もう一つの可能性を夢見ることができる?
外と中との明暗差に目眩がして、瑞透はその場に倒れかけて慌てて賽銭箱に手をついた。
「瑞透くん?」
出てきたことに気づいたらしい春陽が近づいてくるのが伝わってきたけれど、答える余裕はない。
目眩ではない。
荒く息をついて、無意識に胸元をつかんだ。
また発作が起きる。
瑞透は身を強張らせた。
体から力を抜いた方がいいと分かっていても、なかなかできない。
「どうしたの、大丈夫?」
背中に触れた手の優しさを知りつつも、瑞透は必死で息を整えようとした。
春陽は瑞透の様子がおかしいことは分かっても、それが発作が起きる前兆だということまでは分からない。
「気分悪い? 人、呼んでくるから。さっきの神主さん、」
そう言いながら立ち上がった春陽の腕を掴んで、瑞透は頭を振った。
「大、丈夫。すぐ、おさまる」
「でも!」
「しばらく、休んでれば大丈夫だから」
瑞透が苦しそうな様子に春陽はうろたえながら、その背中を撫でた。
「横になる?」
気遣う声音に、瑞透は胸の様子に落ち着きを取り戻しながら、賽銭箱の前の階段に腰掛けた。
なんとか大丈夫そうだ。
ぐったりしたように大きく息をついて、滲んだ汗を肩口の袖でぬぐった。
「すみません、驚かせて」
ポツリと呟いた瑞透に、隣に座った春陽は黙って頭を振った。
瑞透はゆっくりと胸の奥の不規則な動きを宥めるように目を閉じた。
境内に、いくつかのセミの声が重なるように響く。たまに鳴き交わす野鳥の声に混じるようにして、遠くでカーンと獣除けの防音が高らかに谺した。
春陽はまるで存在を消すかのように、その吐息さえ瑞透の耳には響いてこない。それでも隣に誰かがいるという気配だけが伝わってきて、瑞透は少しだけ安心した。
ただそばにいてくれるだけのそのぬくもりに、瑞透は学校の友人たちにさえあまり知らせていないことをつい漏らした。
「……心臓に、欠陥があるみたいで。なんか、こう、……」
初対面の相手に何を言おうとしているのか、瑞透はぐっとこらえて小さく息を吐いた。
「いろいろ、うまくいかないもんですよね」
軽く笑おうとして、ひきつった笑いになった顔を思わず俯くことで隠した。
「……そうだね。でもうまくいかないまま、なんてことはないから」
静かに、それでもきっぱりと言い切った春陽に、瑞透は顔をあげた。
キラキラと濡れたような深い瞳と優しい微笑みを浮かべた春陽が瑞透を見つめていた。
瑞透の胸の奥が、今までと違う音をたてた。
「いいことだってあるから」
瑞透の命に期限があることを知らないから言えることなのかもしれない。だとしても、春陽のまっすぐ信じている言葉が、瑞透の胸を打った。
ソレがいつ現れて、いつ自分を襲うか。心臓の病気がいつ自分の命を奪うか。あるいはソレに命を絶たれるか。
いつもそこにある不安が一歩自分から身を引いたように思えた。
「僕にもいいこと、あるかな」
「きっとある。悪いことばかり続かないようにできてるよ、世の中って」
「ふうん……」
「あ、でもいいことばかり続かないってのもミソだけど」
軽く肩をすくめた春陽の無邪気な笑顔につられたように、瑞透は「それ、だめじゃん」と笑った。
夏の日差しが少しずつ翳り始めている。
もっと春陽と過ごしたいと思い、そう初めて女の子に思ったことが、瑞透の心の奥に小さなぬくもりとなって灯った。
春陽は、八重野家に滞在するのだろう。
もっと春陽と話をする時間がもてる。
そのことが素直に嬉しく、同時に気持ちが晴れやかなのが自分でも不思議だった。
「そろそろ、八重野家、ご案内しますか?」
「そうね、お願い」
瑞透につられて春陽も立ち上がった。そしてくるりと拝殿の方に向きを変えた。
「瑞透くんの病気がよくなりますように!」
大きな声で願いを言葉にし、パンパンと手を叩いて、春陽が手を合わせた。
驚いた瑞透は、照れた顔で春陽の隣に並んで、手を合わせた。
「春陽さんが、ちゃんと林間学校の小学生をまとめられますように」
「え、」と春陽が不服そうな顔で隣の瑞透を見た。
「あのね、瑞透くん。これでも私、子どもに好かれる方なんだけど?」
明るく面倒見がよさそうな雰囲気は、小学生だけでなくいろんな人に好かれそうだと、瑞透はこの短い春陽との時間でも感じとっていた。
「小学生は、そんなに甘くないと思うけど?」
からかうように笑った瑞透に、春陽もまた笑い、軽やかに木造の階段をおりた。
ポニーテールが跳ね、春陽のブラウスが太陽の光を吸い込んだように目に鮮やかに翻る。
「そうだ、瑞透くん。春陽でいいよ」
「え?」
「さん、つけなくていいよ。たぶん瑞透くんとそんなに年変わらないと思うし」
「じゃあ、僕も瑞透でいいよ。ていうか春陽、高一?」
「あれ、違った。私の方が二コ上だった。高三」
「高三なの?」
「あれ、見えない? 瑞透、一コ下くらいかなって思ってた。なんか落ち着いてるし」
「え、じゃあ春陽、受験生じゃ」
「うん。でも小学校の先生になりたくて、前からこういうボランティアやってるんだ」
「すごいね」
微笑む春陽の横顔がまぶしい。
いつもは鬱蒼とした周りの木々が優しく葉擦れの音をたてて、清々しい気分が瑞透を包んだ。
春陽といれば、見失ったもう一つの可能性を夢見ることができるだろうか。
そんな思いがふと胸の内をよぎった。




