狂気の聖女と冷徹な公爵令嬢の密約と断罪
「エリシア・ブランシェ、聖女を騙り、王国を欺き、混乱をもたらした罪により、貴様を追放する」
そう断罪を宣告した王太子ユリウスの頬に、涙が伝っていた。
「婚約も……破棄だ……」
力なく、ユリウスがかすれた声で言った。
王城前広場でのその公開断罪に集まった人々は、その姿に胸を打たれた。人々は、ユリウスが本当にエリシアを愛していたことを知っていた。
それなのにユリウスはその愛する人を断罪し、婚約破棄を宣告しなければならなかったのだ。
「皆様、ご安心ください。聖教会はすでに本物の聖女を見つけております」
ユリウスの右隣にいた大司教グレゴールが前に出て観衆に語りかけた。
「真の聖女セラフィナ・クロイツェンです。エリシア・ブランシェの妨害を受けるまでは、彼女が王都の平和を守っておりました。ここで初めて表舞台に出ていただけることを喜ばしく思います」
すると今度はユリウスの左隣にいたセラフィナが前に出る。
「ご紹介にあずかりました、聖女セラフィナと申します」
そう名乗ったかと思うと、手を掲げ、詠唱をする。
掲げた手のひらから、まばゆい光が四方に放たれ、観衆たちの目を眩ませた。
「これが本物の聖女の力です」
観衆がどよめき、やがて歓声が上がった。
「偽聖女のエリシアは、私の守護結界をあたかも自分のもののように喧伝しておりました。私の功績を盗んだ上に、今になって妨害し、王都の皆様を危険に晒していたのです」
歓声が怒号となり、エリシアを襲った。
その断罪の様子を、公爵令嬢クローデリア・レーヴェンハイトは冷ややかに眺めていた。
——エリシアの功績を盗んでいるのはあなたたちではないか。
※
聖女エリシアの断罪が行われる数ヶ月ほど前——
「クローデリア、あなた、命を狙われているわね」
エリシアがクローデリアを治療したことをきっかけに二人は友人になり、クローデリアは大聖堂の「聖女の間」に招かれるまでになっていた。その「聖女の間」で、二人きりで話をしているときに、エリシアがクローデリアにそう告げた。
「治療のときに何か見たの?」
クローデリアが尋ねると、エリシアは頷いた。
「単純な『治癒』では治らなかったから、『診断』で原因を診たの」
「原因って……何の病気か診ただけでしょう?」
「聖女の『診断』は病気の因果まで見えるのよ。あなたは呪いをかけられていて、だから『浄化』でないと治療できなかったんだけれど、その呪いは人為的にかけられたものだったわ」
「私を呪った人がいるってこと?」
「そうよ。嫉妬みたいね」
「嫉妬……? 嫉妬で人を殺すの?」
「どんな感情であれ、増幅すれば人を殺す因果になりうるんじゃないかしら。特に貴族様ともなればいろんな利害関係もあるのでしょうし」
クローデリアは第二王子レオンハルトの婚約者という立場だった。他の貴族令嬢がその立場を嫉妬しているということは十分ありえた。
「それじゃあ……」
「私も狙われるかもしれないわね」
エリシアがぽつりと呟いた。
エリシアは、第一王太子ユリウスと婚約しているのだ。
その上、聖女として人々からもてはやされているエリシアはより大きな嫉妬の対象となりうるだろう。
相手が貴族であれば、エリシアが「平民」出身であることもあって、憎悪も加えられるかもしれない。
「王都って本当に恐ろしい場所ね。心から大嫌い」
そう言うエリシアの顔は聖女らしからぬ憎悪に歪み、悪魔みたいだ、とクローデリアは思った。
※
エリシアの人生は苛烈だった。
辺境の村で誕生したエリシアは幼い頃に両親を亡くし、村の教会で孤児として育った。15歳になった頃、教会で高い光属性魔力を見出されると、それが王都の聖教会に伝えられて、大司教グレゴールが聖女とすべく王都に連れてきたのだった。
「辺境の暮らしは貧しくて辛かったけれど、王都に来てからはもっと辛かった。私が『辺境』から来た『平民』の孤児というだけで、嫌がらせやいじめをしてくるのよ。町を歩けば大人には「汚い」「臭い」と言われ、子どもたちには石や卵を投げつけられたわ。貴族の目に入ったときには邪魔だと従者に蹴り飛ばされるの。聖教会でも、私だけ粗末な食事を与えられるし……」
クローデリアに王都でのことを話すエリシアの表情は暗かった。
「聖教会での生活は本当にひどかったわ……。光属性魔法の修行は過酷で、大司教や他の神官たちに毎日厳しい指導を受けたわ。うまく治癒ができなかったり、光が弱かったりすると、暴力を振るわれるの。だんだんそれがよりひどい内容になってきて彼らは許されないような穢らわしいこともしてきた。『聖女なら、あらゆる痛みを知らないといけない』なんて正当化するのよ」
