2-3 ノーストの街でアニエスが〇〇する話
†
アニエスの故郷のインデドウ村を出て街道を歩くこと二日目の夕方。
西日に照らされる、白い城門が見えてきた。
「アキラ様、あれがノーストの街です」
アニエスの言葉に俺は頷く。
俺の持つ感知系スキルには、旅の目的であるバグの位置が分かるという効果がある。それによると、最寄りのバグはこの街の更に北にあるようだ。
創造神が一柱であるテン・テルによると、おそらくバグとは戦いになると思われる。
曲りなりにもこの世界を創った神様の言うことだ。心してかからないといけない。そのためにもバグか、それらしい情報を得ることができるのであれば良いのだけれど。
そんなことを考えているうちに、俺たちは入市税に銀貨を一枚支払い、ノーストの街へと入った。
当たり前だが、街はインデドウ村と違って多くの人々が行きかっている。
特に夕方ということもあってか、食事処や酒場が賑やかだ。本日最後のかき入れ時とばかりに露店商たちが声を張り上げ、客を呼び込んでいる。
人々は食べ、笑い、怒鳴り、時に歌って時に殴りあって、喧噪が辺りに響きあっている。
歩いている人々の格好も様々だ。
俺たちの様に旅装だったり武器を持っていたり。小洒落た服を着こなす伊達男がいて、子どもを連れる主婦っぽいのがいて、街灯に寄り掛かりながら煙管に紫煙を燻らす薄着の女性が居て、民族衣装みたいなのを着ている老婆がいる。
ぱっと見で純粋な人――プラクトアースでは純人族というらしい――がいて、アニエスの様な犬耳だったり猫耳だったりを持つ獣人がいて、耳の尖ったエルフが居て、筋肉質で矮躯のドワーフが居て、肌の色も白かったり黒かったり青だったり一部毛皮だったり鱗だったり。
元の地球で、人種の坩堝という言葉があったな。
多くの人種とその文化が混じりあっている、ということを指す言葉。まさにそれが、ここにある――と、そんなことを思いながら俺はアニエスが促すままに雑踏の中を歩いて行った。
†
さて、宿である。
ある時突然異世界にやって来てからこっち、ざっと五日ほど経っているのだが、実はその間全て野営であった。
スキル【適応力】のお陰で野営で硬い地面に寝転がろうが平気だし【肉体強化】も最高レベルなので肉体的に辛いということは無いのだが、さすがに街にいる時くらいはちゃんと屋根と布団のある所で寝たい。
アニエスは父親と共に農作物を売ったり税を納めるために何度かノーストの街に来たことがあるという。その時いつも使っている宿へとやってきたのだが、
「…………」
そのアニエスに、ジト目で睨まれていた。なんなら分かりやすく頬っぺたまで膨らませている。
宿は食事処を兼ねていて、俺たちはそれぞれの部屋に荷物を置いて、食堂へと降りてきた。喧噪の中空いたテーブルに座って、まずは食事と飲み物を注文。
道中は保存食と狩った魔物の肉だったので、ちゃんとした料理に舌鼓を打つ。異世界初の料理ってのを差し置いてもここの料理はかなり上手な部類だと思う。
そして異世界の料理とお酒を楽しんでいたところ、酔ってきたアニエスの顔が赤くなりつつあり、今に至る――と。
原因は、俺と彼女がそれぞれ持つ部屋のカギである。
「アキラ様。わたしは、アキラ様に忠誠を誓っております」
「そうだな」
「身も心も奉げたいと思っております」
「…………」
そりゃ初耳だ。いやマジで。躊躇いなく脱いだあたり、そんな気はしてたけどさ。
アニエスは手にしたジョッキをテーブルに叩きつけた。
「なのになぜ、部屋が別々なのですか……!?」
悲壮感たっぷりに言うんじゃねぇよ当然だろうが。
「これでは夜のお世話ができないじゃないですか!!」
「食堂のど真ん中でなに叫んでんのお前!? いくらなんでも酔いすぎだ!!」
「ハジメテが外だなんて流石にあんまりだと思って街に来るまでずっと待ってたのに!! これだったら道中で襲っとけばよかった!!」
「ホントにお前なに叫んでんの!? 正気に戻れよ!?」
途端に周囲の喧騒が止み、次の瞬間笑い声と口笛と怒声が浴びせられる。
「おい若いの、羨ましいじゃねぇか!」「はぁ何ほざいてんだ俺と代われ!」「いよっ、お二人さんお熱いねぇ!」「ニィチャン、何だったら俺が行ってやろうか!?」「氏ね! 美少女に好かれるとかマジで氏ね!」「ねぇダーリン、私たちも今夜……ね?」「どいつもこいつも滅んでしまえ!!」
くそ、外野どもがマジ鬱陶しい!
