act3 秘められた一夜
彼女との初めての出会いの場は、大学だった。
それなのに彼女は今でも“あの夜”だと思っている。
あの夜はあの夜で、俺は彼女に秘密があるのに……
二回生の秋、講義が終わった俺は何となく家に直帰する気にならなくて、最近通い始めたバー“N・R・N”の扉を開けた。
「いらっしゃい」
オーナーであるナオトさん(後に宇佐美琉依の兄である事が判明)が笑顔で迎えてくれる。この店は落ち着いた雰囲気が良く、ナオトさんも感じのいい人だ。
「何にする?」
「いつものといきたいけど、今日は変えてみようか……」
バンッ!!
勢いよく扉が開いた音に振り返ると、走ってきたのか荒い息遣いでその場で立ち尽くしていた彼女の姿があった。意外な場所での彼女との再会で、思わず俺は固まってしまった。
「なっちゃん!? どうしたの」
「な、ナオトォー!!」
ナオトさんと知り合いなのか、彼女は周りの事など気にせずに叫びながらカウンターまで駆け寄って来た。ナオトさんは慌てて彼女の方へ行くと、泣き崩れる彼女を支えて椅子に座らせた。
「ひ……っく、え……っくぅ」
彼女は大粒の涙を流しながら、ナオトさんに事の説明をしていた。どうやら彼女は、今日あの時の彼氏に振られてしまったらしい。それもちゃんとした理由を言う事無く、一方的に告げるとそのまま去って行ったとか。
彼氏の顔は彼女と違って、すっかり忘れてしまっていてどんな人物だったかと彼女の話を聞きながら俺は考えていた。
他の客にも聞こえる位の大声で次々と説明している彼女に対してナオトさんは、黙って頷きながら彼女が空にしていくグラスに酒を注ぎ足していった。
「あれ? 琉依は?」
少し落ち着いたのか、彼女は辺りを見渡しながらナオトさんに尋ねた。
「琉依なら今日は来ないって言ってたよ。気分が悪いんだってさ」
ナオトさんの答えに表情を暗くする彼女の視線が、隣に座っていた俺と合ってしまった。何かを察して引きつる表情の俺に笑顔を見せる彼女。ヤバイかも……。
案の定、彼女はナオトさんに話した事と同じ事を話し始めた。もちろん彼女は以前出会った事など覚えている訳ではない。ただ、たまたま近くにいた人間に愚痴を言いたかっただけだ。だいぶ酔っているのか、たまに一人で笑い出したりもしていた。
あの時、国際学部まで案内してくれた時とは全く違う彼女に少々うんざりしかけた時だった。
「すっごく……好きなのになぁ」
さっきまでの号泣とは違って、静かに涙を流しながら彼女は呟いた。そのたった一言は、それまでの愚痴よりも彼女の気持ちがもの凄く伝わる。
「賢一、もう戻れないの?」
そう呟いた彼女は酒に酔ったのか、それとも泣き疲れたのかずっと俯いたままだった。
「なっちゃん、後で送ってあげるからあっちで休もう?」
ナオトさんが彼女の方に近付くと、俯いていた彼女は突然頭を上げて再び笑い出した。
「だ〜いじょうぶ! これから二次会に行くから〜」
そう言うと、彼女は俺の腕を掴むとそのまま出口に向かって歩き出した。
「えっ? ち、ちょっと」
「大丈夫! 代金は明日払いま〜す」
「いや、そうじゃなくて……」
ナオトさんの声も無視して、彼女はただ呆気に取られている俺をずるずると引っ張って行った。
しばらく歩いている内に彼女の歩く速度は徐々に落ちていき、挙句には電柱の傍で座り込んでしまい眠り始めた。
「なんて女なんだ……」
彼女の強引で身勝手な行動に呆れながらも、俺は彼女を背負って“N・R・N”へ戻ろうとした。
「ん……。おっ? 何してるんだ〜! さては襲う気だな」
「いや、そうじゃなくて」
背負われて気が付いた彼女は、何を勘違いしているのか俺の背で笑いながら暴れだした。
「襲うなら中途半端な襲い方じゃなくて、ちゃんと立派に襲え〜!!」
立派な襲い方って……。テンションが上がったのか、彼女は俺から離れると再び強引に引っ張り始めた。彼女とは対称的に疲れ果ててしまった俺は、ただ彼女のされるがままだった。
しばらく強引に引っ張る彼女に付いて行くと、やっと彼女の足が止まった。ホッと一息つき、目の前にある目的地を見上げると……
「く、クィーン……ホテル?」
せっかく落ち着いたのに、俺の動悸は再び激しくなってきた。彼女の方を見ると、笑顔で俺の腕を掴んできた。ラブホテルでは無いけれど、それでも勘違いされるような所には入りたくはない! 何があってもなくても、ここで彼女が正気を取り戻せばどうなるか。そう思うだけでも恐ろしくなる。
「やめよう! ナオトさんのお店に戻ろう」
だが酔った強さなのか結局俺は彼女に引っ張られるままであり、気が付くとホテルの部屋の中で立ち尽くしていた。そんな俺に対して、彼女はベッドに座ってくつろいでいた。
今すぐ帰りたいが、こんな状態の彼女を放ってはおけなかった。
「あれ〜緊張しているの? もしかして初めて?」
どうやって連れて帰ろうか悩んでいる俺を何と勘違いしているのか、彼女はこちらへ近付いて手を握ってきた。
「マジで帰ろう? なんか虚しいだけだよって、だぁっ!!」
人が真剣になっているのにお構いなく、彼女は俺のシャツを脱がし始めていた。
襲われる……
ふと、そんな感じがしてきた。
「やめろって!」
少々乱暴に彼女の手を振り解く。彼女はそんな俺を見て不満気な表情を見せると、そのままベッドへ戻っていった。そして……
「うわあぁぁぁっ!」
目の前で彼女は自分の服を脱ぎ始めた。俺が止めるのも聞かずに相変わらず笑いながら一枚また一枚と衣服を脱ぎ捨てていき、とうとう全て脱ぎ終わるとそのままベッドの中に潜り込んだ。
「こっちは準備完了で〜す」
無邪気な笑顔を見せながら、早く来るよう誘ってくる彼女を見て俺は頭の中で何かが吹っ切れた感じがした。
「もう、限界かも」
力尽きた俺は、そのまま彼女が待つベッドに潜り込んだ。
そして、翌朝の彼女の絶叫で目が覚めた。彼女がどうするのかと、とりあえず眠っているフリをする。
「落ち着け、夏海……」
何かを呟きながら、彼女は自分に起きている現実を必死で理解しようとしていた。そして、彼女はベッドから慌てて抜け出すと、着替えてそのまま走り去ってしまった。
「結局、俺が悪人になっているし」
起き上がって欠伸をしながら顔を洗いに行くと、床に落ちていた
「パンスト?」
慌てていたのか、忘れていったのだな。ふとその時、頭の中で意地悪な事を思いついた。そして、パンストをバッグに押し込むと顔を洗いに行った。
「また、国際学部棟まで行かないと……」
顔を洗ってシャツを拾い着替え終わると、そう呟きながら部屋を後にした。
私の作品を読んで頂きありがとうございます。ここから夏海が目を覚ますところに繋がる訳ですが、いくら酔っていたとはいえ最悪ですね……。尚弥が意地悪をしたくなるのも分かって頂けると幸いです。