エリシアは話しながら涙ぐんだ。
「私、聖女なのに穢されているのよ……」
クローデリアには、エリシアの経験してきた苦痛や苦悩が想像もできなかった。
「ユリウス殿下はご存知なの?」
エリシアは首を横に振った。
「こんなこと言えるわけがないわ」
ユリウスもまた、聖女エリシアに「治癒」を施され、死の淵から助けられた経緯があった。
王太子ながら、ユリウスは武勇に優れ、戦地でも先頭になって敵軍に突進していくような猛将だった。
怪我の絶えないユリウスではあったが、ついに戦地で重傷を負い、命も危ぶまれたところをエリシアの「治癒」によって助けられたのだ。
それからユリウスはお礼をしたいとエリシアを王城の晩餐に招いたことから親交が始まった。
ユリウスは素朴で純粋な性格のエリシアに、エリシアは身分も気にせず、おおらかなユリウスに次第に惹かれていった。
そうして二人が婚約するのに長い時間は要さなかった。
「ユリウス殿下は、私のことをただ一人、ちゃんと人として見て、愛してくれるの。絶対にこの愛だけは失いたくない」
そう言うエリシアの目にどこか狂気の色が見えた。
「そこまで人をまっすぐに愛せるってすばらしいことね」
クローデリアはそれが本心からうらやましいと思った。
「クローデリアにもレオンハルト殿下がいらっしゃるじゃない」
「私はお父様と王家の政治的な意図で結婚させられるだけよ」
「じゃあ、本当は他に愛している方がいるの?」
「え?」
その質問にクローデリアは意表をつかれ、すぐに答えることができなかった。
「すぐに否定しないってことはいらっしゃるのね……。それでもレオンハルト殿下と結婚されるの? 私には理解できないわ」
「仕方ないわ。貴族の令嬢として生まれた以上、私個人の感情より優先しなければならないことはたくさんあるのよ」
「そう……貴族には貴族の悩みがあるのね。私にとって、ユリウス殿下はかけがえのない方だけれど、クローデリア、あなたも私のただ一人の女友達で、私にとっては大事な人なの。幸せになってほしいわ」
「ありがとう、エリシア。私たち二人とも結婚したら義理の姉妹になるのね。エリシアは将来は王妃様」
「私は王妃になんて何の興味もないわ。ただ、ユリウス殿下と一緒にいたいだけ。できれば王族も貴族も聖教会もいないところで生きていきたい」
「クローデリア、あなた、王妃になりたいと思わない?」
※
一通りの光属性魔法を覚えたエリシアは、聖教会から聖女の誕生として大々的に発表され、人々の治癒を始めた。すぐにその治癒能力の高さは評判になり、大聖堂の施療院には連日大行列ができた。
そこに王太子ユリウスの治癒や公爵令嬢クローデリアの治癒の成功が伝わり、聖女の名声は決定的なものになった。
しかし、聖女の治癒は身分によって優先順が決められ、法外な治療費も請求されるため、治療を受けられない者も多いのが実情でもあった。
「辺境から来た平民の夫婦が、重病の子どもを連れてきたことがあったわ。でも施療院の受付の神官が断ってしまったの。どうせ治療費が払えないだろうって。その夫婦は借金してでも払うって言ったんだけど……。私はすぐにでも治癒したかったけれど、できなかった。聖教会がどうしようもなく怖くて逆らえないのよ。聖女なのに本当に困っている人を助けられないなんて情けないわよね」
エリシアは悲しそうな目をした。
「その夫婦はまた来たわ。子どもは、明らかに虫の息で、いつ亡くなってもおかしくないくらい衰弱していたわ。それでも夫婦は、親戚や友達、怪しい商会とかもあたって何とか治療費を工面してきたっていうの。今度は神官はそのお金を受け取ったわ。私はやっとその子に『治癒』を施すことができる、間に合ってよかった、と思ったわ。でもその神官が言った言葉は想像もしないものだった。『今日は貴族の方の治療で聖女様は忙しいからまた明日来い』って帰してしまったの。あのときの夫婦の絶望した顔は忘れられないわ」
クローデリアも「なんてこと……」と思わず声を漏らしていた。
「それでね、また翌日、夫婦は来たわ。腕に息もせずにぐったりした子どもを抱えてね。それなのに、受付の神官は、一度受け付けた金は返せないっていうのよ。
それで奥さんがね、『聖女は悪魔だ。恨んで死んでやる』ってそう言ったの。その言葉も私は決して忘れることはないと思う。あれからずっと私の胸に刺さり続けているわ」
「でも悪いのは聖教会じゃないの」
「いえ、私が聖教会を恐れずその子に手を伸ばしていれば助けられたのに、私はそれをしなかったわ」
「それができなくしたのも、聖教会があなたにひどい仕打ちをしたからじゃない……」
