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マルスの林檎

作者: オビロン

 むかし、西洋のあるところ、美しい自然に恵まれたたいへん立派なお城がありました。それはそれは大きく、壮大なお城なのですが、悲しいかなその美しさ伝えるにはちょっと私では言葉に言い表すことができません。お城の前にはお城をまるごと写しだしてしまえるような、大きな湖がありました。そのお城と大きな湖の間に、可愛らしい、けれども広くて優雅な庭園があります。庭園は綺麗に刈り取られたバラの生け垣に四角く囲われて、庭園の中は半円に切り取られた生け垣が不思議な幾何学模様を描いています。これ以上詳細な描写はちょっと私の手にあまりますので、あとは皆さんのご想像のお力をお借りして、各々で綺麗な庭園を思い描いてくれればよろしい。

 その庭園を手入れしているのは庭師の青年でした。青年は名前をマルスといいますが、立派な名前に似合わない、なよなよした見かけをしておりました。マルスのお父さんはマルスと同じ庭師で、お爺さんも同じように庭師でした。ようするに先祖代々庭師の家系です。マルスは小さいころは立派な騎士になりたいと思っていましたが、なし崩し的に庭師になってしまいました。でもマルスは、自分の手入れするお城の庭園に誇りをもって、毎日仕事をしていました。稼ぎも少なく、仕事は大変でしたがそのような穏やかな人生を幸せに過ごしていました。

 ところでマルスには秘密がありました。それはお城のローズ姫に密かに抱いている恋心です。ローズ姫は王様の一人娘で、その美しさと言ったら歩けば草生い茂り花が咲く、微笑めば飛ぶ鳥も見惚れて落ちてしまうほどです。マルスは大人ですので、そのような恋が叶うなど分不相応な気持ちはもっておりませんでしたが、恋心というのはそういう頭で考えたことでなくせるものではありません。夜な夜なローズ姫のことを思っては、右手を使って自らの悲しみを慰めていました。

 あるとき、マルスは偶然ローズ姫に声をかけられました。それは5月のとくに日差しの強い日のことでした。午後になったのでマルスはお昼を食べることにしました。普段は庭園の外の使用人の小さな小屋で食べるのですが、心地の良い陽気と、柔らかくて少しひんやりした風が気持がよかったので林檎の木の木陰に座って休憩をしていると、何だかうつらうつらとして、ついついマルスは眠ってしまいました。こんなところで寝るなんて恐れ多いと思いながらも、昼食のあとの睡眠というのは沼地のようなもので、頑張ろう頑張ろうと思えば思うほど、眠くなってしまうものです。マルスはそれを知っていましたので無駄な抵抗をするのを最初から諦めてちょっとだけ眠ってしまうことにしました。それからちょっとして、ふと目の前に人がいるような気配に気がついて、マルスはしょぼしょぼする瞼を持ち上げました。目を開けてマルスはひどく動揺しました。日傘をさしてマルスを見下ろすのはローズ姫ではありませんか。マルスはひどく焦りました。なぜなら心の狭い偉い人というものはいつの時代も自分より下の人が仕事の時間に眠るのをたいへん怒ります。だから、私達は仕事中は自分より偉い人に見つからないように眠らないといけないのです。それは今私達が生きている時代でも同じです。

 ところが、ローズ姫は偉い身分の人ではありましたが、どうやら心の狭い人ではありませんでした。というのも、ローズ姫は眠りこけていたマルスを見て、怒るのではなくて、くすくすと笑っていました。

 「木の下で働き小人が休んでいるのね。でも小人にしては大きすぎるみたい」

 マルスはそう言って微笑むローズ姫に、自分でも気づかないくらい見惚れてしまいました。こんなにすぐ近くでローズ姫を見るのは初めてのことでした。風に揺られて柔らかそうにふわふわ揺れる綺麗な金色の髪、空のように青くて澄んだ瞳、長くて黒いまつげが雪のように白くて滑らかな肌につくる影、そしてバラの蕾のような唇、それらのなんと美しいことか!

