狼孩
今夜はハンバーグだった
ご主人さまの所へと廊下を急ぎながら、まだ僕の顔は笑っているし、口はもぐもぐして居る
美味しいものを食べた日は、いつも嬉しい
飼い主であるご主人さまと共有出来るからだ
ご主人さまの部屋に飛び込むと、直ぐに施錠する
慣れて居るから、この動作は数秒と掛けずに行う事が出来る
それが終わったら、今度は僕自身に『施錠』をしないといけない
部屋の壁から下がっている二つ鎖の先にはそれぞれ手枷が有って、そこに手首を後ろ手に固定して夜を待つのだ
もしかして、誰かが視たらぎょっとする眺めのかも知れないけど、この部屋には窓が無い
城の高層に在りながら地下の様に昏いこの部屋が、僕は好きだ
ご主人さまのイメージにとても合う
自分を後ろ手にする手順はなかなか難しいが、繰り返す内に慣れた
今すぐにでも着ているものを破り捨てられたかったが、以前我慢が出来ず自分でシャツを破いた夜は、ご主人さまはいつもの愛の在る暴力では無く、本当に殺すつもりの暴力をぶつけてきて怖かった
だから、近頃は僕は大人しくする事を心掛けて居る
大きな期待と共に、ご主人さまを待つ
待っている時、僕は蕩けた眼をして舌を出しながら待っているらしい
「舌は噛むから引っ込めろ」と何度も言われる
実は、最近はわざとやって居る事も多い
言われた通りに舌を引っ込めると、頭を撫でてくれるからだ
暫く待っていると、立ち並んだ本棚の並ぶ部屋の奥の方からご主人様の姿が視えた
「ご主人さま!」
ご主人さまは、僕とさほど変わらない歳の男の子の様な姿をして居る
実際には幾千年をこの城の中で生きたらしいけど、僕にはあまりピンと来ない話だった
僕が仔犬の様に鎖を鳴らしてご主人さまに近付こうとすると、気を喪いそうな激痛と共に僕の躰が「く」の字に折れ、そのまま僅かに持ち上がった
その時は理解が追い付かなかったが、鳩尾を蹴り上げられた様だった
足も少し浮かんで居たらしく、痛みで床に着地出来なかった僕の靴底が滑って後ろに流れていく
鎖に引っ張られ、両腕が後ろに捻じり上げられる
涙が溢れ、紅い色をした咳が口から床に塗料みたいにぶち撒けられた
これら総てが一瞬の事だった
「今日は」
まだ呼吸も出来ないが、僕は笑顔でご主人さまに報告する
「ハンバーグでした」
「美味かったか?」
ご主人さまも、笑顔を僕に向けて下さる
僕が「はい!!」と答えると、今度は爪先の代わりに硬く握られた拳が鳩尾を、鉄の棒か何かで鋭く突いたみたいに力強く殴り、そしてまた地面から持ち上げた
我慢出来ない
既に僕はこの『食事』に慣れ過ぎて、吐き癖が付いてしまって居た様だ
口の中に酸っぱいものが溢れたかと思った刹那、夕餉のその総てが、口腔に溢れ返り始めた
『ご主人さま……』
にやついた視線でご主人さまに訴える
ご主人さまが僕の唇に自らのそれを重ねると、口の中を乱暴に求めて下さった
──ご主人さまは、どんな味を楽しんでいらっしゃるのだろうか
想像したが、血や胃液の味を知らない僕には解らなかった
部屋には二人の鼻から漏れる声と吐息、鎖の音
夜が始まろうとして居た




