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BARの扉が重い訳

作者: 深海潜水士

BARの扉は重い。

BARの扉からは拒絶を感じるものだ。


BARのたたずまいは居酒屋と違い、誰にでも簡単に開けられるような雰囲気ではない。

重厚で、店の中はなに一つ見えず、わざわざ客を怯ませるかのごとき作りをしている事が多い。不思議な話だ。

この雰囲気に負けて、BARに入れない人は多いと思う。



出張で来たろくに知らない街で、何となく看板と扉を眺めてからBARに入る。

少しばかり面倒な仕事を片づけるためにやってきたせいか、その日の私の足取りは軽いものではなかった。


カウンターのスツールに腰掛けながら、軽く店内とバックバーを眺める。

人の好さそうなバーテンダーと、清掃の行き届いた店内にきちんとディスプレイされた酒瓶。私の好きなモルトの種類が多い。期待できそうだ。


BARで最初に頼む酒はいつも決めている。

ジン・リッキー。ドライジンにライムと炭酸水。


理由がある訳ではない。いつの間にか、そうなっていただけだ。

頼んだカクテルが旨かったら、腰を据えてあと数杯飲む事を決める。

さしてうまくないなと感じたら、次の店を探しに行く。それだけだ。

バーテンダーと何か特別な事を話す訳でもない。


うん、どうやら丁寧に作ってくれていることが判る。

旨い。期待通り、いい店の様だ。


一杯めが空いたらアイラモルトのストレート。

銘はラガヴーリン。

アイラモルトで一番好きな酒だ。


スタンダードが16年という、他の蒸留所よりも長い熟成期間を経た酒で、アイラの例に漏れずピート香は強くしっかりしているが、熟成感があって香りは艶やかだ。

敢えて気恥ずかしい表現をするなら官能的と言ってもいい。

喉をすべり落ちるように入ってくるこの酒の香りが好きで、モルトを飲むときはこの酒をいつも最初に頼んでしまう。


ただ、静かに酒をのみ、静かに酔う。

あたりさわりのない会話と、酒が旨ければ十分だ。


とは言え、2杯めのグラスが空く頃には、バーテンダーとの会話も多少スムーズになる。

かといって、お互い、踏み込んだ話をするわけではない。

これまでどんな酒が旨かった、古いボトルがどうのこうの、あの土地ではこんな食べ物が旨かった、なんて他愛もない話題だ。


3杯めはカリラ。

アイラの中ではピートが抑え気味で、甘さを強く感じる酒だ。

シングルモルトとして考えれば決して高い酒ではないのだが、人によっては気品があるとか上品なと表現するかもしれない。


この酒を呑むと、いつもある人の事を思い出す。

もういったい何年前になるのか、私に酒のイロハを教えてくれた先輩。

不思議なもので、その人の顔はもう朧げにしか覚えていないのに、一緒に飲んだ酒やその時のちょっとしたエピソードを、時々、自分でも驚くほど鮮明に思い出す。


いいか、BARのカウンターでは酔って乱れるなよ。BARってのはカッコつけて酒を呑む場所なんだ。

女にモテたかったらこういう酒を呑め。酒の味なんか判らなくてもいい、そのうち嫌でも判るようになる、だからハードリカーにしろ。

女にはこういう酒を勧めろ。但し、酔わせて持ち帰ってどうこうなんて絶対に考えるなよ。そういうのは居酒屋合コンでやれ。

BARで女を口説くなら徹底的にスマートにやらなきゃダメなんだ。

仕事で失敗した時には酒を呑むな。酒は仕事で成功した時に呑め。etcetc。


今思えば苦笑してしまうような内容も多い。

まぁそれも当然と言えば当然だ。それを教えてくれた先輩だって当時は20代の小僧だったのだから。


このグラスがあく頃になると、このお店にもう一度来たいと思うようになる。

その頃にはバーテンダーとこんな昔話や、少しばかり女性の話が出来るようになっていたりする。不思議なものだ。


またこの街に出張に来ることがあるだろうか。

プライベートで遊びに来るには些か魅力に欠ける街であることは確かだ。

やはり出張でもない限り、来ないだろうと思う。


だからという訳でもないが、最後の一杯はギムレットを頼む。

心の底からどうでもいい話ではあるが、ギムレットには長い別れ、という含意があるのだ。


もちろん、そんな話を口に出すほど私は露出狂でも中二病でもない。

そもそもバーテンダーなら誰だってその程度の事は察してくれる。

ほら、このバーテンダーだって注文した時に軽く方法の眉が上がっただろ?


ショートカクテルの温度が変わらないうちに杯をあけ、会計をして店の外に出る。

BARの会計は必ず現金で行う。これも私のルールだ。

そう言えばこれも例の先輩の教えだったような気がする、理由はもちろん忘れた。


ふと振り向くと、バーテンダーが扉の前まで見送りに来てくれていた。

その扉に、拒絶の雰囲気はない。


やはり、何か機会を作って、またこの店に来よう。

そう思いながら、知らない街をホテルに向かって歩く。

来た時よりも、少しだけ足取りが軽くなっている。



BARの扉は重い。

だが、それは拒絶の為ではない。

店の中で外の世界を忘れ、バーテンダーのホスピタリティに浸り、旨い酒を堪能する為にそうなってるだけなのだ。

ハイドアウト?知らんね、そんな話は。

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