「それでも私は自分が許せなかったわ。だからせめて少しでも——身分も何も関係なく、人々の助けになればと思って始めたのが『守護結界』なの」
守護結界——大聖堂広間に描かれた魔法陣を中心に、王都全域を覆う結界で、魔物や外敵を防ぎ、結界内の人々の病や傷も和らげる。聖女の莫大な魔力によって成立する強力な結界だった。
これにより、王都は平和と繁栄を謳歌するようになり、聖女と聖教会の名声は極まったと言える。
「『守護結界』で王都の傷病者はいなくなったわ。これで辺境から来た患者でも聖教会は受け入れるだろうと思ったの。でも聖教会は変わらず、お金儲けと差別をやめようとしなかった。辺境の平民は相変わらず、相手にもされないまま。
それどころか、守護結界を理由に王都の人々に『信仰税』を要求するようになって、拒否する人は『異端者』と言って聖教会騎士に処刑させるようにまでなって……」
「私も『異端者』として処刑されている人を見たことがあるわ。恐ろしかった……。『守護結界』に守られているのに、怯えて生きないといけないなんて、何か王都が狂ってきているみたい」
そこでエリシアは一つため息をついた。
「もう私は聖教会と王都を見限ろうと思っているわ。でもユリウス殿下とは一緒にいたいの。それで、クローデリア、私、考えたんだけど……」
そうして、エリシアはクローデリアにある計画を持ちかけた。
※
「あなた本当に聖女なのかしら? こんな傷も治せないの?」
クローデリアが大聖堂にやってくると、施療院が騒がしくなっていた。
一人の女性が大声でエリシアを非難していた。クローデリアには見覚えのある女性——侯爵令嬢のセラフィナ・クロイツェンだった。
幼少の頃から公爵令嬢だったクローデリアをライバル視して、たびたび嫌がらせを受けることもあった。そのセラフィナが、今は友人のエリシアに詰め寄っていた。
「こんな小さなかすり傷よ」
セラフィナは右腕を掲げて周囲に見せた。よく見ると、爪でひっかいたような薄い傷からうっすらと血が浮かび上がっていた。
クローデリアは治癒されず亡くなった平民の子どものことを思い出した。そんな軽傷の貴族を優先して、重病の平民を見殺しにしたのか……
「そんな傷はなかったです……」
「は? 何を言い訳しているの? 治療の失敗を認められないの? やはりあなた、嘘つきなのね。
だいたいあなた、辺境の平民出身なんですって? どおりで何か品がなくて不潔な感じがすると思ったわ。あなたみたいな貧乏くさい辺境から来た平民のあなたと、高貴な貴族の私と、どちらが信頼に値するかは明らかよね?
治癒ができるっていうのも嘘、守護結界なんていうのもデタラメ、だってあなたは聖女でも何でもないんですもの——ただの小汚い平民の娘。
聖教会もなぜこんな小汚い娘に騙されたのかしら」
施療院の周りには、患者だけでなく、騒ぎを聞きつけた人々が多く集まっていた。
まくし立てるセラフィナを、エリシアは涙ぐんだ目で睨みつけていた。
「あら、怖いわね。野良の魔物みたい。でも私あんたみたいなのには屈しないわよ」
そう言ってセラフィナは詠唱を始め、自らの腕の傷に手をかざした。
詠唱が終わると、手のひらが眩く光り、瞬く間に傷が癒やされた。
観衆がどよめいた。
「本物の『治癒』はこうやるのよ」
セラフィナは得意気に言った。
「私のほうが聖女によっぽど相応しいわ」
クローデリアはセラフィナが「嫉妬」の犯人だと確信した。多少なりとも魔法を扱えるので、クローデリアに呪いの魔法をかけて殺害しようとし、今はエリシアを貶めようとしているのだ。——この後、クローデリアはエリシアからも証言を得た。「診断」でセラフィナの顔を見たと。
この日を境に、エリシアは治癒を失敗することが多くなった。
それに加え、王都に異変が起きるようになった。守護結界に守られているはずの王都で、魔物の侵入を許すようになったのだった。
セラフィナの言動で自信を失い、聖女エリシアは魔力まで損なってしまったかのようだった。
※
婚約者のレオンハルトとの昼食会を終え、クローデリアは帰路の馬車に揺られていた。
すると、王城を出てすぐの大通りで人々が騒々しくする音が聞こえた。いつもの大通りの様子と何かが違っていた。
クローデリアが馬車の窓から外を覗くと、何かから逃げ惑う人々が見えた。その先に、毛むくじゃらで大柄な人影があった。——魔物だ、と直感した。
「カイ!」
クローデリアは思わずその名を呼んだ。
馬車の護衛についていた騎士カイが長剣を抜き、馬を駆って、魔物に向かっていった。
魔物もカイを認識し、素早く走り寄ってきた。魔物が接近し、その鋭い爪を振り上げた刹那——魔物の首が胴体を離れ、地面に落ちた。
カイの長剣が魔物の首を斬り落としたのだ。
