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僕の中には、化け狐が棲んでいる。  作者: ゴトウユカコ
12/16

まるごと澱んだ水の底に落ちてしまったような

 どこかで篠笛の音が聞こえた気がして、瑞透はふと窓の外を見やった。瑞透は開け放した窓際で、読んでいた本を膝に置いた。


 太陽が沈みきった山間は、都会とは違って外灯もなく、塗り籠めたような闇の中に落ちている。

 裏手の山の森も、長屋門の前に広がる棚田も息をひそめ、まるではじめからそんなものが存在していなかったようだ。

 ただ、たまにセミがジジジ、と鳴いて、虫がリーリーリーと鳴いている。


 風はない。

 東京の寮ならば窓を開けていただけで、例え風があろうとも、じっとりと肌にまとわりつくぬるい空気がある。

 でもこの山間の夜は、そよとも動かぬ空気だとしても、涼しい。

 すでに秋が来ているのかと思うほどだ。


 また本に視線を落として、小さく息をつくと本を閉じた。


 集中できない。

 あれから武士や理人たちと顔を合わせてはいない。

 顔に怪我を負ってからは、引率の先生たちの願いもあり、林間学校の手伝いに顔を出すこともない。


 瑞透は、そのまま窓際に座って、外を眺めた。そしてふと目を細めた。


 古宇里山の裾野近くで、遠く、白く丸い光がいくつも蠢いている。

 粒のような大きさにしか見えないそれは、肝試しの懐中電灯だろうと思えた。


 そう、肝試しなのだ。

 予定通りなら、午後六時頃から始まって、三十人近い生徒たちはそれぞれくじ引きで決めたペアになって、順番に古宇里山の中腹にある神社まで長い階段を登り、拝殿の前にある襷をとり、それから階段を降りる途中にある道を入って、その先にあるどん詰まりの墓地の奥の無縁仏にナスやキュウリを供えてくる。

 ゴールした生徒たちには、労いとともにジュースやお菓子が配られるはずだ。


 武士たちが小学生の友人たちを存分に恐怖の底に叩き込むと息巻いていたのを思い出す。


 瑞透はしばらく懐中電灯が揺らめいているのをぼんやり眺めた。


 その時、ふと神社が近い古宇里山の中腹の辺りに灯った青白く淡い光が目に入った。多くはない。

 それはすぐにふっと消えて、また灯った。


 瑞透は思わずその光に目を凝らした。


 誰かが懐中電灯の明かりを消して、すぐにつけたのなら、何も違和感は生じない。

 でもその光が消えてから次に現れた位置に不安を覚えた。瑞透の視界の中で、最初に見つけた裾野の方の複数の光はかすかに動きはしている。

 しかし中腹にあったわずかな光が、消えて次に現れた位置が、元のところからだいぶのぼったところなのだ。


 瑞透が見つめる中で、その青白い光はふっと消え、そしてまた別のところに現れた。

 遠くから見る瑞透の目にも明らかに位置が変わるほどの動きは、実際には何十メートル、何百メートルにも当たるだろう。


 そんな動きを人がするのか。


 そう思って、瑞透は青ざめて立ち上がった。


 少なくとも裾野に近い複数の光は、人のものだろう。

 でも今、瑞透の目を釘付けにしている光は、この夜の闇の中で大きく何度も位置を変えるその光は、人のものだとどうして言えるのだろう。


 自分は、人が見えないモノを見る身だ。


 その光は神社より高い位置で明滅して、それから不意に裾野近くの複数の光よりももっと下にある沢の方で灯って、それから消えた。


 瑞透は立ち上がると、薄い上着をひっかけてスマホをポケットに滑らせ、座敷を出た。



 しんと、廊下が静まり返っている。


 磨かれた木の滑らかさは、ぼんやりとした暖色の明かりに反射しているのにどこか冷たさを帯びて、ずっと先まで果てなく続いているようだった。

 ところどころ黒く凝って見えるのは、ソレがひっそりといるからだろう。


 瑞透は足を踏み出して、顔の怪我に痛みが走ったのに気づいた。

 何か顔に負担をかけたかと思いつつ、早足で歩く。

 

