2-1 アニエスの故郷
†
盗賊たちが居た森の裏は小高い山になっていた。
その更に反対側にある小さな農村がアニエスの故郷なのだそうだ。
盗賊たちは山と森を突っ切る獣道を知っていたようなのだが、どうしても魔物避けのアイテムが必要になるらしい。
まぁそんなん【創造・力】で強引にどうとでもできるんだが、今回は見送ることにして、普通に街道を使うことにした。
というのもあれやこれや、色々なスキルを創り過ぎて、いまいち使いこなせていないっていうのが原因だ。
山の中であればたくさんの魔物が来てくれるだろうが、不意打ちだったり足元だったり不安定になりがちだ。
そんな理由もあって、地に足をつけてじっくり行くことにしたわけだ。
「アキラ様、見えてきました」
そして山を迂回し街道を北上すること半日、さらに街道から外れる小さな道に入って半日程進み、日が傾きかけてきたところでアニエスが指を指した。
俺たちはアニエスの故郷、インデドウ村へと到着した。
†
アニエスの生家は、村の中でも最も山側の位置にある。最寄りの家も離れているし裏手は藪になってて、盗賊たちはさぞかし襲いやすかったことだろう。
「……全部焼けてしまってますね」
「そうだな」
ぼそりとアニエスが呟いた。
慰める言葉も出てこない。彼女にとって愛する家族との思い出が詰まった場所は、賊たちが放った火によって焼け落ちた。
残ったのは黒く焦げ付いた瓦礫と、煤の匂い。
しばらく彼女はぼんやりと焼け落ちた家を見ていたが、遠くからかけられた声に振り向いた。
「おおーい、お前、アニエスか!? 無事だったのか!?」
駆け寄ってきたのは良く日に焼けた体格の良い男だった。斧を手にしているということは樵だろうか。一仕事終えて帰ってきたところに俺たちをみつけたらしい。
その後ろに、何人かの男たちが続く。
アニエスの故郷というから、犬人の村かと思ったらそうでもないんだな。普通の人間たちと、一部のケモミミ。
彼らは離れたところに腰かけていた俺をちらりと胡散臭そうに見たが、直ぐにアニエスに向き直った。
「リッドさん」
「アニエス、無事でよかった……!」
彼らの会話を聞いていると、リッドという男はどうもあっちに見える家に住んでいるお隣さんらしい。
アマーハイ家が盗賊に襲われているのに真っ先に気付いた人物――まぁ派手に燃えただろうから、そりゃ気付くさな――で、鎮火のため奔走し、焼け跡でアニエスの家族三人の遺体を見つけ、共同墓地に埋葬までしてくれた人らしい。
「それは、どうもありがとうございました」
深々と頭を下げるアニエス。
「いや、アルバンやアンナには俺も世話になってたからな……。今回のことは残念だったが、アニエスだけでも生きていてくれて本当によかった」
残されていた遺体は三人分しかないから、アニエスは逃げ延びているのではないかと村人たちは捜索隊を組んで、山のこちら側を探し回っていたらしい。その帰りに俺たちをみつけたということか。
そしてアニエスは、リッドの案内で村の共同墓地へと向かった。
アニエスが見つかったということで捜索隊は解散だが、一部が興味本位でついて来る。
村の外れにある墓地には、真新しい木の棒が三本、並んで突き立っていた。
後で知ったことだが、この辺りでは定番のお墓の形式らしい。
雨ざらしの木の棒は数年後、やがて朽ちる。
それまでの間埋葬された人の魂は現世に留まって遺された者たちを見守り、墓が朽ちるにつれて天の国へと還っていく、そういう考えなのだそうだ。