カイは剣を鞘に収め、馬車のもとに戻ってきた。
「クローデリア様、大丈夫です。魔物は討伐しました。人狼ですね。王都のこんな場所で見るのは初めてです……。王都に何が起きているのでしょうか……」
「ありがとう、カイ。そうね、王都はとても危険な場所になってしまったわ」
馬車がレーヴェンハイト公爵家屋敷に到着した。
クローデリアは持ち場に去ろうとするカイを呼び止めた。
「カイ、ちょっといいかしら」
「何か?」
「少し話をしたいの。護衛の騎士としてだけでなく、幼馴染みとしても」
レーヴェンハイト家騎士団に所属する騎士カイ・グレイヴは、レーヴェンハイト公爵家の分家に当たるグレイヴ男爵家の次男だった。
レーヴェンハイト公爵家はグレイヴ男爵家との結びつきが強く、カイは幼い頃から公爵家に出入りすることがたびたびあった。クローデリアとは歳が近いこともあり、一緒に遊び、学んで育ったのだった。
青年となり、武芸に非凡なところのあったカイは自身の希望もあり、公爵家の騎士団に入り、仲の良かったクローデリアの護衛を買って出ることも多かった。
「この部屋に入るのは久しぶりかしら。どうぞ座って」
カイはクローデリアの私室に招かれていた。公爵家では顔のよく知られたカイだったので、誰もそれを不審に思わなかった。
カイは勧められた客用のソファに座った。
それを確認すると、クローデリアは少し躊躇ってからカイの横に座り、話を始めた。
「聖教会が権勢を振るって、王政府も統制が取れない状況で、王都が混乱し始めて、これから王都がどうなるかわからないわ」
「はい。でもクローデリア様のことは俺が守りますから、安心してください」
クローデリアはそう言うカイに、寂しそうに微笑んだ。
「カイ、私が王家に、いえ、レオンハルト殿下に嫁ぐ身よ……。あなたは公爵家の騎士団の騎士でしょう? あなた、そのことについてどう思う?」
カイは何を問われているのか判然としない様子だった。
「どうと言われましても……。レーヴェンハイト公爵家が王家とつながり、公爵家にとってとても喜ばしいことではないでしょうか?」
「そうではなくて……」
クローデリアの意図がわからず、カイは戸惑ったような表情をした。
「これからどうなるかわからないから、後悔しないように言っておくわ」
クローデリアは意を決したようにカイをまっすぐ見つめた。
「カイ、私、あなたのことが好きよ」
カイはクローデリアのほうに向き直り、目を見開いた。
「それはどういう……」
「あなたを男性として愛していると言っているの。レオンハルト殿下よりも誰よりも。子どもの頃からずっと」
「何を仰られているのですか。王家に嫁がれるというのに……」
「わかっているわ。私はあなたへの愛を諦めて、公爵家のために嫁ぐの。いえ、それだけじゃないわ。王家に嫁いで、少しでも王国をよくするために努めるの」
「では、なぜ俺にそんなことを……」
「わからないわ。でもどうしても嫁ぐ前に言っておきたかったの。私自身の覚悟のためにも。あなたに応えてほしいわけでもないわ。……ごめんなさい。私の自己満足に付き合わせてしまったわね」
「いえ……ご認識のとおり、俺はあなたの隣に立てるような男ではないです」
噛み殺すようにカイが言った。
そして今度はカイがまっすぐクローデリアを見た。
「クローデリア様と俺では身分が違いすぎます。とても畏れ多いことです。それに、俺はあなたみたいに学問を修めることもできず、剣を扱うことしかできない男です。
……でも勘はいいほうなんです。クローデリア様、あなたは何かとても大事なことに挑もうとされていますね? 俺はそれを全力で応援します。あなたを害そうとするものがあればあなたを全力でお守りします。たとえあなたが公爵家を離れようとも。それがあなたの護衛騎士の努めですから」
クローデリアはまた寂しそうにカイに微笑んだ。
「ありがとう、カイ。……本当に身分や爵位なんてものがなければもっと単純でよかったのにね」
「仕方ないです。これがこの王国なのですから」
カイもまた寂しそうに微笑んだ。クローデリアには、彼もまた立場のために気持ちを隠して生きているのだとわかっていた。
——それが「高貴な」貴族なのだ。
※
「なぜ守護結界が弱まっているのだ!」
クローデリアが聖教会を訪れると、大司教グレゴールの怒号が大聖堂内に響いていた。
「私は一生懸命やっています」
その視線の先にはうなだれたエリシアがいた。
「ではなぜできないのだ! 『治癒』も満足にできていないではないか」
グレゴールは焦っていた。明らかに守護結界は機能していなかった。いや、それどころか守護結界が張られる以前よりも悪化している、とすら言えるだろう。