 チッと音がしそうな痛みがまた走る。

 ソレのそばを通り過ぎる度にだ。


 どうやら自分が顔に負った傷は、ソレの存在に反応するようだった。


 瑞透は面倒なことになったと一人ごちながら、さらにペースをあげて玄関に向かった。

 玄関そばの土間を通り抜けようとして、ふと横を見た。

 いつもなら誰かしら女性がいて賑わっている土間には、しんと、薄暗い沈黙が落ちている。


 ぴちょん、とシンクに水が落ちる音だけが続いている。


 ひどい胸騒ぎがした。


 この時間帯に、なぜ母屋に誰もいないのか。

 皆、肝試しの手伝いに狩り出されたのか。


 瑞透は玄関を降りて、急ぎ足で長屋門へとくだった。


 無風だ。


 いつもは鳴っている清かな稲の音も聞こえない。

 鳥の声も、虫の音も、森のざわめきも、何も。


 まるで山に囲まれたこの集落がまるごと澱んだ水の底に落ちてしまったような雰囲気に、瑞透はぞわりと鳥肌が立つのが分かった。


 その瞬間、スマホがポケットの中で震えて、びくっと驚いた瑞透は慌てて電話に出た。


〈瑞透! 今どこ?!〉


 切羽詰まった声は、春陽だ。

 走ってでもいたのか、荒く息をついている。


「え? 今、家出たところに」


 瑞透が最後まで言い終わらないうちに、春陽は〈武士くん、知らない?〉と問いかけた。


「え? 夕方、くらいか。部屋来て、それからは」


 息を整えきれていない電話の向こうの春陽に、瑞透は眉をひそめた。


「武士が、どうしたの?」


 そう聞き返した時、本家の敷地に沿ってカーブした道路の向こうが騒がしくなった。

 不安が音を立ててやってきたのかと、そちらに顔を向けると同時に、複数の懐中電灯の強い光が揺れて、瑞透を照らした。

 眩しさに思わず顔を腕で隠した瑞透の耳の向こうで春陽が〈あのね〉と言った。


 懐中電灯をもつ集団が、鼻をすすりあげたり、しゃっくりしたり、泣き声をあげている。

 肝試しをしていた小学生たちが帰ってきたらしい。泣きながら。


〈瑞透、武士くんの姿が見えないの〉


「え?」


〈脅かし役であがって行ったっきり、いなくなっちゃったの!〉


 春陽の言葉が、耳の奥で何度も繰り返されるようにわんわんと谺した。


「八重野くん?」


 懐中電灯の持つ一人がそう言って、駆けるようにして近づいてきた。

 室戸だった。


 瑞透はスマホを耳に当てたまま、室戸を見下ろした。

 おどおどと怯えた様子で、室戸は瑞透を見上げた。どこか卑屈なその眼差しが、瑞透は少し苦手で、そして今は少し苛つかせた。


「八重野くん、武士くんを見てない? 小学生たちもゴールして、脅かし役の先生たちも戻ったのに、武士くんだけが戻らないんだ」


 春陽から聞いたばかりのことを、室戸の口からも言い募られて、瑞透はひゅっと息を飲んだ。


 怒って出ていったのは、ほんの数時間前だ。

 それからすぐに武士が行方知れずになったとは信じがたかった。


〈瑞透? もしもし? そこに誰かいる?〉


「ねえ八重野くん、知らない? 武士くん見かけてない? 八重野くん、今、おじさん達が山に入って探してるんだけど、スマホの電話通じないし、メッセージも既読にならないんだよ! ねえ八重野くん、武士くんに何かあったら、何かあったら……!」


 室戸は友人の行方不明でパニックに陥っているようで、泣きわめく声で瑞透にすがった。

 瑞透はその姿に苛立ちを募らせながらも、室戸の肩を揺すって「落ち着いて」となだめた。


 手伝いに来ていた近所の大人が、瑞透と室戸を残したまま、泣く子ども達を慰めながら本家の母屋に入っていく。

 瑞透は室戸から視線を古宇里山に向けた。


〈瑞透、聞こえてる?〉

「……春陽、今、室戸からも聞いたよ」

〈わかった。とにかく今、皆手分けして探してる。子どもたち、そろそろそっちに戻るはずだから〉

「今、戻ってきた」

〈よかった〉

「春陽は?」

〈私はもう少し探す。……瑞透、武士くんね、落ちこんでた〉

「え?」

〈なんか、言い過ぎたって。瑞透を傷つけたって。詳しくは教えてくれなかったんだけど……〉


 ドクン、と胸の奥が大きく音をたてた。


〈だからもしかしたら、少しヤケになって、山の中に入り込んじゃったのかもしれない〉

「武士は、そんなヤケで自分捨てるようなやつじゃない」


 まっすぐ瑞透に向かってきたように自分にも向き合える。

 そういうタイプだ。


 だから、武士が好きなのだ。大事なのだ。


「……僕も、お山の方にいく」


〈えっ、ま〉瑞透は春陽の返答を待たずにスマホを切った。

 そして室戸がそこにいるのも忘れて、目の前に広がる棚田のあぜ道に道路から飛び降りた。


「八重野くん!? どこ行くの!?」


 室戸の焦る声に返事もせずに、古宇里山の方角へと夜のしじまを縫うように走り出した。

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