 マルスがあまりに熱心に自分をみつめ、その顔が面白かったのか、ローズ姫はそれを見てまたくすくすと笑いました。マルスは恥ずかしくなって、顔を赤くしました。それから、一言二言、ええ、とか、いやあ、とか言葉にならないような返事をしました。けれど、マルスのそんな様子をお姫様は気にしていないようでした。

 マルスは所在なさげに視線を彷徨わせました。すると地面に仄かに薄桃がかった白い花びらが落ちているのを見つけました。それはリンゴの花でした。マルスはわけもなくそれを拾い上げて手でいじりました。

 「あら、可愛らしい」

 ローズ姫はマルスが手で弄ぶリンゴの花を見とめると、マルスにそう尋ねました。マルスは花弁をそっと姫の前に差し出しました。

 「こいつは林檎の花です」

 「林檎の花ですか? 」

ローズ姫はマルスの手から林檎の花を、白く、華奢な指でつまみ上げ、小さな手のひらに乗せて興味深そうにそれを眺めました。それから、眩しそうに目を細め、林檎の木を見上げました。白い花弁が太陽に照らされて、力強く輝いています。

 「林檎の花とは、綺麗なものですね」

 今まで気づかなかったという風に、ローズ姫はそう呟きました。

 「薔薇が立派なので、林檎の花は目立ちません。でも季節になると綺麗な花を咲かせます。私には薔薇の木よりこいつが可愛いんです」

 「あら、お父様がお怒りになられるでしょうね」

 ローズ姫はからかうようにそう言って、口に手を当て優雅に笑いました。マルスは顔を赤くしました。この城の主のマルメロ王が薔薇の花をとても愛していることを思い出したから、これは不味いことを言ったと思いました。ローズ姫はそんなマルスの様子を気に留めず、また林檎の木を見上げ、言いました。

 「でも、私も林檎の花のほうが綺麗に見えますの」


それからしばしば、マルスはローズ姫と会いました。休憩時間になるとローズ姫が庭園にやってきました。ローズ姫はマルスに王室内の様々な愚痴や、お稽古事などで自分の時間がとれない不満をもらしました。マルスは実のところ、その話には興味がありませんでしたが、ローズ姫と一緒にいられるだけで幸せでした。ローズ姫が笑うように、マルスは自分の知ってる色々な馬鹿話をしました。自分の話でローズ姫が笑うと、マルスは心のなかが綺麗な花で満たされるような幸福感で、胸が苦しくなるほどでした。マルスはどんどん自分の恋心が強くなっていくのを感じました。

 マルスは日頃、ローズ姫は自分のことをどう思っているのか、そればかり気にするようになりました。しかし、もしローズ姫が自分のことを好きだとして、身分が違う二人が結ばれることはありえない、その考えからマルスは姫様に自分の思いを伝えることができませんでした。マルスはただ、今のようにローズ姫と、これからもずっと会ったり、話したりするだけで自分には充分だと思うことにしました。ところが、マルスのこの望みは脆くも崩れ去りました。

 それはマルスがいつものように庭仕事をしているときのことでした。庭園の外側から生け垣を整えていると、庭園から話し声が聞こえました。それはこの城の主であるマルメロ王の声でした。マルスは生け垣の隙間から覗いてみることにしました。

 「姫には困ったものだ。年頃だというのに社交界にも出たがらず、近頃はお稽古事にも身が入らない様子だ。代わりに何をしているかといえば植物や虫を採取して書物を読むばかりなのだ」

 王様が、低くよく通る美しい声でそう言って、ため息をつきました。

 「それもこれもあの庭師の男のせいに違いありません」

 神経質そうな調子でそう言ったのは、お妃様でした。マルスは突然自分のことが会話にあがって動揺を禁じえませんでした。

 「庭師の男が? あの男が何だというのだね」

 「姫はあの男と近頃よくお会いになり、何かとあればあの男の話ばかりをしております。まさか男女の関係があるとは思いませんが――」

 「はっ! そんなことはありえん」

 「ええ、もちろんです。しかし、万が一ということもあります。婚前の娘に変な虫がついたと噂されるのなら、その前に、虫を潰さなくてはなりません」

 「ふうむ」

 マルメロ王は立派に蓄えられた口ひげを手で弄びながら、眉間にしわを寄せて、考えこみました。マルスは嫌な予感がしました。自分のいないところで自分のことについて眉間を寄せて人が考えこむ場合、たいていそれは碌な結果にならないことを知っていました。

