達は次々と老商人のお店のお客になりましたが、みんな老商人が勧めたものを欲しがりません。
ですがせっかく来たお客様を手ぶらで返すのは老商人のプライドが許しません。
ポシェットの中から動物達の気にいる物を次から次へと取り出しては渡しました。
動物達はみんな喜んで受け取りました。
トランクにあった商品は一つも売れませんでしたが皮肉な事に老商人の目利きは確かだったのです。
「何でもじゃなかったね。」
「何にもなかったよ。」
「でも良いお爺さんだったね。」
「今度みんなでお礼に来ようね。」
広場を出て行く動物達のそんな話し声を聞いて老商人はすっかり落ち込んでしまいました。
最後の一匹が広場から出て行く頃にはもう立っているのも億劫になり地べたに座り込んで俯いてしまいました。
いえ、まだ広場には一匹残っていました。
老商人がもう帰ろうとのそりと立ち上がると傍から小さな声が聞こえました。
びくっとして声のした方を見るとどんぐりの小山の上にちょこんと小さなリスが乗ってこちらを見上げていました。
そしてリスが飛び跳ねながら言うのです。
「お爺ちゃん、お爺ちゃん!」
もう老商人のプライドはズタズタでした。どうせこのお客様も商品を気に入らないと言うのでしょう。
老商人は気付かないフリをしてやり過ごそうかとほんのちょっとだけ考えました。
ですがそこはやっぱり商人です。お客様を無視するわけには行きません。
「ようこそいらっしゃいました。何がご入り用でしょうか?ですが申し訳ありません。当店にはつまらないものしかありません。」
ポシェットの中にまだ渡せるものはあったかなと老商人は少し心配になりながら言いました。
「お話が欲しいわ!あなたのお話はとても面白そうですもの!」
老商人は一瞬耳を疑いましたがやがて腰を屈めてリスに微笑みかけました。
「もちろんですとも。私が巡った色んな時代の色んな国の色んな物語がございます。雲の上の巨人に売った金の卵を産む雌鶏の話、海底に住む人魚姫の話、他にも今は亡き古代王国での商いの話などございます。お代はそうですね。」
老商人はリスの足元のどんぐりの山を見て言いました。
「どんぐりなんていかがでしょう?」
「買ったわ!どんぐりならまだまだ沢山あるわよ!」
リスが自分の頬っぺたを押すとそこからコロコロとどんぐりがいくつか転がり落ちました。
それを見て老紳士はとうとう吹き出してしまいました。
「ははは...これは最後に大儲けできそうだ!おっと、一つの話を聞いただけで帰られては困りますよ。商品はまだまだ山ほどあるんですから。そのどんぐりの山よりもずっと沢山のね!」
それからしばらくたった頃動物達の間である噂が広まりました。
西の森のリスが朝早くに頬袋いっぱいにどんぐりを詰めて池に走って行き、
夕方頃には決まっていつも頬袋を空にして嬉しそうに来た道をかけて行くというのです。
まるで面白い話を聞いて、すぐに誰かに話したくて仕方がないように。
その池はいつしかどんぐり池と呼ばれるようになりました。
冬の童話2019に準備していた物ですが参加申請しなければ提出出来ない事を後になって知り、どうしようか悩んだ結果最後まで書ききってみました。
初めての童話なので文章の構成や表現に思いのほか苦労しました。