遺族は朽ち行く木の墓を見て故人の冥福を祈り、完全に墓が朽ちたら思い出だけを持って前を向く……そういうことらしい。
最近ではまた別の宗教が入り込んできて、色々と変わってきつつあるらしいのだが。
家族の墓の前で、アニエスが両膝をついて、手を合わせ頭を垂れる。
ついてきた他の者たちに混じって、俺も見様見真似で祈りを奉げたら隣の奴から「アンタ、あの娘の何なのさ」みたいな顔をされた。
えーっと、うん。
そこんとこだが俺にもよくわからん。
いちおご主人様ってことになってるらしいよ。
†
本当はアニエスの実家がどうなっているか確認したら、そこで野営する予定だったんだけど、流石にそうはいかなかった。
俺たちが墓地に寄っている間に捜索隊の誰かが村長のところへとアニエス帰還の報告に行ったらしい。それでやっぱり騒ぎになった。
当然だ、殆ど絶望的だったアニエスが無事だったんだから。
んで、俺たちは墓前を辞すると次は村長の家へと向かったわけなのだが……。
「ふむ。アニエスが無事で良かった」
髭の長―い爺さんが、にこにこしながら頷いている。このじいさんがインデドウ村の村長なんだそうだ。
「礼を言いますぞ、そこの方」
「ええ、まぁ。そんな大したことはしておりませんが……ああ、まだ自己紹介をしておりませんでしたね。わたしはアキラ・コウジロと……」
「それでアニエス。乱暴はされなかったじゃろうな? 結婚前の大事な身体なんだから、何かされたのだったらちゃんと報告するんじゃぞ?」
なんか、空気がおかしい。
さっきから何度か自己紹介しようとして、俺、無視されてるんだが。
村長と向かい合って座るアニエスが、彼と目を合わせようとしないのだ。
あと、何だ結婚て。
俺アニエスから何も聞かされていないんだが。
「――わたしはエタンと結婚などするつもりは無いと、何回言えば伝わりますか?」
「フン」
前から耳が遠かったらしいお爺ちゃんが鼻を鳴らした。
「アルバンがくたばった今、貴様のような小娘一人で何ができると言うのじゃ。前から言っているように、エタンの嫁に来い。悪いようにはせんと約束しよう。それがお主の幸せというモノじゃ!」
「勝手にわたしの幸せを決めないで下さい。わたしはこの生ある限りアキラ様にお仕えすると定めたのです」
アニエスさんアンタ死んでも仕える気満々でしたよね。
「そんなどこの馬の骨とも知らぬ男に何ができる。貴様も一緒に行ったところでどこぞで魔獣に食われるのが関の山じゃ。そうなっては死んだアルバンが悲しむぞ!」
「父さんを引き合いに出さないで下さい。それに父さんだって母さんだって同じことを言います。【犬人の忠誠】とは我々にとってそれほどの誉なのです」
時折おじいちゃんの方が俺の事を睨みつけてくる。
っていうかさ。
これどういう状況?
村の集会所を兼ねているかなり広いリビングに通された時には、村長と俺たちしかいなかったのに、いつの間にか若い村人たちが数人やってきていた。
しかも「そうだ、村長の言う通りだ!」とか「アニーちゃんの幸せはこの村にある!」なんて村長の援護をしている。
当然俺のことも敵意を隠そうともせず睨んでくる。
事なかれ主義世界代表の日本人としてちょっとそれだけで「すんまへん」って謝りたくなる状況なんだけど、えーっと、俺何かしましたかね?
恩着せがましいこと言えば、一応俺、アニエス助けた恩人なんだよね?