 「よし、姫は結婚させよう。隣の国のアロニア第二王子を婿入りさせたいと以前から打診があったのだ。最近になってアロニア第二王子を見たが、なかなかハンサムで礼儀の正しいいい男だ」

 「私もそれが良いと思います。それで、庭師の男はどうします?」

 「その男は殺してしまおう」

 ほら、碌な話じゃない! マルスは心の中で絶叫しました。マルスの頭のなかはごちゃごちゃに混乱しました。姫が結婚! 隣の国のアロニア第二王子と? 姫が自分のことばかり話すとは! まさか好きなのでは、いやまさか、いいやそうに違いない。そんなことより、殺すって言わなかった? いやいやまさか、聞き間違いではなかろうか。可哀想にマルスは真っ青になって、その場にへたり込みました。仕事用の鋏だけを握りしめたまま、ほとんど這うような形で仕事小屋に帰り、頭を抱えてベッドに突っ伏しました。

 その晩、マルスは目を覚ますと驚くくらい冷静な頭で自分の置かれた状況を理解することができました。そうするとどうもこの世には救いはないのだと感じ、マルスはいっそこんな人生ならば穏やかに自分で終わらせようと思いました。

 マルスは小屋から出て、城の前の湖まで歩きました。満月がマルスを見下ろしていました。ちょうど湖面には月が映しだされていました。殺されるくらいなら、この美しい湖で溺死したほうがマシだと思い、まさにマルスが飛び込む寸前のことでした。月が映しだされたあたりの湖面が沸騰するようにぽこぽこ泡立つと、そこから美しい乙女が現れたではありませんか! マルスはびっくり仰天してしまい、あわや糞尿を漏らすところでした。乙女はマルスに微笑みかけると水面をスケートするように美しく滑ってマルスのもとへやってきました。

 「マルスよ、死んではいけません。私はあなたがまだふわふわの小さいころから知っています。あなたのお父さんも、お爺さんも、そのお爺さんも知っています。ようするに先祖代々一族郎党みな知っています。そのよしみで言うのです。死んではなりません」

 マルスはびっくりして口を開けたまま、何度もコクコクとうなずきました。

 「よろしい。これをあげます」

 そういうと乙女は屈みこんで足元の水面をすくい取りました。するとそれは透明な布のようになりました。触ってみるとひんやりとしました。

 「それを被って念じてください。するとあなたはあなたが思った通りのものになれます。でも、一つだけ、もしもあなたが愛する人に愛を確かめたならば、あなたは林檎になってしまいます」

 ええ、なんじゃそりゃあ、とマルスは思いましたが、怖かったので何も言えず、恐る恐る乙女から布を受け取ってまたコクコクとうなずきました。

 「よろしい。さらばです! 」

 乙女はそう言うと、突如轟音が鳴り響き、巨大な水柱が立つと、忽然と姿を消しました。

 「何だったんだ……」

 ひんやりする布を握りしめながら、マルスは呆然と呟きました。


 マルスは早速小屋に帰ると念じながら布を被りました。ひんやりとした生地が顔や肩に掛かって気持ちがいい。マルスが想像するのは立派な格好の美男子でした。身長を今より高く、体格もがっしりさせよう。あそこもでっかくしておこう。みるみるうちにマルスは誰もが認める美男子に変身してしまいました。マルスは思いついて今度は王様を想像して布を被りました。すると見事に立派な口ひげを蓄えたマルメロ王に変身しました。

 マルスはマルメロ王の姿に変身したまま、お城に歩いて行きました。お城の門の前には守衛がいました。守衛は驚きました。中で寝ているはずの王様がこちらへ歩いてくるのですから!

