2-6 クロエ・イクズスはお金がない
主人公アキラではなく、別人物の視点です。
12/13 クロエ・イクスズ→クロエ・イクズス の誤記修正
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その日、クロエ・イクズスは焦っていた。
今すぐお金が必要だ――それも、纏まった金が。
冒険者としてようやく六級に届いた矢先のことである。彼女の元に一つの報せが届いた。彼女の出身である孤児院の経営が行き詰っているのだという。
元々孤児院は慢性的な経営難であった。
一部の貴族や商人からの善意の施しで運営していた孤児院である。それでも貧しいながらも慎ましやかなにやっていけたのが、ついに限界になってしまった。
運営資金を誰かに頼るということは、自身の運命を預けることに等しい。
その誰かが倒れたら、自分たちも共倒れになってしまう。
まず、最も大口の出資者である商人が破産した。
クロエに商売のことはわからないが、何か大きな取引に失敗したのだと聞いている。
商人は財産を清算し、店を畳んだ。行商人から身一つでやり直すと本人は張り切っているそうだが、孤児院側としては寝耳に水の話である。
どうすればいいかと孤児院の院長が悩んでいたところ、翌日、もう一つの大口出資者である貴族が代替わりした。病で伏せっていた当主の代理だった嫡男がそのまま跡を継ぐことになったのである。
嫡男――新当主は挨拶にやってきた孤児院の院長に告げた。
貴族だって裕福であるとは限らない。その家の内実は割とボロボロ家計は火の車で、彼は立て直しに必死になっている。
父は貴族の外面の為に周りに金をばら撒いていて、孤児院への寄付もその一環だった。
だがこうして財政改革に乗り出したからには、今までと同じ額の援助はできない、と。
貴族にとって民への施しは美徳ではあるが、義務ではない。
僅かでも寄付があるだけまだましと思うしかない。
今までの数分の一になった援助額に、院長は、成人して孤児院を出た卒院生たちに連絡を取った。
これこれこういう事情なので、どうか君たちの弟と妹を助けてくれ、と。
別にあった借金の証文が、とあるやりての商人が買い上げたのだ。
寄付金の中から少しづつ返していたもので、債権者もこちらのことをわかってくれていたから今まではなんとかなっていた。
だが、新しい債権者となった商人は借金の一括返済を迫ってきた。
その額、ざっと三百万ルド。
それを近日中に耳を揃えて返さねばならないのだ。でなければ、孤児院は土地建物を奪われ離散するしかなくなってしまう。
勿論孤児たちも、居場所を失ってまた路上生活に逆戻りだ。
年長の者たちはまだいい。懇意にしている職人や商人に弟子入りするのが少しばかり早まるだけだ。
しかしまだ幼い年少組十数人の行き場がどうしても無くなってしまう。
ヘタすれば借金奴隷として連れていかれることすらあり得る。
だが、困ったことにクロエもまた、丁度お金の無い時期だった。六級冒険者になれた祝いで武器や防具を新調したところである。
五級以上、つまり上級冒険者の装備は殆どが完全一品物が常識だ。つまり、それまで使っていた数打ち品に比べて遥かに質が良く、価格は文字通り桁が違ってくる。
今のクロエにとって少しばかり早いかもしれないが――まぁ、将来への自己投資だ、と割り切った矢先のことだった。
お金がない。
とにかくお金がない。
手持ちのお金はなけなしも良いところ。
これを全て孤児院に渡したところでまるで足りていない。
自他ともに認める足りない頭で無い知恵絞って出した結論。
クロエはこの時。
後に友人知人が軒並み揃って最低最悪と評価する選択肢――即ちギャンブルを選んだのだった。
そして今、素寒貧を通り越して自身もまた借金をこさえてしまって、真っ白になったクロエ・イクスズがここにいた。
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「ヤバイ……なんとか、なんとかお金を工面しないと」
一晩中カジノで粘って、増やすどころか借金を背負ってしまったクロエはふらつく頭で考えた。
最初は勝っていたのだ。
手堅く賭けて、チップを増やすことができた。
それを上手く賭けては更に多くのチップを得ることができた。
そして次勝てば必要な額に届くというところで、欲がでてしまった。