「また『お仕置き』が必要なのか!? 甘やかしてたら調子に乗りおって。王太子に骨抜きにされたか?」
「大司教様」
クローデリアが割り込み、声をかけた。
気づいたグレゴールは、無理に表情を和らげようとしたのか顔がこわばった。
「ああ、クローデリア様。クローデリア様からもご友人として聖女に言ってくださいませんか? ご存知かわかりませんが、このところ、守護結界の効力が弱まっているのです。聖女が怠惰になっているせいで……」
王都にいる者であれば、誰でも気づいている、と心の中でクローデリアは皮肉づいた。
「いえ、その必要はないですわ」
「は? ですが、このままでは王都が大変なことに……」
クローデリアはグレゴールの言葉を遮った。
「役に立たないなら追放してしまえばよろしいのでは?」
その言葉に、エリシアが顔を上げ、信じられないというようにクローデリアを見た。
グレゴールも驚いた顔でクローデリアを見た。
「しかし……」
「聖女がいなくなったら、聖教会の立場が危うくなると心配されているのですか?」
「……いえ、守護結界が機能しなくなることで王都の平和が脅かされることを危惧しているのです」
「代わりの聖女がいればよいのではなくて?」
「代わりですか? お心あたりがあるのですか?」
「侯爵令嬢のセラフィナですわ。ご存知かしら。先日、施療院でエリシアに代わって見事な『治癒』を見せていましたわ。ご本人も『聖女』となることをお望みのようでした」
「なるほど。セラフィナ様ですか……」
グレゴールの表情が少し明るくなった。
「追放するのであれば、ユリウス殿下との婚約も破棄したほうがよいですわ。王家との関係についてもご心配なく。第二王子の婚約者の私が、ユリウス殿下にお話しして、新しい聖女との婚約をまとめて差し上げますわ」
「そんな……」
エリシアの表情が悲しげに歪んだ。
対照的に、グレゴールの表情は晴れ切っていた。
「それはありがたい。それであれば聖教会としても何の問題もありませんな」
「『偽』聖女のエリシアは、公衆の面前で、大々的に断罪すべきだわ。合わせて新聖女のお披露目をすれば、王都の民も安心して、また聖教会への信頼を厚くするはずです」
クローデリアの提案に、グレゴールは大きく頷き、残忍な笑みを浮かべた。
「クローデリア、どういうつもりなの? 私たち友達だったんじゃないの?」
そう泣きつくエリシアに、クローデリアは冷ややかな視線を送った。
「ごめんなさい、エリシア。私もしょせん貴族なのよ。自分の地位を守らないといけないの」
エリシアは親友に裏切られ、絶望に打ちひしがれたように項垂れた。
「さようなら、エリシア。もうあなたと以前のように話をすることもないでしょうね」
平然と言い放ったクローデリアだったが、どこか寂しげでもあった。
そうしてエリシアは断罪され、王都の表舞台から姿を消したのだった。
※
大司教グレゴールらの思惑に反して、新聖女セラフィナ就任後も王都の混乱は収まらなかった。
それどころか、状況はより悪化していった。
聖女セラフィナや聖教会の神官たちが総出で守護結界の魔法陣に魔力を注いだが、守護結界は依然として機能せず、以前よりも強力な魔物まで王都を襲うようになっていた。
王国騎士団や有力な貴族たちの持つ騎士団が魔物討伐の対応に追われ、死傷者の数も急速に増えていった。その一方で、弱い一般市民を一方的に殺傷することしかなかった聖教会騎士団は、まともに魔物の相手をすることができず、ただ逃げ惑い、市民を盾にし、より死傷者を増やすことにしか貢献しなかった。
大聖堂の施療院には、魔物との戦闘で傷ついた騎士たちだけではなく、身分を問わず王都の市民の怪我人で溢れかえっていた。
新聖女セラフィナが治療にあたっていたが、レベルの低い「治癒」しか扱えなかったため、すり傷の見た目をきれいにできる程度だった。
その上、セラフィナは魔力自体が乏しく、すぐに枯渇し、継続的に「治癒」を行うこともできなかった。
セラフィナの魔法は、眩く光を放つが、治すのは見た目だけで、傷口は開いたままで、痛みも消えなかった。
負傷者たちは決して癒されることなく、ただ累々と増えていくだけだった。
「どうなっているんだ! セラフィナ様、あなたは聖女なのですぞ。しっかり治癒をしていただかないと。守護結界への魔力供給もしてください。休憩などしている暇はないのですぞ!」
今日も大司教グレゴールの怒号が大聖堂に響き渡っていた。
「こんなの聞いていないわよ! そんなの他の神官がやりなさいよ。私は侯爵令嬢で聖女なのよ。そもそも働く必要なんてないの。ただちやほやされたいだけ!