 「王様! いかがされたのですか! 」

 「苦しゅうない。月が綺麗なので外を散歩しておったのだ」

 マルスは動揺しないように自分に言い聞かせながらそう言いました。

 「そうですか。本当に美しい月です。しかし、次からは私に言っていただければ幸いです」

 「うむ」

 こうしてマルスはまんまと城に入ることができました。

 それからマルスは城に入ると、きょろきょろと周りを伺いました。幸い、姫の部屋がどこにあるかは以前からの入念な調査で知っていました。現代では犯罪にあたりますが、この時代はそれを取り締まる法律もありません。マルスが探しているのは金目のものでした。ていよく姫と城を抜けだしたとして、その後生活するだけの財産が欲しいと考えたのです。これはマルスが欲に眩んだわけではありませんでした。マルスは本当に姫と一緒にいられることだけを考えていたのです。

 マルスがきょろきょろしていると、ちょうど寝間着姿の老人が目をこすりながら廊下を歩いていました。マルスはそれが執事長であるとわかりました。名前も知っています。

 「おい、スーベニア」

 マルスは恐る恐る執事の男に声をかけました。執事の男は守衛と同じようにびっくり仰天しました。寝ていると思った王様が何故か寝間着ではなく普段着を着ているのですから。

 「王様! どうされたのですか! 」

 「苦しゅうない。月が綺麗なので散歩をしておったのだ」

 「そうですか。しかしなぜ普段着を? 」

 「なに、もし湖で水の精にでもあったら寝間着であったら失礼であろう」

 スーベニアはこれはいかにも風流な考え方をする王様らしいと思い、納得しました。

 「なるほど。確かに美しい月です。私も月の力なのか、今夜は妙に尿が近くて困ります」

 「尿の話はいい。それより、お前、金品財宝が確認したい。案内せよ」

 スーベニアはこの命令をおかしく思いましたが、王様が財宝を確認したがることはしばしばありましたので、納得しました。

 「こちらです」

 こうしてマルスはまんまと金品財宝を得ることができました。

 最後に、マルスはとうとう姫の部屋に向かいました。以前外から見た姫の部屋の位置を思い出して簡単にたどり着くことができました。

 マルスはドアをノックしました。

 「……誰でしょう、こんな遅くに」

 「私です。姫」

 マルスは変身を解いて、自分の声でそう言いました。

 「マルス! 何だってこんなところに!」

 ドアを開けると姫がびっくりした様子でマルスを迎えました。マルスは驚く姫の口を指で制し、それから言いました。

 「つまりこういうことなんです。姫、あなたは隣国のアロニア第二王子と結婚することになります」

 姫は、細い眉を寄せるとその言葉に頷きました。

 「姫、私と逃げませんか。この水の精のマントがあれば、何にでも化けることができます。これがあれば私と何処までも逃げることができるんです」

 「素晴らしいわマルス! 私、結婚なんてしたくないと思ってた。あなたと逃げます」

 姫は興奮した様子でマルスに同意しました。

 こうしてマルスは姫とともに城を去りました。明け方になって、姫も財宝もなくなったことに気づいたお城の人々は大騒ぎです。

 マルスは、姫を連れてどこか遠い国に行こうと思いました。マルスの頭のなかは、姫とこれから過ごしていく鮮やかな未来への期待で一杯になりました。マルスは姫が自分のことをどう思っているのか、それが知りたくてたまらなくなりました。マルスは姫に尋ねました。

 「姫、私は姫を愛しています。姫は私のことをどうお思いでしょう」

 「えっ! 別に愛してはいません。私は外に出て、色々な植物の勉強をしたいのです。そのきっかけになったのはマルス、あなたです。心から感謝します。でも別に愛してはいません」

 二度愛していないと言われ、マルスは大いに傷つきました。するとマルスの身体からもくもくと煙がたちました。突然、マルスは姿を消し、煙の後には大きな赤い実が落ちていました。

 あわれマルスは林檎になってしまったのです! 可哀想なマルス。そんなことを確かめなければ、林檎になることもなかったのに。けれど、人というのは愛を確かめずにはいられないのでした。

 姫はその様子を見て驚きましたが、林檎を拾い上げると袖で磨き、それからガブっと齧りながら歩き出し、言いました。

 「さあて、これからどこへ行こうかしら」

 

 その種から育った林檎はたいそう甘くて美味しいものになったそうです。

三題噺

お題 月 林檎 穏やかな人生 

ジャンル 王道ファンタジー


穏やかな人生ってなんだ……?


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