少しばかり多めに賭けて次も勝てれば、自分も多少儲けることができるよな、と。
そこで負けた。
だがその時はまだ焦っていなかった。
まだまだ手持ちのチップは沢山あるし、そもそもギャンブルなのだ。時には負けることもある。次に取り返せば良いのだ、と。
またしばらく勝った負けたを続けて、ちょっと大きく賭けた時に運良く勝って、その次の勝負で大きく負けて、
勝って負けて勝って負けて勝って負けて負けて、
少し勝って大きく負けて負けて大きく勝って、
負けて負けて負けて、大きく負けた。
気が付いた時にはあれだけあったチップの山が無くなっている。
どころか、負けを取り返す為カジノ側に借りた借金が出来ていた。
今、首にはカジノに入る前までは無かった首輪をしている。
逃亡防止のための首輪だ。仕込まれた魔術機構で、クロエの居場所はカジノの支配人に筒抜けになっている。
当然破壊するわけにもいかない。
そんなことをすれば借金を踏み倒したとみなされ、訴えられて犯罪者の仲間入りだ。
カジノの追手どころか、賞金稼ぎから狙われてしまうことになる。
そんなクロエが、無事にカジノを離れることが出来たのも支配人の気まぐれに過ぎないのだろう。
冒険者であるクロエは必死になって訴えた。
職業柄、どれだけ確率が低くとも一攫千金は夢では無くて現実に起こりえる。
なんとかして見せるから、二週間の猶予をくれ、と。
カジノの支配人であり、やり手の商人であるエウレコという男は微笑みながらもそれを受け入れた。
本来であればクロエの装備も借金の質に取り上げられるところを、商売道具だからと見逃してくれた。
今日から十日以内に二百万ルドを用意することが出来なければ、彼女は借金奴隷となってしまう。
そして更にそれ以上のお金を工面できねば実家である孤児院は潰れてしまう。
その額、合計でざっと五百万ルド。
ノーストの一般家庭なら平均年収の約二倍と言ったところか。
どうしようどうしようと思いながら辿り着いた冒険者ギルドノースト支部。
その一階に併設されている酒場では、見慣れぬ男女二人を中心に宴会が開かれているところだった。
何か良い事でもあったのだろうか。
ゲラゲラわーわー騒いでいる歓声が癪に障る。
「……チッ」
思わず舌打ちしてしまう。
どこのお大尽か知らないが、こっちに金が無い時に限って金持ちが派手に金をばら撒いてやがる。羨ましい事この上ない。
完全なやっかみだ、自覚はしてる。
クロエの借金も孤児院の経営難も、あそこで騒いでいる奴等は何も関係ない。
彼らのことを睨んだところで一銭の得にもならない。
むしろこんな時でなければ、自分もあっちに混ざってワーワー言ってる類なのだから。
何か大口の依頼をこなしたのだろうか。どうせだったら自分もそこに混ざりたかった。
そうすれば分け前が貰える。借金が少し返せる。
でも今はそれどころじゃ無い。
それよりも彼女は、依頼掲示板に真っ直ぐ向かって行って、目当てのモノを探した。
だが、
「あれ? 無い?」
どこにも、その依頼――いや、手配書は無かった。
懸賞金二百万の、何とかという盗賊の手配書が無い。
確かに昨日まではあったはずだ。
クロエは慌ててギルドの受付へと向かって、職員に半ば食って掛かるように尋ねた。
「なぁ! あの、最近ここらで暴れて回ってた盗賊の手配書は!? 昨日まであったはずの……」
「ああ、アレだったら丁度今朝、討伐が確認されたということで……クロエさん? クロエさん!?」
クロエは目の前が真っ暗になって、その場にへにゃりとへたり込んだ。
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どうしよう、どうしよう。
とにかく金を工面しなければならない。
手にした鉄棍を見る。
魔法銀と硬黒鉄の合金で作り上げた特注品。
二百万ルド支払っただけあって、手に入れて僅か一週間も経っていないのに恐ろしく手に馴染む。
この鉄棍を買う前だったら良かったのに。
初めて手にした時の喜びと感動が薄れてしまうようで嫌なのに、そんなことを考えてしまう。
コイツを武器屋に返せば幾らかはお金も戻ってくる。
だが二百万満額ということはないだろう。
それでは借金奴隷を回避できないし、武器を失えば不足分を補うための狩りも出来なくなってしまう。
誰かに借りるか?