紅茶のお代わりを注いでくれる肝っ玉母ちゃん代表みたいな感じの御婦人(村長宅のお手伝いさんだ)に尋ねると、肩を竦めて教えてくれた。
「そこのワカモノたちは、アニエスの結婚相手――」
思わずむっとすると、奥さんは俺の顔見てにやっとしてみせた。
「候補さ。アキラって言ったかい? アンタもアニエスのこと、まんざらでもないようだね」
ぐ、そりゃまぁ。
美少女が生涯尽くしてくれる宣言してくれて、悪い気のする男はあまりいないと思う。
もうひとつ裏事情をいうなら、アニエスには俺のバレちゃマズいアレコレをすでに教えて、しかもヤバいスキルを色々与えてしまっているのだ。
もしアニエスがこの村に残るっていうなら、俺は新しいスキルを創った上でアレコレとか色々とか消去せなあかん。
あーいや。
スキル消去や記憶操作は必要になる可能性はあるな。
よし、今夜にでも創っとこ。
それはさて置き、アニエスのこと……というかインデドウ村の事情である。
奥さんに聞いたところ、ため息交じりに教えて貰った。
この村は、ノーストの街に領属している。街までは徒歩でざっと二日弱。
そして村はさほど裕福とは言い難いのだ。
となれば都会に憧れる若者たちの村離れが進む訳で。
「ソレハ大変ッスネ」
としか言いようが無い。
まさか異世界に来てまで村落の過疎問題に巻き込まれるとは思わんかった。
んで、アニエスはこの村でも数少ない若い女の子。っていうかそろそろ結婚適齢期で、今回の件が無くとも普段からアニエス争奪戦が繰り広げられていたそうで。
村長としてはこの村に残って、そこに並んでる奴らのどれかと、できれば自分の孫のエタンとやらと結婚して子どもを産んで欲しい訳だ。
「それに村長、私怨も入ってるのよ」
「と言いますと?」
「アニエスのお母さんも凄い美人だったんだけどね。村長が後妻に迎えたいと思っていたらアニエスのお父さんのアルバンと結婚しちゃたのよ。それで村長、アルバンたち夫婦に凄い嫌がらせしててねぇ」
あー、道理でアニエスが喧嘩腰な訳だ。
もしかしてアニエスの家が村の端っこだったのもその辺り関係しているのかな?
そのせいで家を盗賊に狙われたとすれば、このダメ村長が今回の件の間接的な原因であるとも言える――というのは、ちょっと強引過ぎる解釈だろうか。
ついでに言えば、この村長は狭い村社会の中で権力握ってしまったものだから、割りと好き放題やっていたそうな。アニエスの両親をハブっていたのとか、村の共同作業の割り当てとか、冬支度の優先順位とか。
そういうのに嫌気がさしたアニエスと歳の近い若い世代が、どんどんいなくなっている。このまままでは過疎どころか限界集落にすら突入する勢いだ。
村長とその取り巻きで甘い汁吸っているオッサンどもは危機感を覚えているのだが、それ以外の村人たちはもう半ば諦めかけている状況だとか。
お手伝いさんは肩を竦めた。
「村全体の空気がもう澱んでる。そろそろ、一度村長は痛い目に会うべきだと思うんだがねぇ」
「……いや、部外者の俺が言うことじゃないだろうけど、関係者でしかも村長んちのお手伝いやってるあなたが言って良い事でもないですよねそれ。あとさっきからめっさ村長こっち睨んでるし」
「睨みたいんだったら勝手に睨ましときゃいいんよ。あたしは村の政治とかわからないから好きに文句言う、代わりに手は出さない。それであたしに何かしようものなら、明日から三食生のイモにしてやるから」
胃袋握ってるってタチが悪いなぁ。
「あたしみたいなおばちゃんはどうでもいいのよ。でも、アニエスみたいな若い子がこんな村に縛られてるのは見るに堪えないねぇ」
ちらり、と含みを持たせた目で見られた。
つぃ、と顎で言い合うアニエスと村長の方を示される。
アニエスは、まぁ、美人だよな。
野郎どもがこぞって結婚相手に立候補するのも頷ける。
もしかしたらこの辺りの農村とかでは自由恋愛非推奨なのかも知れん。
家長が結婚相手決めるのが当然みたいな文化なのやも知れん。
父親のいなくなったアニエスのお相手を、代わりに村長が見繕うのが順当ということも、もしかしたらあるのやも知れん。
良い悪いではなく、そういう文化ってことならそれはそれでいいさ。
だが、アニエス当人の意思を無視するのはいかがなものか。
袖触れ合うのもなんとやら。
懐かれて少しばかりは俺だってアニエスに対し情が湧いたりしているし。
ここで別れることになって、俺のこと忘れて貰うことになるにしてもアニエスが幸せになれないっていうなら、ちょっと部外者なりに口を出しますともさ。
コイツラが横暴に振舞ってアニエスに乱暴を振るうとは思わんが。
っていうか、今のアニエス角猫瞬殺する実力あるしね。そこらの農夫に殴られてもアザすらつかないだろうよ。
いや、そういう問題ではないな。
俺は言い合う二人の間に、割って入った。
「アニエス」
「なんじゃ貴様、部外者はすっこんどれ!」
無視。
「はい、アキラ様」
「この中で、お前が結婚したいと思う相手はいるか?」
「……います」
おお、と若者たちがどよめく。俺か、いや俺だと互いに牽制しあうが、
「アキラ様です」
一斉に殺気立って俺を睨み付ける。
君たち仲イイね!
