第8話 “大通りの逃走劇”
「じゃあ血が一番高く売れるんだね」
「そういうこと」
「じゃあ、頭は? これも売れるの?」
チユが俺の曳くリヤカーを指差した。
ビョークがわざとらしく咳払いする。
「ハルタさん、それはあとのお楽しみということで」
「んじゃ、そういうことで」
チユは首を傾げた。
校門を出てすぐに気づいた。
灯りが三つ、階段を上がってくる。
ビョークが舌打ちした。
クリーム色のコートに、それぞれ丸い盾を持っている。
蓋ノ騎士団だとすぐにわかった。
真ん中にいるのは脚家イビツだった。
「この人たちって……」
チユが喋ろうとしたから口を押えた。
「マスクを取って顔を見せろ、全員だ」
脚家が言った。
会話は無用だ。
俺は素早く後ろへまわってリヤカーを蹴り押した。
「押せぇ!」
ビョークとチユも遅れて押した。
騎士三人が慌てて進路から退く。
「飛び乗れ!」
先に飛び乗ったビョークへチユへ渡した。
そのあとで俺も乗った。
リヤカーが階段の傾斜に沿ってすべり落ちていく。
がたがた揺れる。
「捕まえろ!」
脚家の声がした。風が舞う。
騎士二人が宙へ浮いた。階段の斜面に沿って滑空してくる。
「このまま西に向かって逃げる」
「大通りへ?」
俺は頷いた。
「あのカーブ見えるだろ? このままじゃぶつかる、何とかしてくれ」
「何とかって……」
「教典を使え」
「な、なな、なんで逃げるの?」
段差を下る振動でチユの喉が震えた。
「あの人、このあいだの人でしょ?」
「このあいだ?」
「ハルの同級生なんだって」
「騎士団にご友人が?」
「友人じゃない。知り合いでもない。よくいるだろ? 同じ土地で育っただけで知り合い面する奴が」
「なんで逃げるの?」
「事故以来、潜りへの規制が厳しくなった。あいつらは巡回の衛兵だ」
「騎士じゃないの?」
「脚家は俺と同い年だ。二〇歳で騎士の位に至っているとは思えない。姥捨照小学校の巡回なんていう安い公務を任されてるのがその証だ」
「姥捨照小学校は、騎士団の管理下にあるんです。本当は入っちゃいけないんですよ」
「ヘルデの駆除って潜りがするものでしょ?」
「そういうイメージがあるだけです」
「入れば不法侵入、バレたら監獄行きだ」
「じゃあ何で校門は開いてたの? 夜中なのに」
「学校と騎士団がグルなんだろう。開けっ放しでも、誰も入ったりしない。ヘルデがいるからな。俺らは便利な道具なんだ。無給で、命をかけて駆除してくれる」
「惰性の巡回ですよ」
「俺たちがいないと、いずれ駆除の役割が自分たちにまわってくる。あいつらはそれを知ってる」
「しかし代わりならいくらでもいる、ということも知ってるんです。潜りで生計を立てなくちゃいけないような人は、どうせ潜り以外で生きるすべがない。上手くやればそれなりに稼げてしまうこともあって、潜りたちはやめられない」
「あいつらは、潜りを遊びで捕まえてる」
階段の終わりが見えた。
だが勢いは止まらない。
このままではリヤカーごと田んぼに突っ込んでしまう。
「うまく出来るかわかりませんよ」
「そんときは、そんときだ」
ビョークは巨大な文化包丁を教典から現した。
アスファルトに火花を散らしながら、包丁でブレーキをかけた。
リヤカーが西へ方向転換されてゆく。
右の車輪が浮いて、ひっくり返りそうになった。
「チユ、右に寄って」
チユと車体の右側に寄り、ふたりで体重をかけた。
「上手いぞ!」
チユが笑った。
後ろでビョークがぐったりしている。
荷台を下り、俺はリヤカーを曳いた。西へ走った。
「ビョーク、包丁で地面を蹴ってくれ。追いつかれる」
「ちょっと待ってくだひゃい」
ビョークは汗だくだった。
日の出が見えた。空が淡いオレンジに光っている。
俺たちは河川に架かる大橋を渡った。
「ハル、さっき言ってた事故って何?」
背後でチユの声がした。
「熱線の事故だ」
〇
「構わん、後ろの二人を蓋してしまえ」
脚家らしき声が商店街に響いた。
商店街を南へ駆け走った。
騎士三人が飛行で追尾してくる。
荷台からビョークが包丁で地面を蹴る。パドルで漕ぐみたいに。
蹴るたびに火花が散った。
早起きな商店街の通行人たちが驚いて避けてゆく。
「チユ、あいつらに大瓶を投げろ」
「え、でもこれ……」
「捕まるよりマシだ」
チユが一つ取って大瓶を騎士へ投げた。
瓶が当たり、騎士は頭から血をかぶった。
ヘルデの血は粘着力が強い。
タールを被ったみたいにべっとりだ。
勢いを落としていく。
「チユさん、全部投げましょう。このままじゃ追いつかれます」
「ビョークの言う通りに」
巨大包丁を使い、店前に積まれた段ボールをビョークが倒していった。
そのひとつが当たって騎士がまた一人ずっこける。
「よし!」
ビョークはガッツポーズする。
「残るはあいつだけです」
残るは脚家のみ。
アーケードが途切れると青空が見えた。
そこは馬車の行きかう大通り──畳通りだ。
左折しながら馬車の流れに入り込んだ。
脚家が追ってくる。
リヤカーを曳き、馬車の間を抜けた。
すぐに十字の大きな交差点にさしかかった。
左折──北へ曲がり、大通りを上ってゆく。
チユが瓶を投げた。
脚家は避け、にやついた。
「下手くそが!」
脚家の剣幕に、チユが萎縮した。
そのまま距離を詰めてきた脚家に、荷台後部のビョークが首を掴まれた。
持ち上げられ、ビョークが足をばたつかせている。
俺はリヤカーの荷台へ飛び乗った。
大瓶を一つ取って脚家へ投げつけた。
命中──。
奴は一身に血を浴びた。
ビョークのマスクを剥ごうとしていた手が止まる。
真っ赤な顔が俺へ見た。
ビョークは歩道へ投げ飛ばされた。
「こっち来ちゃう!」
チユが叫んだ。
「敬え、下民が」
怒号が大通りに響き渡る。
地を這うように滑空し、荷台の下からぬうっと脚家は現れた。
「監獄行きはなしだ。おまえら一人残らずここで蓋してやる」
突風が吹いた。
馬車の屋根が吹き飛ぶ。
通行人が、車夫が、馬車の中の利用客が悲鳴を上げた。
チユも悲鳴を上げる。
「まずはおまえからだ」
脚家が反り返った盾を振り下ろしてきた。
俺は伸ばした足裏でステーキカバーになった盾を押さえた。
脚家が目を丸くする。
「おまえ、まさかハ──」
何か言い出す前に、脚家ごとステーキカバーを蹴り飛ばした。
背中から荷台の外へ落ちる。
脚家に、ヘルデの皮を被せてやった。
「頭!」
荷台の隅のチユへ言った。
チユは首を足で押し、荷台の上を転がした。
曲がった山羊の二本角が下へ向くように持ち、脚家の腰の辺りに向かって振り下ろした。
角が地面に刺さり、脚家の体がロックされた。
しばらく起き上がれないだろう。
皮の下で奴が体をくねらせている。
「走ろう」
荷台からチユを下ろした。
「ビョークは?」
「大丈夫だ」
リヤカーを捨て、俺たちは走った。