あと俺の尻狙ってる奴がいるぞ!?
辺りを見回せば、それらしいのと目が合った。いい笑顔で頷かれた。俺は見なかったことにした。
「アキラ様! 聞いてますか!?」
「嫌だ聞きたくない!」
「そんなこと言わず!」
「おやまったく、若いってのは羨ましいねえ……はいお待ちどう!」
衆人環視でそんな恥ずかしいやり取りをしていると、宿の女将さんが追加の料理を運んで来てくれた。何枚もの厚切り肉が香ばしく焼かれていて、立ち上る香りに食欲がそそられる。
そこに、一気に中身を飲み干したジョッキを女将さんに突き付けてアニエスが叫ぶ。
「女将さんお替りを! あと追加でアキラ様の部屋の鍵をお願いします!!」
「なに注文してんのお前!?」
「あらあら。ちょっと待ってなさいね? あんたー、マスターキーひとつー!」
「受けてんじゃねーよ!」
遠く厨房の方から宿の親父さんの声が返ってくる。
「あいよ、マスターキー一丁!!」
「だから受けてんじゃねーよ!! なにさらっと宿の最重要アイテム持ちだそうとしてんだ!? それ持ってきちゃダメな奴だから!!」
だんっ!
と激しい音がしてそちらを見れば、顔を真っ赤にして立ち上がったアニエスがフォークを肉に突き立てて、がぶりと喰いちぎるところだった。
「アキラ様、マスターキーは駄目ですか!? 注文したら駄目ですか!?」
「ダメ! 絶対!」
なんかの標語みたいだな。
「じゃあ女将さん!! ぐびっぐびっぐびっ ぷっはぁ!! 細い針金を三本ほど所望します!!」
「こじ開ける気か!? っていうか開けれるの!?」
「わたしの忠誠の前に、ドアのロックなど無力なのです! 死んだ母さん、わたしにピッキングの仕方を教えてくれてありがとう……!!」
「なに余計なこと仕込んでんでやがんだお前の母親はーッ!?」
ていうか椅子の上に立つんじゃありません!
背もたれは足を乗っけるところじゃないんですよ!?
「イザという時の……ぐびっぐびっ……ぷはぁ! 備えです! 母さんは言いました。『女子の本懐は何を乗り越えてでも遂げねばならぬ』と!」
「女子の本懐漢らし過ぎない!?」
そして新たなジョッキを手に取ると、アニエスはそれを一気に飲み干し、天に掲げてみせる。周りの奴らはやいのやいのの大喝采。
やめろ、煽るな! これ以上こいつに酒を飲ませるな!!