大司教なんて一滴も魔力がないじゃない。偉そうにしないでいただけるかしら」
グレゴールの顔が真っ赤に変色し、小刻みに震えていた。
「潮時ですわね」
クローデリアが言った。
「何か仰いましたか? クローデリア様、そもそもあなたがこのセラフィナ様を聖女にと推薦されたのではないですか。どう責任を取っていただくのですか?」
グレゴールの怒りの矛先がクローデリアに向いた。
「あら、ご自分で決めておいて責任は人に取れと仰るのね。うまくいっているときはご自分の手柄にされるのに。都合のよい方ですこと。でも、さすがに目に余りますわね。そろそろすべての悪行の責任をご自身で取られるべきでしょう」
「……どういうことですか?」
グレゴールの顔の赤みが引いていく。
「そうよ、大司教、あなたがすべての責任を取って何とかしなさいよ」
セラフィナがクローデリアに同調する。
「セラフィナ、あなたもよ。真の聖女への不敬罪と聖女を騙った重大な虚偽、そして私を殺害しようとしたことも見逃されると思わないことね」
セラフィナの顔もグレゴール同様に瞬時に青ざめた。
「は? 何を言っているの? 意味のわからないことを言わないで」
そのとき、大聖堂の扉が大きな音を立てて開いた。
そこには第二王子レオンハルトと王国騎士団が立っていた。
※
王城前広場に人だかりができていた。
つい先日まで断罪する側だったグレゴール、セラフィナ、そして王太子ユリウスまでもが断罪台に立たされる側となった。
「ここに立つ3名をそれぞれ国家反逆罪に問う」
逮捕劇の主役となったレオンハルトが口火を切った。
もう一人の主役であるクローデリアも尋問側に立った。
向かいには国王フリードリヒを始め、王政府の重鎮たちが断罪の行方を見守るべく席を占めた。
「まずはクロイツェン侯爵家の令嬢セラフィナ。この者は真の聖女を貶め、排除し、聖教会に入り込むことで、魔物を呼び込み、王都に多くの死傷者を積み重ねた」
レオンハルトが淡々と罪状を語っていく。
「は? 私がそんなことするわけないじゃない」
セラフィナはいまだ反抗する気力を失っていなかった。実際のところ、断罪に値するほどのことをしたとは思っていないようだった。
「施療院で聖女を侮辱する様子を目撃したという証言が取れている」
「あんなただの田舎娘を侮辱して、それが何の罪になるっていうのよ」
「辺境の平民だからと侮辱すること自体も褒められたことではないが、より大きな問題はその先だ。あなたは聖女の力を奪ったのだ。精神的に追い込んで、魔力をうまく制御できなくさせた上、決定的だったのが……」
レオンハルトが深く息を吸い込む。
「守護結界の魔法陣の書き換えだ。現在の魔法陣は禁忌とされる『誘魔結界』のものになっていることを宮廷魔術師が確認している。魔力痕も証拠として収集済みだ」
セラフィナが目を見開いてレオンハルトを見た。
「そんなの知らないわよ! やっぱり濡れ衣じゃないの」
「証拠も証言も揃っている。言い逃れはできん。それに罪状はまだあるのだ。私の婚約者クローデリアの殺害未遂だ」
そこでセラフィナの顔色が変わった。
「な、何を言っているの? そんなことするわけないじゃない。それこそ証拠なんて……」
そこに一人の宮廷魔術師が前に進み出た。手に藁でできた人形のようなものを持っていた。
セラフィナの顔がいよいよ蒼白になっていく。
「これが何かはわかるな? ずいぶんと古典的なわかりやすい呪具だな。まだ言い訳をするようであれば、魔力痕の鑑定をここでしてもいい」
「嘘でしょう? 屋敷に入ったの?」
「お父上も驚かれていた。降爵は免れんが、証言と引き換えに最低限の爵位だけは残すことを約束した。クロイツェン侯爵家……失礼……子爵家ももうあなたを庇うことはない」
「……嘘……嘘よ! そんなのありえない」
「クローデリアは公爵家の令嬢でもあり、王家の人間とも言える。聖女も王国の繁栄のために欠かせない存在であるにも関わらず、自らの分をわきまえず、偽りの聖女として王国に及ぼした害は大きい。これらの罪状は重大な反逆罪だ。よって『魔女』と認定し、貴族特権はすべて剥奪、辺境へと追放する」
「辺境? なんで高貴な私がそんなところに行けるわけないじゃない。行かないわよ!」