「この村に残る意思は?」
「アキラ様のお側がわたしのいるべき場所です」
「俺はしばらく一所に落ち着くことは無いと思うぞ」
「覚悟の上です」
「危険な旅暮らしだ」
「わたしがお守りいたします」
えっと、それどちらかというと俺の台詞。
「アニエスを危険にさらすなんて!」
と、叫んだ若い男に向かって、俺は昼に習得したばかりのスキル【威圧Lv5】を発動する。
「うっせぇ黙ってやがれこのすっとこどっこい」
「っ!? か、はっ……!」
男は胸を押えてうずくまった。他の奴らも似たような状況だ。揃って青い顔をしている。
いかん、威力が強すぎた。弱めて弱めて……こんくらいか。
「なぁ、村長」
まだ青い顔をしている村長に、できるだけ感情を見せないように話かける。
「【犬人の忠誠】って知ってるだろ」
「は、はい、もちろん存じ上げておりまするでございます」
敬語になってるし。
いや敬語か今の?
「アニエスはそれを俺を主として発動された。その上で、理由も無く俺と離れるのは――それはアニエスの幸せか?」
「そ、それは……」
「さっきも説明したと思うが、盗賊から助けた成り行きとはいえ、俺は既にアニエスの忠誠を受ける身だ。その覚悟も出来ているし、報いるつもりでもある。両者で完全に合意が取れているのに、この村の誰がそれを邪魔する権利がある?」
「で、ですが……」
改めて俺は村長を睨み付けた。
それで村長は言いかけていた言葉を飲み込んだ。
「これ以上話すことは無い。アニエス、行こうか」
俺とアニエスは揃ってその場を後にしようとすると、後ろから男の一人が、
「こ、この村を捨てるのかアニエス!? なら二度と戻って来れないように……、お前の家族の墓だって」
その言葉に、一瞬俺はキレそうになった。再び【威圧】を発動させる。
「アニエスの家族の墓をどうするって?」
男は白目を剥いてドサリと倒れた。
「墓を、どうするって言った? お前ら。あ?」
村長以下全員が真っ青な顔でブンブンと顔を振っている。
「俺は部外者で、アニエスの家族がこの村でどういう立場だったかなんて知らねぇがな。アニエスはもうとっくに俺の身内なんだよ。その家族の墓をどうこうするっていうなら、こっちもお前らをどうこうしちゃうぞ? ん?」
ちなみに【威圧】はスキルレベル依存で威力が高くなるが、対抗スキルが無くとも地力の精神力や強い覚悟があれば対抗することができる。
一流の戦士や強大な魔獣などなら、【威圧】単体なら抗することは十分に可能なはずだ。
つまりスキルレベルが高いのも勿論だが、今コイツらが【威圧】に耐え切れないのは、アニエスに対する執着や覚悟が足りないって証左ともいえる訳だ。
いざ魔物に襲われたらアニエスを見捨てて逃げることになるだろうな。
流石に一般人にそこまで求めるのも厳しいか。
一人【威圧】の範囲外だったお手伝いさんが肩を竦めた。
「アニーちゃん。いい人を見つけたんだったら、絶対に放しちゃ駄目だからね」
彼女だけはアニエスの味方らしい。
「アキラって言ったかい? アンタもアニエスのこと、頼んだよ。泣かせたらぶっ飛ばすからね」
「承知しました」
力こぶを見せてくる女将さんに苦笑する。彼女の方が男らしいね、全く。
「アキラさま……不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします……」
顔を赤く染めたアニエスにそんなことを言われる。
あー、なんか、予想外に好感度を上げてしまった。
こうして俺とアニエスは、インデドウ村を後に……
「おい、ジジイ! 俺の嫁が帰って来たんだって!?」
出来なかった。
若く体格の良い男が、村長の家に飛び込んできたからだった。
赤ら顔で酷く酒臭い。明らかに酔っていやがる。
視界の端で、アニエスが思いっきり嫌そうな顔をした。