「聞け、女たちよ! 悩める乙女たちよ! 我らは激怒している! 世の男たちの、なんと鈍感なことか! 見当はずれのタイミングで迫って来たかと思えば、我らの願う時には紳士ぶって手を伸ばしてこようとせぬ! それは一体どういうことかと問い詰めたい!! 小一時間問い詰めたい!! そう、我らはこの唐変木どもに我らは鉄槌を下さねばならぬのだ我らは!! 空気を読めと!!」
「「「「空気嫁!!」」」」
大合唱とそこかしこから女たちの手によって突き上げられる無数のジョッキ。
どん引きしている男たち。
「その先駆けとして、今夜わたしは……わたしは、アキラ様のものに……ッ!! 見守ってくれ、同志たちよ!! アォオオオオーン!! 吶喊―――ッ!!!」
遠吠えすんな!
言うが早いか、誰かに渡されたジョッキを一気に煽って天を仰ぐように飲み干したアニエスは、その体勢のままゆっくりと仰向けに傾いて。
椅子の上からどてーんと派手にひっくり返る。
「え、えぇ……?」
突然のことに呆然とした沈黙が周囲に満ちる。
女将さんが近づいてアニエスの顔を覗き込み、頬を叩き、そして俺を見て一言。
「この娘、酔い潰れて寝ちまったよ」
爆笑渦巻く中俺は眉間に皺を寄せながら自分のジョッキを煽ると、硬く心に誓った。
二度とアニエスと酒は飲まない。絶対にだ。
†
翌朝。
俺とアニエスは宿を出て、冒険者ギルドへと向かっていた。
今までの道中で倒した魔物たちは殆どそのまま【無限収納】に入れてある。
魔物たちの毛皮や牙なんかは素材として高値で売れることがあるので、その買取をしてもらうためだ。
商人ギルドに持ち込むのも手だが、宿の女将さん曰く、
「商人は上前跳ねるのも仕事の一つ。口八丁で安く買い叩かれるかも知れないから、冒険者ギルドにしときな」
と言われたのだ。
適正価格で買い取るのも商売なら、そこから更なる利益を引き出すのも商売。己の商才に自信があるなら冒険者ギルドよりも高値も期待できるが、交渉に失敗すればとんでもなく安くなるかもしれない。
商人目指すとかコネを作るとか何か目的があるならともかく、別にそうでないなら冒険者ギルド安定だな。バグについての情報もあるかも知れない――という訳で、俺たちは冒険者ギルドを目指して雑踏を掻き分け歩いているのだが、
「うう……頭が痛いです……」
アニエスが二日酔いだった。
自業自得という言葉の意味と成り立ちを酷く実感できるな。
俺?
元々酒に弱い訳でないし、量飲んでないし。
その気になったらいくらでもアルコール分解できるスキル創ればいいし、それにどうも、【肉体強化Lv5】のお陰でアルコール分解速度も以前より上がってるようなのだ。
アニエスがアレだったのは、もうアニエス自身の体質に由来するのだとしか言いようが無い。雰囲気にのまれていたってのもあるだろうが。
「ところでアキラ様……。どうしてさきほど、宿に泊まっていた人たち……わたしたちに良くしてくれたのでしょう……?」
食堂で朝飯を食べていたら、俺は他の宿泊客たちから肩を叩かれたり、意味深に頷かれたり。
青い顔しているアニエスには女性客から胃に優しいジュースだったり、二日酔いに効く薬草だったりを渡されたりしたのだ。
宿の女将さんからは「昨夜はお楽しみでしたね」なんてこそっと言われた。
楽しんでねーよ。泥酔した女の子をお楽しみってどんだけ俺は鬼畜と思われてんだ。ウス異本じゃねぇんだぞ!
……アニエスを部屋に運ぶ時、背中にもにゅっと当たって非常にアレがアレでしたけどね!?
「さぁな。俺は何も知らない。ああ、ここだな」
「……? あ、アキラ様、待ってください!」
どうもアニエスは昨晩の醜態を覚えていないようだった。
俺も何も覚えていない。覚えていないったら覚えていないし何もしてないったらナニもしていないのだ。それは確定的に明らかである。
訝しむアニエスを無視して、俺は冒険者ギルドの建物の中に入って行った。




