黄金郷
なし
「......もしかして、南川?」
平野は座席に座っている彼に声をかけた。
顔を上げた瞬間、時間が一拍遅れて流れた。
「久しぶり。五年ぶり、だっけ」
カフェの窓際、湯気の立つカップの向こうで、彼は大学の頃と同じ曖昧な笑い方をしていた。
「変わってないね」
「それ、褒めてる?」
「一応」
椅子を引く音がして、距離が縮まる。
「連絡来たとき、正直びっくりした」
「元気そうで良かったよ」
「それで、話って何?」
平野は、メッセージで南川から「今すぐに来て欲しい」と今朝メッセージを貰いカフェに呼び出されていた。
「うん。平野も知っていると思うけど、須藤夫妻が行方不明になった」
須藤とは、南川と平野の大学時代の親友である。
その、須藤が妻と共に、1週間前から行方不明であり、2人とも他の友人から聞いていた。
「昨日、俺の置き配boxの中に鍵付きで入っていた」
南川は、それと同時にジップロックの中に入っている何かをカバンから机に出した。
ジップロックの中には青いノートと1枚のメモが入っており、ノートの表紙には「黄金郷」と黒マジック書いてあった。
「メモを読んでくれ」
南川はジップロックからメモのみを取り出し、平野に渡した。
平野は慎重にメモを取り出し、目を通した。
南川へ、お前が万年探していた黄金都市を見つけた。
場所は、山梨県〇〇市〜
△△の場所を〇〇の方向に.......須藤より。
メモには須藤から南川へ、黄金都市の場所と行き方が明確に書かれた物であった。
須藤曰く、山梨の樹海の中に「黄金都市」とやらがあるらしい。
「そのノートはなんなんだ...?」
「これは...日記なんだ」
「須藤と奥さんが、3日間黄金都市に居た記録らしい」
「読んでみてくれ。」
南川はジップロックからノートを取り出し、平野に渡した。
平野はノートを開いた。
1日目
樹海に入ったのは、午後十時だった。
「……ここ、静かすぎない?」
妻のアンがそう言った。
確かに、鳥の声も、風の音もない。
ただ、奥のほうから、低く響くような――金属を擦るような音が、時々聞こえる。
急に視界が開けた。
木々が円を描くように倒れ、その中心に、石畳の道が現れた。
石は、陽を受けて鈍く光っている。
金色……というより、古びた黄金。
「見つけた……」
思わず声が漏れた。
その先に、都市....いや....黄金の村があった。
腕時計を見ると24時を回っていた。
石畳の先で、人が立っていた。
一人だけだ。
年配の男だった。
六十前後だろうか。
登山用の上着に、擦り切れたリュック。
樹海で見かけても、何も不思議ではない格好をしている。
「こんな時間に、珍しいな」
声も、表情も、ごく普通だった。
「迷っただろう。
ここは、夜に入る場所じゃない」
男はそう言って、軽く手招きした。
他に人の気配はない。
都市は、相変わらず静まり返っている。
「一人……ですか?」
アンが恐る恐る尋ねる。
男は少し考えるように間を置き、それから、曖昧に笑った。
「今はね」
その答えが、妙に引っかかった。
男に導かれて、建物の中へ入った。
内装は、床も壁も天井も、すべてが黄金だった。
鈍く、重たい光を放ち、反射が視界を狂わせる。
この場所にいると、
男の擦り切れた上着や泥の付いた靴が、
まるで異物のように浮いて見える。
「腹は減ってないか」
「減っている、何か食べる物はあるのか?」
「これを食えばいいのさ、俺も先住民にそう教わった」
そう言って、黄金の冷蔵庫の扉を開ける。
軋む音はしない。
静かすぎるほど滑らかに、扉は開いた。
中には、棚も容器もなく、
ただ――金色の塊が置かれていた。
拳ほどの大きさ。
表面は滑らかで、微かに温かい。
「……金、だよな?」
「そうだ」
男は、それを皿の上に置いた。
「最初は、俺も冗談だと思った」
ナイフを取り出し、
ためらいもなく、金の塊に刃を入れる。
――抵抗がない。
音も立てず、金は、柔らかく切り分けられた。
断面から、淡い湯気が立つ。
「焼くと、腹に重い。このままが一番だ」
男は一切れを口に運ぶ。
噛む音はしない。溶けるように、消えた。
「……味は?」
アンが、声を絞り出す。
男は少し考え、首を傾げた。
「味なんて、気にしたことはないな。
食えば、足りる」
「たまに毛が混じっているぞ」
皿が、こちらへ押し出される。
黄金の塊は、照明を受けて静かに脈打っている。
「心配するな」
男は笑った。
「これで、三日は持つ」
「ここには、人の数ほど金がある」
その言葉が、
奇妙な重みを持って、胸に沈んだ。
俺たちは、黄金を食べてすぐに就寝をした。
二日目
昼頃、誰かに揺すられるようにして目を覚ました。
黄金の光が部屋を満たし、壁も床も天井も昨日より明るく輝いている。
体の感覚が、少しずつ違う。
手を握ると、指先が硬く、冷たい金属の感触を帯び始めているのが分かった。
「……起きてる?」
アンの声も、昨日より落ち着いている。
彼女の指先も、わずかに光を帯び、淡く金色に変わりつつあった。
俺は自分の手をじっと見つめる。
肌の柔らかさはなくなり、骨の感触が皮膚の表面まで伝わってくる。
体全体が、ゆっくりと黄金のような重みを帯びていく。
「……食べるしかないか」