レオンハルトが合図すると、衛兵が2人断罪台に上がり、セラフィナの腕を取った。セラフィナは喚き続け、抵抗したが、そのまま連行されていった。
続けてレオンハルトはグレゴールに向かい合った。
グレゴールもレオンハルトを睨み返す。
「大司教グレゴール、ここであなたの数々の悪行を明るみにさせていただこう」
「私は聖教会の大司教ですぞ。王政府に裁かれる筋合いはない」
グレゴールは怯むことなく言ったが、レオンハルトは無視して続けた。
「偽りの聖女セラフィナと手を組み、『誘魔結界』で引き寄せた大量殺人。聖女エリシアの力を利用し、治癒で法外な金を要求した上、不当に治癒を拒否。信仰税との名で金品を強奪。支払いを拒否した者を『異端者』として殺害。そして……聖女への虐待」
観衆がどよめいた。
「いずれも信仰のためです」
「お認めになるのですね。否定したところで証拠は揃っておりますが」
グレゴールは鼻で笑う。
「王族や貴族も変わらないではないですか。平民を蔑み、重税を強いて、他者を利用し、無実の者を殺そうとする。セラフィナ様がまさにそのような方ではないですか」
「確かに王侯貴族も多く問題があるのは認めます。しかし我々は問題を正し、良くしていこうと努めています。私欲を優先する聖教会とは違う」
「人がそう簡単に良くなるはずがないではないですか。だから人は信仰に縋るのです。そして聖教会は力づくでも人々を導きます」
グレゴールが勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
「何を期待しているのか知りませんが、聖教会騎士団は来ませんぞ」
レオンハルトがそう言うと、グレゴールが怪訝な顔をする。
「大聖堂は我々の騎士団が占拠しております。聖教会騎士団も解体。弱い市民を殺すことしか能のない聖教会騎士は、王国騎士の相手にもなりませんでしたよ。まさかあれがあなたの頼みの綱だったのですか?」
グレゴールの顔に初めて焦りの色が見えた。
「馬鹿な……」
「グレゴールは聖女への信仰を貶めた『異端者』と認める。聖女の治癒や信仰税で蓄えた財産はすべて没収し、聖教会は解体とし、当然『大司教』の称号も廃止。
この者の畜生のような所業には、本来であれば極刑でも足りないところではあるが、その過ちを未来永劫語り継ぐよう、死ぬまで『異端者』として晒すこととする。他の聖教会の神官たちについても、大司教の企みに加担した者を精査し、裁くこととする」
グレゴールは力なくその場に崩れ落ちた。
グレゴールの断罪が終わると、レオンハルトはユリウスの前に立った。
「最後に我が兄、王太子ユリウス」
ユリウスはまっすぐにレオンハルトを見据えた。
「あなたも罪は免れません。グレゴールとセラフィナに唆され、聖女の追放を実行したのはあなただ」
罪状を告げられたユリウスが口を開く。
「言い訳をするつもりはない。甘んじて罰を受けよう」
レオンハルトはその言に頷いた。
「国王よりすでに沙汰は受けております。王太子ユリウスは廃嫡、そして王都からの追放を命じます」
「本来は極刑となるべきところ、温情を賜り、ありがとうございます」
ユリウスは狼狽えることもなく、毅然と宣告を受け入れた。そして国王に向かって一礼した。
「聖女を返せ!」
観衆の一人がそう叫んだのを契機に、人々が怒号や罵声を上げ始め、広場は騒然とした。
その観衆に向かってクローデリアが前に出た。
そして大きく息を吸い込み、声を上げた。
「聖女エリシアはもう戻りません!」
その一喝に観衆が静まり返った。
「聖女は王都の人々にはひどい扱いしか受けなかったと仰っていました。セラフィナが平民を見下したように、あなた方も辺境から来たあの聖女を蔑んでいたのではないですか? あなた方も聖女をないがしろにしたという点では同罪なのです。聖女がそんな王都を助けようなどと思うわけがないではありませんか」
観衆がまた騒然としかけたところにクローデリアは言葉を続ける。
「ですが、前を向きましょう。もう守護結界も治癒の奇跡もありません。代わりに、奇跡を利用して私たちに害をなす者もいなくなりました。
私たちは奇跡などなくとも、きっと困難に立ち向かっていけると信じています」
※