クロエは猿人種だ。獣人族は純人族より身体能力に優れている上、彼女は生まれつき【肉体強化】を持っていた。
その分孤児院の誰よりも力が強かったので冒険者としての活動も早くから始めていた。十七歳にして七年目、熟練ともいえないが、もう新人でもない。
ランクが低いのは身体の成長を待っていたからで、この歳にしてはノーストの街の冒険者たちに顔が効く。
彼らに頭を下げて回れば、もしかしたら五百万ルドをかき集めることができるかも知れない。
運の悪いことに、今ギルドの依頼掲示板には割の良い依頼が無かった。
報酬が良いものもあるのだが、長期の護衛任務などで時間が間に合わない。冒険者の依頼は、一部を前払いにすることがあれど基本は後払い、成功報酬が原則だ。
あるいは級外依頼に手を出すか。
ギルドに掲示される依頼は、例外は有れど自分のランクによって受けることができる範囲が決まっている。高ランク冒険者に低ランク依頼を荒らされたり、低ランク冒険者の無謀な挑戦を禁じるためだ。
だが級外依頼であれば、だれでもどんな依頼でも受けることができる。
ただしギルドがその依頼内容の精査が出来ず危険度があやふやだったり、依頼人の身元や支払いを保証できなかったりで、つまり、色々と『ヤバい』依頼が紛れていることも少なくない。
気づけば犯罪の片棒を担いでいる事すらあり得る。
ある種の薬草採取依頼がやけに高額だと思っていたら、ご禁制薬物の材料として使われて、級外依頼を受けた冒険者も罰則を受けたという事例も実際に起きたことだった。
冒険者ギルドは完全ノータッチ。
仲介手数料は取らない。代わりにその内容に対し責任も取らない。
何があっても冒険者たちの自己責任。
それが級外依頼だ。
だが級外依頼は、だからこそと言うべきか、依頼票に踊る報酬金の額は高額であることが多い。
全てが本当にヤバいとは限らず、書かれている内容に偽りが無くて、時には報酬に色が付けられることも――まれにある。
つまり賭け。
昨晩ギャンブルで手痛い失敗をした身としては選びたくない選択肢だ。
椅子に座りこんでぶつぶつ考えている彼女の前を、人影が過った。
思わず顔を上げると、その男の方と一瞬目が合った。
さっきの騒いでいたお大尽。
犬人種の若い女の子を連れている。
彼はこちらに興味なさそうに、犬人種の娘を連れて資料室の方へと向かって行った。
その背を見て思い出す。
そう言えばこの二人が、例の盗賊をとっちめたのだと誰かがでかい声で笑ってた。
その瞬間、脳裏に閃いたのは――半月ほど前、路地裏で出会った怪しい女の姿だった。
目深にフードを下して顔を隠したそいつ……声からして女が、路地を歩いていたクロエに声を掛けてきた。
『貴女、面白い卦が出ていますわ』
『……なんスか突然』
『フフ、旅の占い師……みたいなものかしら』
『あたし、あんま占いとか信じねーんだけどさ』
『まぁ、いいからお聞きなさいな。タダで視てあげるんだから――』
そして彼女は、こうクロエに囁いたのだ。
『困った時の初対面……この言葉、覚えておいて損は無いかもよ。じゃあ突然悪かったわね』
『はぁ……?』
そして踵を返して、女性は行ってしまった。
クロエも細かい事は気にしない性質なので、小首を傾げて歩き出して、数分後にはそのことを忘れてしまっていた。
今の今まで。
「……困った時の初対面、かい」
今の、初対面の二人組。
今朝討伐報告がなされたっていうことは、いま盗賊団の報酬を持ってるってことだ。
二百万ルド。
それだけあれば、取り合えずクロエは自由の身だ。
そして知り合い総当たりで頭を下げて回ろう。
残りの半額でもかき集めることができれば、孤児院の借金返済期間を延ばして貰えるかも知れない。
クロエは彼らが入って行った資料室のドアを、スッと細めた目で睨み付けた。
先ずは彼らについて、最低限のことだけでも調べなくては。