俺はそう呟き、冷蔵庫から黄金の塊を取り出す。
ナイフを入れると、昨日同様、音もなく柔らかく切れ、断面からはほのかな蒸気が立った。
口に入れると、舌の上で溶け、体の奥にじわじわと重みが広がる。
血管や筋肉、骨まで、金属の感触が入り込む。
アンも無言でそれを食べ、変化が彼女の体に広がっていく。
昼が過ぎても、外の光は差し込まない。
時間の感覚も、昨日より曖昧になっていた。
体はさらに重く、関節の動きが鈍くなる。
指先から腕へ、腕から肩へ、そして全身へ――
金色の光が徐々に広がり、もはや元の自分がどこにあるのか分からなくなる。
夕方になると、床に横になっても、体の重さが消えない。
布団に沈む感覚は、黄金の重みと一体化していた。
アンも隣で静かに眠っている。
二人で同じ変化を感じながら、目を閉じた。
黄金の村は、静かに、変化を受け入れるかのように光り続ける。
どこにも男の姿は見えない。
だが、村全体の秩序や空気は、まるで誰かが見守っているかのように完璧で、逃げ場のない安心と恐怖を同時に与えていた。
目を閉じると、体の内側から、金属の感触がじんわりと広がり、
意識はゆっくり、眠りに溶けていった。
三日目
目を覚ますと、体は昨日よりもずっと重かった。
皮膚も指先も、鈍い光を帯び、触れるものすべてに硬さを感じる。
アンも同じように、わずかに黄金色に染まり始めていた。
辛うじて、ノートは書ける。
そして、書きながら思う。
体がこのまま硬くなれば、もう自由には動けなくなる。
それどころか――
誰かに、食べられるのだろう。
黄金の村は今日も静かだ。
木々も建物も、すべてが鈍く光を帯びている。
男の姿はどこにも見えない。
だが、村の秩序は完全で、まるで誰かが見守っているかのように全てを支配していた。
平野はノートを閉じた。
南川は、平野の手元から視線を外さずに言った。
「……で」
一拍、間を置く。
「どう思った?」
問いかけは、感想を求めるには短すぎた。
まるで答えの内容次第で、何かが決まってしまうような言い方だった。
平野は、ノートをテーブルに置き、ゆっくり息を吐く。
「正直に言うぞ」
「……須藤は、もう“帰るつもり”じゃなかった」
南川の眉が、わずかに動く。
「黄金都市が危険だとか、呪われてるとか、そういう話じゃない。
あれは――居場所だ」
平野は、言葉を選びながら続けた。
「彼は妻と共に無理心中をしたんだろう」
「黄金都市なんか、存在しない」
南川は、すぐには返事をしなかった。
カップに残ったコーヒーを一口飲み、わずかに眉をひそめる。
「……無理心中、か」
否定も肯定もしない声音だった。
「黄金都市なんか、存在しない」
平野は、はっきりと言い切った。
「樹海で追い詰められた須藤が、妄想を共有しただけだ。
極限状態で、二人で同じ幻覚を見て、同じ物語を信じた。
よくある話だろ」
南川は、視線をノートに落としたまま、低く笑った。
「よくある、ね」
「大学の頃からそうだった。須藤は“意味”を欲しがるやつだった。
理由のない死を選べない。
だから、黄金都市を作った」
平野は、ノートの表紙――「黄金郷」という黒い文字を指で叩く。
「金を食べて、金になる」
「そして、死に繋がる」
一瞬、南川の指が止まった。
二人は一目置いた。
「須藤の日記は、ここまでだ」
南川はそう言って、別の紙束をカバンから取り出した。
薄い封筒に入った、数枚の原稿用紙。
「……これは?」
「俺が書いた」
平野は、思わず南川を見る。
「エピローグだ」
エピローグ
二人は、須藤のメモに書かれていた場所へ向かった。
山梨の樹海。
観光地図にも載らない古い林道の先に、それはあった。
倒壊しかけた家屋が数軒。
屋根は抜け、壁は苔に覆われている。
人の気配はなく、風が木々を揺らす音だけが響いていた。
黄金都市は、なかった。
そこは、ただの廃村だった。
一番奥の家屋に入った瞬間、二人は立ち止まった。
床には、女性が倒れていた。
須藤の妻だった。
腹部に深い刺し傷があり、血はすでに乾いている。
視線を上げると、天井から縄が下がっていた。
その先に、須藤が首を吊っていた。
南川が、静かに携帯電話を取り出した。
「……警察、呼ぶぞ」
電波は届いていた。
平野は、何も言わず頷いた。
*
捜査の結果、事件は須藤による無理心中として処理された。
妻の不倫により、精神的に不安定な状態で樹海に入り、妻を刺殺し、その後自殺した――
そういう結論だった。
ノートに書かれていた「黄金都市」は、
現実逃避のために作られた妄想と判断された。
「これは…須藤が書いたのか?」平野が南川に問う
「いや、このエピローグは俺が書いた」
「この、ノートの著者として感想を教えてくれよ」 南川がそう答えた。
その言葉に、平野の指が止まった。
ノートの表紙に書かれた「黄金郷」という文字を、
もう一度、じっと見つめる。
「……著者、ね」
平野は小さく笑った。
それは、自嘲に近い笑いだった。
「よくできてるよ」
南川が眉を上げる。
「二人を殺し、俺の宅配boxにノートを入れたのは」
「お前なんだな?」南川が問う
「一応言うが、理由がない」平野は否定をする。
南川は笑いながら言った。
「動機は、エピローグに書いてあるだろ」
なし