エリシアの計画はほぼ予定どおりに遂行された。
「あいつらは絶対に許さない。それに、もう私のような不幸な聖女も生み出したくない」
エリシアのその強い言葉は、クローデリアの耳にいつまでも残っていた。
「私はもう治癒もやめるわ。王都の貴族金持ちなんか治す価値もないもの。守護結界の魔法陣も書き換えるわ。魔物を誘引する結界に変えるの」
クローデリアは冷たいものが背に流れるのを感じた。
「そんなことをしたら、エリシア、王都が大変なことになってしまうわ。それにあなたもただじゃ済まないわ。王都の人々に恨まれて殺されてしまうかもしれない」
「大丈夫よ。聖教会がやったことにするわ。どうせ治癒もしなくなった私は追放されるでしょう。私も王都になんかもう留まりたいとも思わない。私がいなくなっても、守護結界を維持するために必死に神官たちが魔力を注ぐでしょうから、魔力痕も証拠として残るでしょう? 代わりの聖女でも出てきて魔力を流してくれたらより確実ね」
クローデリアはその言葉にまた驚かされた。
「でも……王都を出てしまえばユリウス殿下とも一緒にいられないわよ」
「大丈夫よ。ユリウス殿下も一緒に王都を出てもらうわ」
「そんなことできるわけないじゃない。ユリウス殿下は王太子——国王になる方なのよ」
「私はユリウス殿下を信じている。その立場を捨ててでも、私と一緒に来ていただけるはずよ」
「たとえ本人がそうしたいと思っても王家がそんなこと許さないわ」
「だからユリウス殿下にも私を追放する側に立ってもらうの」
「何を言っているの?」
「聖女を追放して、王都を危険に晒せば、ユリウス殿下だって王都を追放されるはずだわ。そうすれば、誰も私たちを知らないところで、二人で平穏に生きていけると思うの。それに、王都の外で、本当に困っている人を、私自身の意志で助けたい。
私はすべてをユリウス殿下に明かすわ。私が王都でどんな目にあって、どんな気持ちでこの計画を立てたのかも。あの方はきっとすべてを受け入れてくれるはずよ」
クローデリアはエリシアの計画を聞いても、ユリウスが王太子の地位を捨てるとは思っていなかった。いくら愛があったところで、王家の人間がそこまでするはずがないと。
しかし、ユリウスはエリシアの想いに応え、計画に乗った。その上、ユリウスはすべてを知ってなお、エリシアを愛していた。クローデリアにはそのことがとても信じられなかった。
クローデリアは、たとえ自分がカイと一緒になれるとわかっても、公爵令嬢、そして王子妃という地位を自分が捨てられると思わなかった。
すべてはエリシアに思い描いた通りに進んだ。
今頃、王都から追放された二人はどこかの辺境で落ち合っていることだろう。
しかしクローデリアにとっては計画外のことがあった——それはカイの死だった。
カイは魔物の餌食になろうとした市民をかばい、殺され、エリシアの計画の犠牲者となったのだった。
※
クローデリアは王太子となったレオンハルトとの結婚の儀に臨む日を迎えた。それは、クローデリアが次期王妃となることを約束する儀式でもあった。
カイの死後、クローデリアはカイの父のグレイヴ男爵からカイの手紙を受け取っていた。
「このような手紙を渡すべきか迷ったのですが……やはりあなたにお渡しするべきだと思いました。カイが亡くなる前に書いていたようです」
グレイヴ男爵は申し訳なさそうにその手紙を届けた。
結婚の儀を迎えるその日まで、クローデリアはずっとその手紙を開けないでいた。
しかし、今こそそれを読まなければならない、とクローデリアは思い、丁寧に畳まれたその手紙を開いた。
「クローデリア様
あなたはあなたの信じる道をお進みください。
あなたがどこにいようと、俺がどこにいようと、
あなたを守ります。
あなたへの想いを胸に秘めて。
カイ」
クローデリアの目から涙が溢れ、頬を伝った。
その頬を暖かい風が撫でた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
(この作品は内容の異なる連載版もありますので、よろしければそちらもお楽しみください)
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